少年隊
少年隊(しょうねんたい)とは、ジャニーズ事務所に殿堂入りしている男性アイドルグループ。
略称:ショーネン (イントネーションは「笑点」と同じ)。
1981年結成。 当初のグループ名は「ジャニーズ少年隊」。 正式に「少年隊」名義になったのは1984年5月21日から。
ジャニーズ史上、最もクオリティ、スキルの高かったアーティストであり、ジャニー喜多川からも、「ジャニーズ事務所の歴代のタレント、グループの中で、最高傑作は少年隊」と位置付けられていた。
2008年9月より長らく活動休止状態だったが、2020年12月31日をもって活動を終えた。
メンバー
- 錦織一清 (にしきおり かずきよ、1965年5月22日 - 、東京都世田谷区赤堤生まれ、江戸川区平井育ち、O型)
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愛称:ファンからは「ニッキ」、メンバーからは「ニシキ」。 イメージカラー:赤。 グループリーダー。
- 植草克秀 (うえくさ かつひで、1966年7月24日 - 、千葉市中央区出身、O型)
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愛称:カッちゃん。 メンバーからは「ウエクサ」、昔は「クサオ」。 イメージカラー:黄。
- 東山紀之 (ひがしやま のりゆき、1966年9月30日 - 、川崎市幸区出身、A型)
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愛称:ヒガシ。 イメージカラー:黒。 フジテレビのバラエティ番組『少年隊夢』のみでのグループリーダー。
概要
- 1981年、少年隊の前身グループ「ジャニーズ少年隊」を結成。(当時の詳細な流れは、後述の「ジャニーズ少年隊」を参照)
- グループ結成当初は、近藤真彦のバックダンサーとして歌番組やコンサートへ出演していた。
また、1982年6月28日にはレコードデビュー前であるにもかかわらず、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』にも単独のアーティストとして初出演し、事務所の先輩に当るフォーリーブスの代表作『ブルドック』を披露。
事務所側の期待が高い事が示されると共に、視聴者の注目も早くから浴びるようになった。 以降『夜ヒット』には、1985年12月12日にレコードデビューするまでの間に、計14回もの単独出演を果たしている。
- 1982年06月28日 - ブルドッグ (衣装の白いズボンは全員自前のもの)
- 1982年08月23日 - 踊り子
- 1982年10月11日 - 急げ!若者
- 1982年11月29日 - KNOCK ME
- 1983年01月31日 - ハッピー・メドレー(ゲット・レディ、ハッピー・ピープル)
- 1983年04月11日 - 君の瞳に恋してる
- 1983年07月25日 - SUMMERならサンバ
- 1984年01月23日 - I'm so excited
- 1984年03月05日 - あなたに今Good-by (注:表記は「Good-bye」ではない。理由は後述)
- 1984年09月24日 - Shamisen Boogie (三味線ブギ)
- 1985年02月04日 - 日本よいとこマカ不思議 (1回目)
- 1985年05月08日 - 日本よいとこマカ不思議 (2回目)
- 1985年09月18日 - サクセス・ストリート
- 1985年11月27日 - 仮面舞踏会
- 1982年11月、「第8回 ハワイ音楽祭」で金賞とベスト振付賞を受賞。
- 1983年、東京宝塚劇場で行われた田原俊彦のコンサート「’83 Toshi in 宝塚」にてバックを務める。 また、同年にはNHK『レッツゴーヤング』やフジテレビ『月曜ドラマランド』へも初出演。 更に同年12月31日には『NHK紅白歌合戦』にも近藤真彦のバックとして初出演を果たした。
- 1984年2月7日&8日、近藤真彦の香港公演にゲスト出演し、4曲歌わせてもらう。
同月14日には、ニッポン放送のラジオ番組『ライブ・オン!ジャニーズ少年隊』主催による「バレンタイン・ミニコンサート」(公開録音)をニッポン放送社屋にて開催し、『あいつとララバイ』、『踊り子』など5曲を披露。
130名の参加募集に対し、1万7千通もの応募が寄せられた。
そして同年4月2日、東京・芝「郵便貯金ホール」にて正式なファーストコンサートを開催した。-
(『Duet創刊1周年記念 少年隊写真集』に書かれている「4月5日に開催」は誤植。 10時、12時、14時、16時、18時開演の、1日5回公演。
ただしコンサートパンフレットの制作はまだ無く、初めてパンフレットが制作・販売されたのは、翌1985年3月21日〜4月7日に「SPRING CONCERT」と題して行われたセカンドコンサート(全国ツアー)からで、1985年6月に行われた明治製菓主催による「少年隊スペシャルコンサート」の会場でも同パンフが販売された)
そして、この頃から親衛隊によるステージ用の応援コールも作られた。- 「ニッキ・カッちゃん・ヒガシくん、ニッキ・カッちゃん・ヒガシくん、ジャニーズ少年隊!」 (「ジャニーズ少年隊」時代)
- 「ニッキ・カッちゃん・ヒガシくん、ニッキ・カッちゃん・ヒガシくん、ソーレソレソレ少年隊!」 (「少年隊」へ改名後)
- 1984年5月21日、映像作品『少年隊』(VHS、Beta、LD)を発売。 ここからグループ名が「ジャニーズ少年隊」ではなく、明確に「少年隊」となる。 (レコードデビューよりも先に映像作品でデビューするという形態は、後に男闘呼組にも引き継がれた)
- 同年7月14日〜23日、テレビ出演とレッスンのために渡米。
WHNW-TV『MERV GRIFFIN SHOW』(同年9月12日放送)に出演した他、全米ネットワークのABC『THE MORNING SHOW』ではジャーメイン・ジャクソンと共演した。
また、この年は日本武道館で行われた「近藤真彦 武道館コンサート」のバックも務めた。
- 1984年12月23日から1985年1月20日まで、「少年隊スペシャルコンサート」と題したコンサートツアーを全国7ヶ所で開催。 これは、明治製菓のチョコレート「Dela」の包み紙200円分を1口で応募し、当選した者だけが参加できたコンサートだった。 この明治製菓主催による「少年隊スペシャルコンサート」は、その後も1985年一杯まで度々開催。
- 1985年4月27日〜5月6日、梅田コマ劇場にて少年隊の初のミュージカル『ゴールデンウィークスペシャル ミュージカル・アドベンチャー 「ザ・サスケ」 / ヒット・パレード』を上演。 そしてこの公演期間中にテレビ朝日『おはようテレビ朝日』に出演し、大阪タワーの前から生中継で『ブルドッグ』を歌った (ただし口パク)。
- 1985年夏、少年隊はアメリカ最大のレコード会社「WEA」と長期専属契約。
まずは年内に日本でシングルデビューした後、ロサンゼルスで全曲英語詞の“世界発売用”のデビューアルバムを録音し、1986年秋にリリースすると大々的に発表した。
WEAのアーティガン会長も「会社の総力をあげてセールスに取り組む」と語り、少年隊を売り出すためのプロジェクトチームを作った。
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そして少年隊は1986年2月21日からの約3週間と、更に同年4月11日からもロサンゼルスに渡り、マイケル・センベロのプロデュースのもとで実際にレコーディングをしたのだが、英語力が伴わず、最終的にWEAからノーと判断されてリリースは中止に。
しかしファンに対しては何の説明も無く、いつの間にか世界デビューの話は有耶無耶にされた。
また1986年7月に青山劇場で公演された主演ミュージカル『PLAYZONE MYSTERY』を引っさげて、1987年にアメリカの本場ブロードウェイに進出するとも宣伝していたが、その計画も頓挫。 やはりファンへの説明は何も無く終わった。
- 1985年10月28日、代々木のレコーディングスタジオ「Two Two One」にて、日本でのシングルレコードデビュー決定の記者会見を行う。
- 同年12月12日、シングル『仮面舞踏会』でレコードデビュー。 キャッチフレーズは「日本発、世界行。地球は、俺たちのステージだ!」で、新聞広告も打たれた。
続いて1986年7月7日発売の3rdシングル『ダイヤモンド・アイズ c/w レイニー・エクスプレス』の際は、「時代がついてくる。いつもいまより新しい、少年隊。」のキャッチフレーズが使われた。 このフレーズはその後の作品のリリース時にも度々使用された。
更に同年11月28日発売の4thシングル『バラードのように眠れ』では、「「少年」が、流行っています。」のキャッチフレーズが使われた。
- 明治チョコレート「Dela」の包み紙200円分を1口で応募する「少年隊スペシャルコンサート」の第2弾を、1985年12月25日から1986年1月26日まで開催。 1985年12月29日には、初めて日本武道館でもコンサートを行った (武道館のみ有料チケットの販売も有り)。
- 1986年より、オリジナルミュージカルシリーズ『
PLAYZONE 』を毎年夏に上演。
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19年目の2004年には、一度だけオリジナル以外の作品『ウェストサイドストーリー』を上演。
しかしこの作品は版権問題の規定が非常に厳しく、PLAYZONEシリーズの恒例であったCD化、映像化がなされておらず、幻の作品となっている。
なお、宝塚歌劇団も同作品を公演しているが、やはり映像化は行われていない。
また、2007年公演の『PLAYZONE 2007 Change 2 Chance』も、共演者だった赤坂晃が覚醒剤で現行犯逮捕されたことにより、予定されていたDVD化と、第2幕の分のCDアルバム化が急遽中止となった (その後、DVDだけは2020年12月12日になって発売)。
2008年の夏をもって、23年のミュージカルシリーズから卒業。 2008年8月8日の東京公演の千秋楽には、森光子、近藤真彦、「嵐」の松本潤もお祝いに駆け付けた。 通算公演回数は957回、観客総動員数は138万人以上であった。 なお、翌2009年以降は事務所の後輩たちが交代で主演している。
- 1987年1月1日、日本武道館にて2度目のコンサートを開催 (1度目は1985年12月29日)。
13時半からと17時半からの2回公演。 元旦に武道館でコンサートを開催したアーティストは、少年隊が初。
- 同年、マルベル堂のブロマイド年間売上成績が第1位になる。
- 1991年10月28日、改修工事を終えた京都・南座の新装開場記念式典に少年隊が特別ゲストとして招かれ、ショー「SHOW・SHONENTAI」をTOKIOと共に披露。
- 1994年、「第31回 ゴールデン・アロー賞」にて演劇賞のグランプリを受賞。
- 1999年、少年隊にとって初の冠番組『少年隊夢』がスタート。
- 2005年、「近藤真彦 25周年記念ディナーショー」にゲストとして出演。
- 2007年、ミュージカルシリーズ『
PLAYZONE 』が、22年目の夏で通算上演回数900回を迎えた。 しかし、この年の公演『PLAYZONE 2007 Change 2 Chance』は、共演者だった赤坂晃が覚醒剤で現行犯逮捕されたことにより、DVD化が急遽中止となった (2020年12月12日になってDVD化)。
- 2008年、23年間続いた少年隊主演ミュージカル『
PLAYZONE 』が閉幕。 翌年からはジャニーズ事務所の後輩に引き継がれた。
- 2020年12月31日、錦織と植草がジャニーズ事務所を退所。
これに伴い、少年隊は同日をもって活動を終えた。
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なお、2020年9月の時点では、
「少年隊そのものは残したいというメンバーの意向を尊重すると共に、35年間で殿堂入りに値するほどの実績を地道に積み重ねてきたグループのため、後輩たちの道標とすべく、「少年隊」の名前は事務所に残す」
と発表されていたが、結局、2021年1月1日に日付が変わって数分後に、ジャニーズ事務所の公式サイト「Johnny's net」での少年隊のプロフィールページが消失。 東山はまだジャニーズ事務所に残っているにも関わらず、ジャニーズファミリークラブでの少年隊のファンクラブサイトも消失。 そして、有料モバイルサイト「Johnny's web」で植草が連載していた「GC (ガハハ倶楽部)」も消失した。 所属レコード会社「Johnny's Entertainment Record」の公式サイトでも、少年隊の商品販売用の宣伝ページでTOP画像に使用されていた3人の写真は削除された。 同時に、Johnny's netでは「少年隊」の記載が無いまま、東山の単独プロフィールページに差し替えられた。
そしてジャニーズ事務所の各公式サイトに、少年隊の歴史をまとめたり功績をたたえたコンテンツが新たに設置されることも無く、一体「少年隊」の名前がどこにどういう形で残され、殿堂入りしているのかは不明であった。
そんな中、「少年隊」の名前が確認できたのは、「Johnny's net」の東山のプロフィールのバイオグラフィとディスコグラフィの項目に、少年隊として活動していた時期の経歴が織り込まれていたのと、レコードレーベル「Johnny's Entertainment Record」の公式サイトに、少年隊のCDや映像作品を販売することを主目的とした宣伝用のページがあるのみであった。
(※ 「Johnny's net」の個人プロフィールの中に解散したグループの経歴が織り込まれることは、内海光司や岡本健一、佐藤アツヒロ、木村拓哉などでも全く同様であり、「Johnny's Entertainment Record」の公式サイトにしても、解散したグループの商品の宣伝ページが残され続けるのは少年隊以外でも同様であるため、これらは特別な処置ではない)
元ジャニーズJr.であり「ジャニーズ評論家」の石丸志門も、“少年隊”の名前を事務所に残すうんぬんのからくりについて『週刊女性』(2020年10月13日号、主婦と生活社)の取材に答え、あくまでも名称の利権問題に過ぎないと指摘。 “少年隊”という名称の権利をジャニーズ事務所が持つことで、錦織と植草に対して退所後に“少年隊”を名乗りづらくさせるためでもあり、グループの活動再開はありえないと断じた。
錦織自身も、オフィシャルサイトの紹介文に「“少年”である事に終止符を打ち、憚りながら新しい人生をスタートさせて頂く事と成りました」と書いたり、2023年3月3日の東スポWEBのインタビュー記事でも、「少年隊というグループは通過点だと思ってる。それが大事なんじゃなくてそこから先、違うものにもなるんじゃないかなと。自分のことを楽しみにしたいですね」と語った。
更に2023年には、ジャニー喜多川の性的児童虐待問題が一気に表面化したことを受け、東山が同年9月5日にジャニーズ事務所の三代目代表取締役社長に就任。 そして同年一杯で芸能活動から引退することとなった。
そもそもそれ以前に、錦織&植草と、東山との間には精神的に大きな隔たりがあり、常に東山の機嫌を損なわないように仲良く振舞っていただけだったことを少年隊の元メンバー・松原康行が『週刊文春』(2023年9月21日号、文藝春秋)にて証言している。
エピソード
- 原宿にあった合宿所で少年隊が生活していた頃は、錦織は青色のブリーフパンツ一丁、東山は全裸、まともに服を着ていたのは植草だけ、というのが3人の定番の生活スタイルだったことを、当時の後輩たちが語っている。
- 1985年8月12日、羽田発大阪行きの日航機が群馬県の御巣鷹山に墜落し、520人が死亡した「日本航空123便墜落事故」。
当初はこの便に、ジャニー喜多川と少年隊も搭乗する予定だった。
前日の11日に、大阪の新歌舞伎座で近藤真彦の主演舞台『森の石松』が初日を迎えた。
ジャニーは少年隊と一緒に翌日の12日に応援のために観劇しに行く予定だったが、少年隊のコンサートの現場だった中野サンプラザに居たジャニーに、大阪の舞台のスタッフから「マッチが舞台の会見を開くから急いで来てほしい」と電話が入る。
これにより、ジャニーだけが急遽12日の搭乗予定を1日前倒しして大阪に飛び、少年隊は東京に残ることとなった。
- かつてTOKIOの国分太一がジャニー喜多川に、「ジャニーさんが思う(事務所史上の)最強のグループって、どのグループだったの?」と尋ねた際、即答で「少年隊」と答えた。
その理由として、「踊りが完璧。歌も歌えて、自分たちで演出もできていた」と述べていたことを、国分が2019年9月4日放送のフジテレビ『TOKIO
× 300回記念スペシャル』で明かした。
- 元・女優、タレントの立河宜子が、中学2年生から高校2年生まで少年隊の追っかけをしていたことで知られている。
受賞歴
- ハワイ音楽賞 金賞・振付賞 (1982年)
- 第19回 新宿音楽祭 金賞 (1986年。文化放送主催。真璃子と共に受賞)
- 第12回 全日本歌謡音楽祭 最優秀新人賞 (1986年)
- 第24回 ゴールデン・アロー賞 音楽新人賞・最優秀新人賞 (1986年)
- 第12回 日本テレビ音楽祭 最優秀新人賞・トップアイドル賞 (1986年)
- 第17回 日本歌謡大賞 最優秀新人賞 (1986年)
- 第13回 FNS歌謡祭 最優秀新人賞 (1986年)
- 弟28回 日本レコード大賞 最優秀新人賞 (1986年)
- 第1回 明星ヤングソング大賞 シングルレコード部門・グランプリ (1988年2月6日)
- 第2回 日本ゴールドディスク大賞 The Best Album of the Year 学芸部門 - カバーアルバム『Magical 童謡 Tour』 (1988年3月15日)
- 第31回 ゴールデン・アロー賞 演劇賞・グランプリ (1994年)
主な出演作品
※ ソロ出演作については、各メンバーの項目を参照。
バラエティ番組
- ヨッちゃん・ぼんちのアイドル大集合 ! ! (1981年4月8日 - 9月23日、日本テレビ)
- ザ・ヤングベストテン (1981年10月6日 - 1982年9月21日、テレビ東京)
- ピンキーパンチ大逆転 (1982年4月1日 - 9月30日、TBS)
- 夜のヒットスタジオ (フジテレビ) 総出演回数:64回。 内、メンバーのソロ出演が3回。
- パリンコ学園No.1 (1982年10月7日 - 1983年3月31日、TBS)
- ヤンヤン歌うスタジオ (1982年11月28日に初登場。テレビ東京)
- ザ・ヒットステージ (1983年4月3日 - 1984年3月25日、TBS) 愛川欽也と共に司会
- カックラキン大放送 ! ! (日本テレビ)
- ナイトスクエア (1983年10月16日 - 1984年、TBS)
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ダンスショー番組。 準レギュラー。 番組自体は1983年10月2日からのスタート。
- クイズ タイムショック (1983年12月29日、テレビ朝日)
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錦織と東山がゲスト出演。 楽曲『あいつとララバイ』も2人だけで歌唱。 植草は盲腸で欠席。
- 生だ!おもしろ特急便 (1984年4月5日 - 9月、TBS)
- レッツGOアイドル (1984年6月9日、テレビ東京) ゲスト出演
- MERV GRIFFIN SHOW (1984年9月12日、アメリカのWHNW-TV)
- THE MORNING SHOW (全米ネットワークのABC) ジャーメイン・ジャクソンと共演
- 8時だョ!全員集合 (1985年4月20日 & 5月18日、TBS)
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2回とも『日本よいとこマカ不思議』を披露
- ザ・ベストテン (TBS)
- ザ・トップテン → 歌のトップテン (1985年 - 1989年、日本テレビ)
- アイドル花組おとこ組 (1986年、日本テレビ)
- おもしろバラエティ 「さんまのテレビの裏側全部見せます第3弾 アイドル徹底追跡編」 少年隊誕生のヒミツ (1986年3月28日、フジテレビ)
- フロッピあ! 「今、ミュージカル!少年隊」 (1986年7月5日、フジテレビ)
- 徹子の部屋 (1986年8月25日、1987年7月31日、テレビ朝日)
- オールスター夢の球宴 (1986年11月25日、フジテレビ)
- 天才の証明 ! ! 清原伝説 (1986年12月13日、TBS)
- ザ・サンデー 〜THE SUNDAY〜 (1986年12月21日、フジテレビ) 森末慎二からのアクロバット指導
- 生放送 お年玉夢一番! オールスター歌って遊んでボロもうけ ! !
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(1987年1月1日、TBS) 『仮面舞踏会』を披露
- ’87年 新春かくし芸大会 (1987年1月1日、フジテレビ) 和太鼓『青嵐之譜』を披露
- 少年隊 おめでとう ’87 (1987年1月2日 深夜23:50〜0:44、TBS) 元旦の武道館ライブを放送
- さんまのまんま (1987年1月19日、フジテレビ)
- ドキド欽ちゃんスピリッツ (1987年3月24日、TBS) 最終回にゲスト出演し、おめで隊と共演。
- FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島 (1987年7月18日、フジテレビ) 植草は足の打撲のため欠席
- 翔べ!飛べ ! ! マジカル少年隊スペシャル
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(1987年10月1日 木曜 19時〜20時、テレビ朝日。収録日は同年9月26日。ゲスト:チャゲ&飛鳥)
- 夜まで待てない ! ! マイケル・ジャクソン ジャパン・ツアー (1987年10月31日、日本テレビ)
- ホリデースペシャル 地球を燃やせ! 世界で今 ! ! 少年隊 (1988年、テレビ朝日)
- 豪華!スター家族対抗初春ジャンボクイズ! (1989年1月1日、日本テレビ)
- クイズ ドレミファドン! 新春イントロ大作戦
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(1989年1月1日、1991年1月1日:準優勝、フジテレビ)
- アッコの大きくてごめん (1989年1月2日)
- フラッシュ&ジャンプ (光GENJI、男闘呼組、少年忍者、SMAP、平家派と共に出演した音楽番組)
- 1989年6月11日:NHK BS2、7月22日:NHK総合
- 1989年9月24日:NHK BS2、10月10日:NHK総合
- 1990年2月1日:NHK BS2、2月11日:NHK総合
- 1990年7月7日:NHK BS2、7月21日:NHK総合
- SHIONOGI MUSIC FAIR (1990年9月9日、他、フジテレビ)
- 第20回 東京音楽祭 (1992年2月23日、TBS。収録日は2月21日) ゲスト出演
- スーパーモーニング (1992年5月22日、テレビ朝日。収録日は5月21日) ミュージカル『SHOW劇 ’92 MASK』の密着取材
- 夜のヒットスタジオ 超X'masデラックス (1993年12月24日、フジテレビ)
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ディナーショー会場の東京全日空ホテルからの生中継出演。
- ザ・ベストテン同窓会 (1993年12月26日、TBS) 近藤真彦、光GENJIと共演
- 長野オリンピックハイライト (1998年2月、フジテレビ)
- LOVE LOVE あいしてる (1998年2月14日、1999年7月10日、フジテレビ) [1]、 [2]
- 世界まる見え!テレビ特捜部 (1998年4月- 、日本テレビ) 東山と植草が交互に出演
- 少年隊夢 (1999年10月12日 - 2000年3月、フジテレビ)
- 少年隊夢U (2000年4月 - 2000年9月、フジテレビ)
- 少年隊夢V (2000年10月 - 2001年3月20日、フジテレビ)
- 少年タイヤ (2001年4月10日 - 2002年3月19日、フジテレビ) [1]、 [2]
- SMAP×SMAP 07 超豪華!元旦SP ! ! (2007年1月1日、フジテレビ) SMAP、近藤真彦と共演
- 他多数・・・
NHK紅白歌合戦
- 第37回 (1986年12月31日) - 「仮面舞踏会」
- 第38回 (1987年12月31日) - 「君だけに」
- 第39回 (1988年12月31日) - 「じれったいね」
- 第40回 (1989年12月31日) - 「まいったネ 今夜」
- 第41回 (1990年12月31日) - 「FUNKY FLUSHIN’」
- 第42回 (1991年12月31日) - 「MASK ’91」
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ミュージカル『PLAYZONE '90 SHOW劇
MASK 』の劇中歌「HELLOW BROADWAY」と、持ち時間に制限があるためにテンポアップされた「仮面舞踏会」のメドレー。 バックダンサーは光GENJI、6名のTOKIO、6名のジャニーズJr.、ダンシングスペシャル&D.O.S.ダンサーズ。 なお、テロップではNHK側のミスで、光GENJIの表記だけ漏れてしまった。 - 第43回 (1992年12月31日) - 「太陽のあいつ」
- 第44回 (1993年12月31日) - 「服部良一メドレー・紅白バージョン」 (東京ブギウギ / 胸の振子 / 三味線ブギ)
テレビドラマ
連続ドラマ
- 『ヤンヤン歌うスタジオ』内の5分枠ドラマ (テレビ東京)
- マッチの燃えろ!青春 PART3 (1981年11月29日 - ) 錦織、植草、松原の3名が出演
- 野良犬伝説 (1985年4月 - 9月)
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主題歌:少年隊 『急げ!若者』
- 野良犬伝説 PART2 (1985年10月 - 1986年3月)
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主題歌:少年隊 『サクセス・ストリート』
- 渡る世間は鬼ばかりシリーズ (TBS) ※ 錦織、植草はレギュラー、東山はゲストでの出演。
- 『少年タイヤ』内のドラマコーナー 「セレクトステージ」 (フジテレビ)
- 熱海殺人事件 (2001年10月 - 11月)
- ジプシー (2001年11月 - 12月) 東山、植草のみ出演
単発ドラマ
- 月曜ドラマランド (フジテレビ)
- 心はロンリー気持ちは「・・・」X (1987年3月20日、フジテレビ)
- スター・バラエティ 「南青山ハッピー通り」 (1987年1月2日、NHK総合)
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44分番組。『バラードのように眠れ』も披露。 収録日は1986年12月10日。
- ヤングスター・バラエティ 「サンセット・ドライブイン」 (1987年8月16日、NHK総合)
映画
- 胸さわぎの放課後 (1982年4月17日、東映) 錦織、植草、松原、鈴木の4名で出演
(左から、松原、錦織、ひかる、植草、鈴木) - TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever (1983年8月4日、東宝)
- あいつとララバイ (1983年12月24日、東宝)
- 19 ナインティーン (1987年8月1日、東宝)
ラジオ
- ジャンピングジャニー少年隊
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(1983年4月4日 - 、文化放送、『吉田照美のてるてるワイド』内での5分番組)
- ライブ・オン!ジャニーズ少年隊 (1983年10月16日 - 1984年、ニッポン放送。提供:明治製菓)
- ライブ・オン!少年隊 (1984年 - 1986年12月、ニッポン放送。提供:明治製菓)
- 抱きしめて少年隊 (1986年12月13日 - 1990年3月、ニッポン放送)
- カモン・BaBeのハローボーイ夢工場 (1987年、ニッポン放送) ゲスト出演。 嘉門達夫、BaBeと共演。
- じゃじゃ馬BaBeのハロームービー (1988年、ニッポン放送) ゲスト出演。 BaBeと共演。
- 週刊少年隊マガジン
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(1987年秋頃 - 1994年2月21日、MBSラジオ、『Radio THIS』→『Radio THIS 茶屋町学園』→『ヤンタン茶屋町学園』→『ヤンタン茶屋町学園新撰組』内)
- club J (1999年10月5日 - 2000年3月26日、TOKYO FM)
- It's SHOWTIME! (2021年5月20日 - 、ラジオ大阪)
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少年隊ファン有志の企画により始まった、少年隊の曲だけを流す番組。
少年隊のメンバーは出演せず。
毎週木曜深夜の15分番組。ナビゲーターは藤川貴央アナウンサー。
但し、2021年6月3日の放送分では東山紀之から直々にお礼のメッセージとリクエストが届き、藤川アナウンサーが読み上げた。
また、東山からメッセージが届いた6月3日の放送分が、「プラネット賞 2021」の6月月間賞の二次選考4番組に選抜された。 (プラネット賞とは、ラジオリスナーに強烈なインパクトを残した番組をリスナーが選び顕彰する、というコンセプトでリスナーのみによって構成された賞。 なお、二次選考の4番組から6月月間賞を獲得したのは『伊集院光 深夜の馬鹿力』の2021年6月14日放送分だった)
2021年9月26日の深夜には、1時間の拡大番組『It's SHOWTIME!秋の感謝祭』を放送。 全国から寄せられた1,300件を超えるリクエストメッセージの中には、植草の個人事務所「2steps」のスタッフから寄せられたものもあり、そのスタッフのリクエスト曲として植草のソロナンバー『Dear・・・』が流された。
同年12月12日の深夜にも、1時間の拡大番組『It's SHOWTIME!おめでとうスペシャル 36周年だよ!少年隊』を放送。
2022年3月27日の深夜にも、1時間の拡大番組『It's SHOWTIME!春の感謝祭』を放送。
2023年8月18日付の「サンケイスポーツ (大阪本社発行版)」にて、番組の2年3ヶ月の歩みを特別掲載。
[1]、 [2]、 [3]、 [4]
CM
- ハウス食品 「ロッカッキー」 第2弾バージョン (1980年10月 - )
-
近藤真彦のバックで踊るジャニーズJr.として、東山紀之、松原康行、そして薬丸裕英と浜中隆が出演。
このJr.の選抜オーディションは銀座の電通で行われ、その審査とダンスの振付を担当したのは西条満だった。
CM撮影は調布の大映スタジオで行われた。
なお、薬丸の2014年5月21日付のブログで、このCM撮影をした場所が日活撮影所だと書かれているが、それは誤り。 大映スタジオも日活撮影所も同じ調布にあることが原因で生じた薬丸の記憶違い。 撮影地に関しては雑誌『月刊TVスターランド』1981年4月号のP.68を参照。 - ハウス食品 「ロッカッキー」 第3弾バージョン (1981年)
-
チーズ味新発売篇。 同じく近藤真彦のバックで、錦織、植草、東山、松原が出演。
なお、第4弾(近藤のソロバージョン)を挟んで、同じ1981年に「ロッカッキー」の第5弾バージョンとなるサイクリング篇も作られた。(少年隊のメンバーが参加しているかは不明。錦織らしき人物の姿は映っている) - ハウス食品 「ククレカレー」(1981年10月 - 。錦織、植草、松原の3名が近藤真彦と共演)
- 明治製菓 「明治チョコレート (ミルク、ハイミルク、ブラック)」 (1984年1月 - 4月)
- 明治製菓 「Dela (ミルク、ハイミルク、ブラック)」
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(1984年秋 - 1986年初頭。CMソングは『感じだね・・・・・・デラ』。振付師のマイケル・ピータースとの共演篇も有り)
- バラエティ番組『アイドル花組おとこ組』の番宣CM (1986年) 男闘呼組と共演
- ライオン 「マウスペット」
- ライオン 「Duetハミガキ・ハブラシ」
- セイコー 「アベニュー」 (1988年)
- キッコーマン 「デルモンテ フルーツドリンク」
- 日本赤十字社 「献血」 (1988年11月27日 - )
- ジャニーズ・エンタテイメント 「湾岸スキーヤー」(3人それぞれのソロバージョンも有り)
- ジャニーズ・エンタテイメント 「君がいた頃」
- 富士フイルム 「ケータイプリンタPivi」 (2004年11月20日 - 2005年10月31日 or 11月19日)
- Johnny's Entertainment Record 「35周年記念DVD BOX」 (2020年10月 - 。少年隊の〔新たに収録された映像での〕出演は無し)
ミュージカル
- ゴールデンウィークスペシャル ミュージカル・アドベンチャー 「ザ・サスケ」 / ヒット・パレード
(1985年4月27日 - 5月6日、梅田コマ劇場) - 少年たち
-
コンサートツアー内でのミュージカル。
1985年8月3日&4日:愛知厚生年金会館、8月6日:大阪厚生年金会館、8月10日&11日:中野サンプラザホール。
共演は中村繁之、男闘呼組、ジャニーズJr.。
- 『少年隊ミュージカル
PLAYZONE 』シリーズ- PLAYZONE MYSTERY (1986年7月5日 - 27日、青山劇場)
-
振付:マイケル・ピータース、ボビー吉野。
当公演のパンフレットにはジャニー喜多川の写真も掲載されている。
- PLAYZONE ’87 TIME・19 (1987年7月3日 - 26日、青山劇場)
- PLAYZONE ’88 カプリッチョ −天使と悪魔の狂想曲−
-
(1988年7月4日 - 31日:青山劇場、8月23日 - 31日:大阪フェスティバルホール) PLAYZONE通算100回公演達成
- PLAYZONE ’89 Again
-
(1989年7月6日 - 30日:青山劇場、8月3日 - 7日:愛知厚生年金会館、13日 - 19日:大阪フェスティバルホール)
- PLAYZONE ’90 SHOW劇
MASK -
(1990年7月7日 - 29日:青山劇場、8月11日 - 19日:大阪フェスティバルホール) PLAYZONE通算200回公演達成
- PLAYZONE ’91 SHOCK
-
(1991年7月4日 - 28日:青山劇場、8月10日 - 14日:大阪フェスティバルホール)
- PLAYZONE ’92 さらばDiary
-
(1992年7月11日 - 8月2日:青山劇場、12日 - 16日:大阪フェスティバルホール)
- PLAYZONE ’93 WINDOW
-
(1993年7月8日 - 8月1日:青山劇場、13日 - 19日:大阪フェスティバルホール) PLAYZONE通算300回公演達成
- PLAYZONE ’94 MOON
-
(1994年7月5日 - 31日:青山劇場、8月5日 - 12日:大阪フェスティバルホール) PLAYZONE通算観客動員数50万人突破
- PLAYZONE 10Yrs King & Joker 〜映画界の夢と情熱〜
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(1995年7月7日 - 30日:青山劇場、8月9日 - 13日:大阪フェスティバルホール) PLAYZONE通算400回公演達成
- PLAYZONE ’96 RHYTHM
-
(1996年7月21日 - 8月11日:青山劇場、13日 - 15日:大阪フェスティバルホール)
- PLAYZONE ’97 RHYTHMU
-
(1997年7月12日 - 8月3日:青山劇場、8日 - 11日:大阪フェスティバルホール)
- PLAYZONE 1998 5night's
-
(1998年7月12日 - 8月9日:青山劇場、15日 - 17日:大阪フェスティバルホール) PLAYZONE通算500回公演達成
- PLAYZONE 1999
Goodbye &Hello -
(1999年7月11日 - 8月4日:青山劇場、12日 - 15日:大阪フェスティバルホール)
- PLAYZONE 2000 “THEME PARK”
-
(2000年7月16日 - 8月10日:青山劇場、14日 - 24日:大阪フェスティバルホール) PLAYZONE通算600回公演達成
- PLAYZONE 2001
“新世紀” -
(2001年7月14日 - 8月8日:青山劇場、13日 - 17日:大阪フェスティバルホール)
- PLAYZONE 2002 愛史
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(2002年7月14日 - 8月8日:青山劇場、11日 - 15日:大阪フェスティバルホール) PLAYZONE通算観客動員数100万人突破
- PLAYZONE 2003 Vacation
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(2003年7月14日 - 8月6日:青山劇場、11日 - 17日:大阪フェスティバルホール) PLAYZONE通算700回公演達成
- PLAYZONE ’04 WEST SIDE STORY
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(2004年7月2日 - 8月5日:青山劇場、9日 - 16日:大阪フェスティバルホール) PLAYZONE史上異例のブロードウェイ作品
- PLAYZONE 2005 〜20th Anniversary〜 Twenty Years ・・・そしてまだ見ぬ未来へ
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(2005年7月6日 - 8月4日:青山劇場、13日 - 17日:大阪フェスティバルホール)
PLAYZONE20周年記念作品。 PLAYZONE通算800回公演達成。 - PLAYZONE 2006 Change (2006年7月9日 - 8月5日、青山劇場)
- PLAYZONE 2007 Change 2 Chance
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(2007年7月9日 - 8月14日:青山劇場、9月1日 - 7日:梅田芸術劇場) PLAYZONE通算900回公演達成
不祥事を起こして研修生扱いになっていた内博貴と草野博紀が本作で芸能界復帰したり、植草の息子・植草裕太も本作で役者デビューしたりと、話題の多い作品だった。 - PLAYZONE FINAL 1986〜2008 SHOW TIME Hit Series Change
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(2008年7月6日 - 8月8日:青山劇場、26日 - 31日:梅田芸術劇場)
- PLAYZONE MYSTERY (1986年7月5日 - 27日、青山劇場)
- 南座新装開場記念式典 第三部 「SHOW・SHONENTAI」 (1991年10月28日、京都・南座)
- SHOW劇 ’92 MASK (1992年5月5日 - 28日、日生劇場) ※「PLAYZONE ’90 SHOW劇
MASK 」の再演
ディナーショー
- 少年隊 MAGICALパーティー (1987年12月25日 - 27日、東京プリンスホテル 鳳凰の間)
- 少年隊ディナーショー
- Dinner Show SHONENTAI (1990年12月26日&27日、東京全日空ホテル 鳳の間)
- 少年隊ディナーショー
-
(1992年12月26日&27日:東京・ホテルニューオータニ「鶴の間」、28日&29日:ホテルニューオータニ大阪「鳳凰の間」、1993年1月3日&4日:名古屋観光ホテル「那古の間」、6日:京都・宝ヶ池プリンスホテル「プリンスホール」、7日:岡山ロイヤルホテル「光楽の間」、9日:ホテルニューオータニ博多「鶴の間」) 後にビデオ・LD化
- 少年隊ディナーショー
-
(1993年12月24日&25日:大阪ロイヤルホテル、27日&28日:東京プリンスホテル「鳳凰の間」、1994年1月3日&4日:名古屋観光ホテル「那古の間」) 大阪公演では京唄子も客として訪れた。
- 少年隊ディナーショー
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(1994年12月20日&21日:大阪ロイヤルホテル、22日&23日:名古屋ヒルトンホテル、24日&25日:東京全日空ホテル 鳳の間)
- 森光子 Special Dinner Show
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(1996年1月31日&2月1日、新高輪プリンスホテル。構成・演出:ジャニー喜多川)
植草と東山が、TOKIO、V6、堂本剛、ジャニーズJr.と共にバックダンサーとしてゲスト出演。 - 少年隊 クリスマスディナーショー
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(1996年12月23日&24日:東京全日空ホテル 鳳の間、28日&29日:大阪帝国ホテル)
イベント
- 父の日のテレホンメッセージ 「少年隊のお父さんありがとう」 (1986年6月15日、NTT)
- コミュニケーションカーニバル 夢工場 ’87 (1987年7月18日 - 8月30日、東京国際見本市会場、大阪国際見本市会場)
正確にはイベントに直接出演した訳ではなく、3Dメガネを着用して鑑賞する立体映像の『少年隊 ビデオライブ3D』が上映された。 なお、少年隊は同年5月21日に全編立体映像のVHD作品『CUBIC FANTASY』をリリースしているが、それとは全く別物の内容であり、夢工場用に新たに撮り下ろされた映像は一切ソフト化されておらず、幻の作品となっている。 - Roller Disco in BUDOKAN (1987年10月19日、日本武道館) 光GENJIと共に出演
- 少年隊 PLAYZONE10周年記念 ニューヨーク・スペシャルツアー (ファンと過ごす海外ツアー。ANA)
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Aコース:1995年6月2日発6日間、Bコース:6月3日発6日間、Cコース:6月4日発6日間。
- ボビー吉野×ARATA 「令和の少年隊ダンス論」『令和の少年隊論』(アチーブメント出版)刊行記念 (2021年12月17日、下北沢「本屋B&B」)
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ボビー吉野夫妻が登壇したトークイベント。 少年隊の出演は無し。
関連WEB
- ボビー吉野×ARATA 「令和の少年隊ダンス論」『令和の少年隊論』(アチーブメント出版)刊行記念 (2021年12月17日、Zoom)
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下北沢「本屋B&B」で開催されたトークイベントの生配信。 ボビー吉野夫妻が登壇。 少年隊の出演は無し。
ディスコグラフィ
シングル
- 仮面舞踏会 (EP:1985年12月12日、CD:1991年2月10日)
- TYPE A 『日本よいとこ摩訶不思議』
- TYPE B 『春風にイイネ!』
- TYPE C 『ONE STEP BEYOND』 (英語曲)
『第37回 NHK紅白歌合戦』出場曲。 1986年度オリコン年間順位3位。
当シングルは全部で3種類発売された (カップリング曲とジャケット写真を変えたもの)。
それぞれの曲目は、
(左から順に、TYPE C、A、B)
なお、非売品の見本盤EPのジャケットには、TYPE Cの表情違いの写真が採用された。
『仮面舞踏会』は後にジャニーズJr.(岩橋玄樹&宮近海斗)が、 『日本よいとこ摩訶不思議』は少年忍者、KinKi Kids、ジャニーズJr.、嵐が、 『春風にイイネ!』はTOKIO、KinKi Kidsが、 『ONE STEP BEYOND』は長野博、嵐(大野、櫻井、相葉、二宮)がそれぞれカバーした。 なお、KinKiが『日本よいとこ』をカバーした際のタイトルは、『近畿よいとこ摩訶不思議』。
CD音源に関しては、「春風にイイネ!」がベストアルバム『BEST OF 少年隊』と『少年隊 35th Anniversary BEST (通常盤)』に収録。 「ONE STEP BEYOND」は『少年隊 35th Anniversary BEST (通常盤)』に収録。 しかし「日本よいとこ摩訶不思議」だけは、当時の8cmシングルCDでしか聴くことが出来ないため、入手は困難となっている。
また、『BEST OF 少年隊』に収録されている「仮面舞踏会」はボーカルの録り直しがされており、レコードと同じ音源は8cmシングルCDと『青春歌年鑑1986』で聴くことができる。
少年隊は「仮面舞踏会」で『第37回 NHK紅白歌合戦』に出場し、白組司会者の加山雄三が曲紹介の際、「仮面ライダー!」と間違えて叫んだ有名なエピソードがある。 - デカメロン伝説 c/w ペパーミント
夢物語 -
(EP:1986年3月24日、CD:1991年2月10日)
EPの初回生産分の30万枚のみ、透明なクリアーディスク仕様。 予約特典は、少年隊のTシャツプレゼントの抽選番号付きポストカード。
B面曲はアルバム『BEST OF 少年隊』にも収録されているが、シングル版とは歌詞が若干異なり、EPレコードでは「ペパーミントの夢」と歌われている部分が、「ペパーミントドリーミング」に変えられている。 1991年にEPレコード作品の一斉CDシングル化の際にも、この歌い直されたアルバムバージョンがCDに収録されたため、EPレコードの歌詞のままの音源は未CD化である。
2ndシングルながら、オリコンチャートでは1位を獲ることが出来なかった。 少年隊の1位を阻んだ曲は、おニャン子クラブ内ユニット「ニャンギラス」の迷曲『私は里歌ちゃん』だと語られてしまうことがあるが、実際は河合その子の『青いスタスィオン』。
A面曲の歌詞「10日間だけじゃ語れやしない」は、ジョヴァンニ・ボッカッチョの創作詩『デカメロン (十日物語)』に由来する。
なお、お笑い芸人のゆってぃがネタの終わりに言う決めゼリフ「ちっちゃいことは気にするな、それワカチコ、ワカチコ〜」は、当A面曲のイントロの音声「ワカチコン」からの引用。
- ダイヤモンド・アイズ c/w レイニー・エクスプレス
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(EP:1986年7月7日、CD:1991年2月10日) 両A面シングル
EPの初回限定盤はクリアーディスク仕様。 予約特典はポスター。 『ダイヤモンド・アイズ』の振付は、マイケル・ジャクソンの『スリラー』を振付したマイケル・ピータースが担当。
- バラードのように眠れ c/w 魔法のウィンク (EP&カセット:1986年11月28日、CD:1991年2月10日)
- STRIPE BLUE c/w 雨のスタジアム (EP&カセット:1987年3月3日、CD:1991年2月10日)
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2020年12月9日放送のバラエティ番組『しおこうじ 玉井詩織×坂崎幸之助のお台場フォーク村NEXT』(フジテレビNEXT)にて、佐々木彩夏(ももいろクローバーZ。東山役)、愛来(AMEFURASSHI。錦織役)、鈴木萌花(AMEFURASSHI。植草役)の3名が企画ユニット「浪江女子発少女隊」名義で、A面曲をフルコーラスでコピーしている。
- 君だけに c/w ミッドナイト・ロンリー・ビーチサイド・バンド
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(EP&カセット:1987年6月24日、CD:1991年2月10日)
発売時のキャッチコピーは、「ありったけの想いを・・・ 君だけに」。
A面曲は『第38回 NHK紅白歌合戦』出場曲で、振付は山田卓が担当し、「踊るバラードの完成」と称した。 カセット版には二つ折りカード付き。
- ABC c/w 自然にKISSして (EP&カセット:1987年11月11日、CD:1991年2月10日)
-
発売時のキャッチコピーは、「言ってごらんよ‥‥ABC 歌ってごらんよ‥‥ABC 踊ってごらんよ‥‥ABC」。
1988年4月7日発売のシングル『ふたり』(CD版)のカップリング曲として、『ABC』のロングバージョン「S.P.DANCE MIX」が収録された。
また、『ABC』のリフを、後に事務所の後輩「嵐」が7thシングル『a Day in Our Life』(2002年2月6日発売)にてサンプリングしている。
更に、2007年12月26日に発売された筒美京平作品のリミックスアルバム『京平ディスコナイト』の1曲目に、小西康陽による『ABC』のリミックスが収録されている。
- LADY c/w ふたりだけのムーンライト (EP&カセット:1987年11月30日、CD:1991年2月10日)
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ジャケットはメンバー3人の写真ではなく、両曲が主題歌として使用されたTBS系アニメ『レディレディ ! !』の主役、リン・ラッセルのイラストが使われた。
- SILENT DANCER (12inchレコード:1988年3月5日、CD:4月25日。カセットは無し)
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セイコーの腕時計「アベニュー」のCMソング。
- 12inchレコード版は両A面シングル。 カップリング曲は『KISS THE SUN』で、キッコーマン「デルモンテ フルーツドリンク」のCMソング (未CD化作品)。
- CD版のカップリング曲は『SILENT DANCER (シングル・バージョン)』で、通常バージョンの収録時間が12inchレコード用で「7分」と長いため、シングル・バージョンは「4分59秒」と短くなっている。
- ふたり c/w MY GIRL (EP&カセット:1988年3月23日、CD:4月7日)
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両曲とも作詞・作曲は飛鳥涼。 予約特典は20ピースのミニジグソーパズル。 A面曲の振り付けは西条満。
CD版の収録曲は、『ふたり』、『MY GIRL』、『ABC (S.P.DANCE MIX)』の3曲。
なお、『ABC (S.P.DANCE MIX)』は、1988年1月20日にフジテレビ『夜のヒットスタジオDELUXE』でも一度だけ披露された。 その際の衣装は、1987年12月31日のNHK紅白歌合戦で『君だけに』を歌った時の衣装が使用された。
- What's your name? c/w いけない恋人 (1988年7月8日)
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このシングルからEPとカセットだけでなく、CD版も同時に発売。
予約特典は3枚組のアルミ製丸型ミニトレイ。
レコード版の方は、歌詞カードがブックレット状になっている限定盤と、通常盤の2種有り。 A面曲は後にジャニーズJr.がカバー。 - じれったいね c/w 愛の手紙 (1988年11月10日) A面曲は『第39回 NHK紅白歌合戦』出場曲
-
初回版はフォトカード3枚封入。
- じれったいね c/w 続・じれったいね (海外版) (1988年12月10日)
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レコードデビュー3周年記念の限定生産シングル。
EPレコード、12pCDを各5万枚、カセットも5万本生産。全てシリアル番号入り。レコードとCDはピクチャーレーベル仕様。
なお、「続・じれったいね (海外版)」は、「じれったいね」のアレンジ違いであり、歌詞に変更はない。
- まいったネ 今夜 c/w Sea and island (1989年6月19日)
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発売時のキャッチコピーは、「いよいよ・・・君のもとへ。」。
A面曲は『第40回 NHK紅白歌合戦』出場曲。 後に今井翼がカバー。 B面曲は「’89 海と島の博覧会・ひろしま」のテーマソング。 ポートレート3枚封入。 予約特典は各メンバーのソロステッカー。 封印 LOVE c/w HEAVEN (1990年4月10日)-
フォトカード3枚封入。 EPレコードの制作はこの作品で最後。
B面曲は後にジャニーズSr.(二代目メンバー)がカバー。
- FUNKY FLUSHIN' c/w BOMBER (1990年7月7日)
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フォトカード3枚封入。 両曲とも山下達郎のカバー。 A面曲は『第41回 NHK紅白歌合戦』出場曲で、元々はたのきんトリオも1981年の「たのきん3球コンサート」でカバーしていた曲。
トヨタ自動車の「HARRIER」のCM(「またひとつ、世界を新しく。」篇、2020年6月30日 - )で、Emi Mが歌うCMオリジナルソング(作曲:内山肇)のメロディーが、当A面曲のサビのパクり。 - 砂の男 c/w KNOCK MY SOUL (1990年12月12日) カセットの制作はこの作品で最後
- You're My Life −美しい人へ− c/w 君だけに (1993年4月27日)
- EXCUSE c/w ESPECIALLY DAY(1993年11月19日)
- Oh ! ! c/w PGF (1995年12月1日) 両曲とも後にジャニーズJr.がカバー
- 湾岸スキーヤー (1998年1月28日)
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原曲は山下達郎が1993年に歌唱した「ららぽーとスキードーム
SSAWS 」のCMソング。 後にジャニーズJr.もカバー。 - 愛と沈黙 c/w NIGHT WING (1998年8月26日)
- 情熱の一夜 c/w Goodbye & Hello (1999年6月23日) A面曲は後にジャニーズJr.がカバー
- ロマンチックタイム c/w 数千マイルから君を c/w フィエスタ・de・VENUS (東山ソロ) c/w @リンゴ (2000年2月2日)
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『ロマンチックタイム』は後にMusical Academyがカバー
- 君がいた頃 c/w SMILE AND SORROW (2001年2月21日)
- 想 SOH c/w 自分で選んだ明日をゆく (2006年7月9日)
番外シングル
- THE MYOJO ピクチャー・シート (1985年)
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『月刊明星』の懸賞プレゼントとして制作。 少年隊のトークを収録。
A面は「少年隊サクセス・ストーリー A STAR IS BORN」、B面は「おしゃべりタイム デビューの秘密 みんなしゃべっちゃうっ ! !」が収録されている。
- DIAMOND EYES (Extended Club Mix) c/w RAINY EXPRESS
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(1986年。非売品12inchレコード。REMIXを手がけたのは内沼映二。未CD化)
- WAKE UP! (1986年7月7日)
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映像作品『
LA LA LA 』(VHS・Beta:1986年7月7日、Laser Disc:同年8月25日)の予約特典として貰えたカラーピクチャー仕様のシングルレコード。 ロサンゼルスでの出来事をメンバーが一人ずつ語っている。
- LD Single 「NEW YEAR CONCERT ’87 SHONENTAI 武道館LIVE」 (Laser Disc。1987年。全4曲。約16分。30PL-2002)
-
上記の武道館LIVEから、『仮面舞踏会』、『SILENT LADY』(植草メインボーカル、コーラス:錦織)、『HEARTS』(東山ソロ)、『FRIDAY NIGHT』(錦織ソロ)の4曲を抜き出し、「LD Single」として従来のLDサイズより一回り小さいLD規格でリリース。
- WINDOW (1993年7月8日) ※ 少年隊ミュージカル『PLAYZONE ’93 WINDOW』会場限定販売
シングル売上推移 (オリコン調べ)
ミニアルバム
- WONDERLAND (1986年12月21日)
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LP、CD、カセットの3種ともに、フォトカード3枚(LP版はピンナップ3枚)と、竹宮恵子作の少年隊コミックス『SHONENTAI』付き。
- PARTY (1987年12月14日。 1991年6月17日にCDでのみ再発)
-
レコード版は、ジャケットは12inchのLPサイズだが、中身は7inchのEP盤が封入されている。
CDは紙ジャケット仕様でのリリースだったが、1991年6月17日の再発版はプラスチックケースにて販売。
LP、CD、再発CDの全てに、ハート形のフォトカードが3枚封入されている。
オリジナルアルバム
- 翔 SHONENTAI (1986年9月1日)
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LP版にはポスター1枚とピンナップ3枚、カセット版にはフォトカード3枚封入。
当アルバムのジャケットやブックレットは、錦織の父親が勤務する両国の印刷会社「イシイ印刷」にて製作された。
- TIME・19 (1987年7月1日)
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LP版にはピンナップ3枚、カセット版にはフォトカード3枚封入。CD版には封入特典なし。
予約特典は下敷き。
- Heart to Heart 5years 少年隊・・そして1991 (1990年12月23日。CDは見開き紙ジャケット仕様)
- 愛は続けることに意味がある (1993年12月1日)
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BOX仕様CD。 アナザージャケット用のフォトカード4枚付き。
- prism (1999年1月27日)
カバーアルバム
- BACKSTAGE PASS 〜 僕達のルーツはジャニーズから! (1986年3月8日。カセットのみ。フォトカード2枚封入)
- Duet (1986年11月28日。CDのみ)
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カセット販売のみだった上記のカバーアルバム『BACKSTAGE PASS 〜 僕達のルーツはジャニーズから!』と、サウンドトラック『ミュージカル プレゾン “ミステリー” 抜粋』を合わせてCD化したもの。
当作品はカバーアルバムとサウンドトラックアルバムを融合したものであるため、サウンドトラックの欄にも重複して記載。
- Magical 童謡 Tour (1987年9月25日)
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予約特典はメモ帳&ノート。
LP版のみ、表ジャケット、裏ジャケット共に、CD&カセット版とは写真が若干異なっている。
カラオケアルバム
- 童謡カラオケ (1987年12月10日。カセットのみ)
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上記のカバーアルバム『Magical 童謡 Tour』と収録曲は全く同じだが、全てカラオケ音源となっており、少年隊の歌は入っていない。
サウンドトラック
- ミュージカル プレゾン “ミステリー” 抜粋 (1986年10月30日。カセットのみ。フォトカード3枚封入)
- Duet (1986年11月28日。CDのみ)
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カセット販売のみだったカバーアルバム『BACKSTAGE PASS 〜 僕達のルーツはジャニーズから!』とサウンドトラック『ミュージカル プレゾン “ミステリー” 抜粋』を合わせてCD化したもの。
当作品はカバーアルバムとサウンドトラックアルバムを融合したものであるため、カバーアルバムの欄にも重複して記載。
- PRIVATE LIFE 〜Light & Shadow〜 (1987年4月28日)
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同日発売のビデオ&レーザーディスク『PRIVATE LIFE 〜Light & Shadow〜』のサウンドトラック。
LP、CD、カセットの3種ともに、コマ送り写真集付き。コマ送り写真集とは、いわゆるパラパラ漫画の写真集版。
- PLAYZONE ’87 TIME・19 ミュージカル・抜粋 (1987年10月28日)
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先着購入者10万名にはオリジナル下敷が付けられた。 また、LP版にはピンナップが3枚封入。
- PLAYZONE ’88 カプリッチョ −天使と悪魔の狂想曲− (1988年6月10日)
CD版にはアナザージャケット用のフォトカード3枚封入。カセット版にもフォトカード3枚封入。 同年8月23日には、金色のアルミケースに入った、24金蒸着のPURE GOLD CD盤(同じくフォトカード3枚入)も限定発売。 - PLAYZONE ’89 Again (1989年9月21日) 予約特典はAgainのロゴ入りの黒色の特製リボン
- PLAYZONE ’90 SHOW劇
MASK (1990年6月30日) - PLAYZONE ’94 MOON (1994年6月17日)
- PLAYZONE ’96 RHYTHM (1996年7月10日)
- PLAYZONE ’97 RHYTHM U (1997年7月21日)
- PLAYZONE 1998 5night's (1998年8月5日)
- PLAYZONE 1999 Goodbye & Hello (1999年7月7日)
- PLAYZONE 2000 “THEME PARK” (2000年8月2日)
- PLAYZONE 2001
“新世紀” (2001年8月1日) - PLAYZONE 2002 愛史 (2002年7月31日)
- PLAYZONE 2003 Vacation (2003年8月6日)
-
先着予約特典はポストカード3枚組。
- PLAYZONE 2005 〜20th Anniversary〜 Twenty Years ・・・そしてまだ見ぬ未来へ
(2005年8月10日) - PLAYZONE 2006 Change (2006年7月26日)
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初回生産分のみ、チェンジングカード封入。(角度によって「少年隊」、「共演者3人」と見え方が変わるカード)
- PLAYZONE 2007 Change 2 Chance 〜第1幕〜 (2007年9月5日)
-
「第2幕」のアルバムCDについては、ミュージカル出演者だった赤坂晃の不祥事を受けて急遽発売中止となった。
ベストアルバム
- BEST OF 少年隊 (EP:1988年2月20日、EP以外:3月10日。 1991年6月17日にCDでのみ再発)
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EP、LP、カセット、CDの4種類で発売。
EP版は、7inchのピクチャーレコード8枚を封入したBOX仕様。
LP版は、『少年隊メモリアルトーク』と『少年隊とおしゃべりデート』の2トラックを、付属の7inch EPに分けて収録。
CD版は、この2トラックも一枚に同時収録。 カセット版は、この2トラックは未収録。
その代わり、カセット版にはフォトカード7枚が封入されていた。 - 少年隊 35th Anniversary BEST (2020年12月12日)
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少年隊のデビュー35周年の日に、通常盤(3CD)と、完全受注生産限定盤(通販限定商品。5CD+7DVD+ブックレットのスペシャルBOX仕様)の2形態で発売。
CDには全てのシングル表題曲を収録。 また、アルバム曲などに加えて、初音源化曲や未発表曲も多数収録されている。
限定盤のDVDは、すべて初DVD化された映像。 そして限定盤のブックレットには、メンバー3人のインタビューも収録されている。-
なお、当作品は通常盤のCDのDisc 3にて、2箇所の誤植がある。
1つ目は、『あなたに今Good-by』(作詞:宮下智)のタイトルが、『あなたに今Good-bye』と誤植されている。
この曲が作られ、少年隊がテレビやコンサートで歌っていた1980年代は、タイトルが通常の英語の綴りである「Good-bye」ではなく、雑誌やテレビでの披露時においても全て「Good-by」となっていた。
映像作品『少年隊』、『NEW YEAR CONCERT ’87 SHONENTAI 武道館LIVE』でもやはり「あなたに今Good-by」でクレジットされている。
しかし、歌詞の中の「サヨナラさえ言わず 消えていったよ」、「とぎれた愛 Cut Out」にもあるように、「愛が突然途切れてしまい、サヨナラさえも完成せずにカットアウト」という意味を表した作詞家・宮下智のこだわりのタイトル表記「Good-by」が、時間と共に見過ごされてしまうようになり、1990年代以降にリリースされた映像作品『SPRING TOUR ’90』、『少年隊 10th ANNIVERSARY LIVE 1995〜1996』や、当ベストアルバム、そして嵐のライブビデオ『スッピンアラシ』などにおいては、通常の英語表記である「Good-bye」と誤植されるようになった。 他にも、誤植・誤表記が多いJASRACの検索データベースでは、『あなたに今GOOD−BYE』の表記で登録されている。
2つ目は、『感じだね・・・・・・デラ』。 この楽曲の1980年代当時の正式なタイトル表記は『感じだね・・・・・・デラ』だが、当ベストアルバムでは『感じだね......デラ』と誤ってクレジットされた。 なお、JASRACのデータベースでは、検索画面の「作品タイトル」の部分に「感じだね」と入力して検索するだけで曲名が出てくる。 一見『感じだね......デラ』の表記で登録されているように見えるが、これに関してはiTunesなどと同じく、サイトの仕様(CSSの「font-family」の設定)によって、「・・・」(3点リーダー)が強制的に下付き現象を起こし、「...」の表記に自動変換されてしまっているだけである。 検索結果として出てきた『感じだね......デラ』の表記をコピーし、改めてそれをJASRAC内の検索バーにペーストしてみることで、本来の『感じだね・・・・・・デラ』の表記が出現する。
オムニバスアルバム
- 青春歌年鑑 ’86 BEST30 (2000年11月22日、2枚組) 『仮面舞踏会』を収録
- 青春歌年鑑 ’87 BEST30 (2000年11月22日、2枚組) 『君だけに』を収録
- 続・青春歌年鑑 ’86 PLUS (2002年11月27日) 『デカメロン伝説』を収録
- 続・青春歌年鑑 ’87 PLUS (2002年11月27日) 『バラードのように眠れ』を収録
- 続・青春歌年鑑 ’88 PLUS (2002年11月27日) 『ふたり』を収録
- 続・青春歌年鑑 ’89 PLUS (2002年11月27日) 『まいったネ 今夜』を収録
- フジテレビ開局55周年記念 LEGENDARY SPORTS ANTHEM (2014年12月3日) 『湾岸スキーヤー』を収録
ソノシート
- PLAYZONE ’88 カプリッチョ −天使と悪魔の狂想曲− (1988年8月21日)
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少年隊のトークと、ミュージカルの中の2シーンが収録されたピクチャーソノシート。
カプリッチョのVHSビデオの初回限定版(BOX仕様)に、ミュージカル台本とセットで封入されていた。
レコード化されていない楽曲
コンサートで歌われた洋楽のカバーや、ミュージカル「PLAYZONE」シリーズ(CD発売の無い ’91〜 ’93、 ’95の舞台)で歌われた楽曲などに未音源化が多い。
- ロート製薬 「メンソレータム 薬用キャンパスリップ」 のCMソング (錦織ソロ)
- 50ccポマト (ゼロハン・ポマト。 植草が「サンデーズ」として歌っていた曲)
- ジェラシー・パレット (植草が「サンデーズ」として歌っていた曲)
- WE GOT THE BEAT (原曲:THE GO-GO'S)
- IN THE NAVY (原曲:ヴィレッジ・ピープル)
- KNOCK ME
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(英語曲。作詞:Bill Crutchfield、作曲:都倉俊一。
1982年11月20日に「第8回 ハワイ・ワールド・ミュージック・フェスティバル」にてこの曲を披露し、金賞と振り付け賞を獲得した。
その模様はアメリカのCBCで全米ネットワークされた。日本でも、1984年1月3日にテレビ東京で放映された)
- ブルドッグ (原曲:フォーリーブス。後に嵐〔大野、櫻井、松本〕もカバー)
- 踊り子 (原曲:フォーリーブス。後に嵐〔相葉、二宮〕がカバー)
- 急げ!若者 (原曲:フォーリーブス。振り付けが3パターン存在した)
- 夏のふれあい (原曲:フォーリーブス)
- 春風にイイネ! (シングルカットされる前の初期ボーカルバージョン)
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非売品ビデオ『少年隊 in TSUKUBA EXPO ’85』には収録されている。
- 1stコンサートでの楽曲や朗読詩
- HELP! (英語曲。原曲:ビートルズ。スローバラードにアレンジしてカバー)
- 質問の唄
- A DAY
- サンキュー
- ライアー
- ピース・オブ・マインド
- ジャクソンズ・メドレー (Shake Your Body 〜 Thriller 〜 All Night Dancin')
- ジャクソンズ・メドレー (今夜はDon't Stop 〜 Lovely One 〜 Heartbreak Hotel 〜 Things I Do For You)
- Can't Stop
- 空を飛べるか (歌ではなく詩の朗読。作:寺山修二、演出:萩原朔美)
- 母捨記 (ははすてき。 歌ではなく、東山 with ジャニーズJr.による詩の朗読。作:寺山修二、演出:萩原朔美)
- 天使たちの場所 (錦織ソロ)
- ある日曜日の物語 (植草ソロ)
- 危険な恋のムーンライト (錦織ソロ)
- Remember (錦織ソロ)
- 横浜ABC (ビデオでは植草がソロで披露。コンサートでは3人で披露)
- 恋は素早く (東山ソロ)
- レッスン風景 (インスト曲)
- New York City Night
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(英語曲。原曲:レイフ・ギャレット。 田原俊彦の『哀愁でいと』の原曲でもある)
- あなたに今Good-by (女性コーラス無しのバージョン)
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映像作品『少年隊』には、コーラス無しのバージョンが収録されている。
なお、表記は「Good-bye」ではない。理由は前述。
- アフリカーノ
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(※ NHK『レッツゴーヤング』での当初のクレジット「アフリカーン」は、NHKによる誤植。 原曲:アースウィンド&ファイアー。歌は無く、ダンスのみの曲。
元々は、ジャPAニーズの前身「ディスコ・メイツ」が1978年にこの曲を使ってダンスを披露していた)
- Summerならサンバ (別表記:サマならサンバ。 後に嵐〔相葉&二宮〕や、J.J.Expressがカバー)
- 君はToo Shy (英語曲。原曲:カジャ・グーグー)
- I Want You Tonight
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(英語曲。原曲:パブロ・クルーズ。元々は田原俊彦が先にカバーしていた)
- 三味線ブギ (原曲:市丸の『三味線ブギウギ』)
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ただし、アルバム『PLAYZONE ’97 RHYTHM U』にてメドレー収録はされた。
- 東京シャッフルBOY
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(旧タイトル表記『TokyoシャッフルBoy』。 ビデオ『
LA LA LA 』収録の英語曲。 作詞:Linda Hennrick、作曲:野村義男、編曲:船山基紀。
この後すぐに、野村が日本語詞を付けて『日本よいとこマカ不思議』に改題。 更に後に『日本よいとこ摩訶不思議』へと改題され、少年隊のデビューシングルのカップリング曲としてレコード化された。
なお、英語作詞者のLinda Hennrickは、1980年代に日本で活躍していた白人女性の作詞家) - 舞姫ノクターン (歌は無く、ダンスだけの曲。 ビデオ『
LA LA LA 』に収録) - ルール (インスト曲)
- Instant Replay (英語曲。原曲:ダン・ハートマン)
- サイレント・レディ
- I'm So Exited
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(英語曲。原曲:ポインター・シスターズ。元々は田原俊彦が先にカバーしていた)
- 君の瞳に恋してる
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(英語曲。原曲:ボーイズ・タウン・ギャング。フォーリーブスの時代からジャニーズ事務所で歌い継がれている伝統曲)
- Nowhere Fast (英語版)
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(原曲はFIRE INC.で、田原俊彦もこの曲をカバーしていた。少年隊はギターとベースを持ってバンド形式で歌唱。ただし実際に演奏はしていない)
- Nowhere Fast (日本語訳版)
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(上記のFIRE INC.『Nowhere Fast』を、青木としおが日本語訳した楽曲。
日本語版は男闘呼組の持ち歌だったが、一度テレビ番組で男闘呼組と少年隊のジョイントバージョンが披露された。
また、少年御三家、光GENJI、木村拓哉も、それぞれコンサートでカバーしている)
- CRAZY HORSES (英語曲。原曲:ザ・オズモンズ)
- ハッピーメドレー
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(英語曲。 曲目のパターンはいくつかあり、「ゲット・レディ 〜 サティスファクション 〜 ジャンピング・ジャック・フラッシュ」、「ゲット・レディ 〜 ハッピー・ピープル」など)
- 少年隊メドレー
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(英語曲。 ブラック・イズ・ブラック 〜 ゲット・レディ 〜 ワン・バッド・アップル)
- ローリング・ストーンズメドレー (I'm Alright 〜 Everybody Needs Somebody To Love 〜 Time Is On My Side 〜 Satisfuction 〜 Jumpin' Jack Flash)
- 笠置シヅ子メドレー
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(東京ブギウギ 〜 ジャングル・ブギー〔歌は無くダンスのみ〕 〜 ヘイヘイ・ブギ)
ただし、「東京ブギウギ」と「ヘイヘイ・ブギ」のみ、アルバム『PLAYZONE ’97 RHYTHM U』にてメドレー収録はされた。 - COOL (『WEST SIDE STORY』より) (英語曲)
- Night Night Knight (原曲:スペクトラム)
- Panama (原曲:ヴァン・ヘイレン)
- Dynamite (原曲:ジャーメイン・ジャクソン)
- Footloose (原曲:ケニー・ロギンス)
- I Can Dream About You (原曲:ダン・ハートマン)
- Let's Hear It for the Boy (原曲:デニース・ウィリアムス)
- パラダイス 〜 愛のテーマ (原曲:アン・ウィルソン & マイク・レノ)
- July Morning (錦織ソロ)
- 朝日のあたる家 (植草ソロ)
- Don't Tell Me Love Me (東山ソロ)
- We Got Together (原曲:ジョン・トラボルタ & オリビア・ニュートン=ジョン)
- Holding Out For A Hero (原曲:ボニー・タイラー)
- KAMIKAZE
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少年隊のデビューシングルの候補だった楽曲。 少年隊がボーカルを吹き込んだ『KAMIKAZE』のデモテープも存在する。
なお、この曲は後に後輩グループの「少年忍者」の持ち歌となった。
- 大漁唄い込み
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錦織ソロ。宮城県の民謡の歌詞アレンジバージョン。作詞:トム佐藤、編曲:小野寺忠和。後に鞆田紀世彦も『大漁』のタイトルでカバー。
- My Ever Changing Moods (錦織ソロ。1987年のコンサートで披露。原曲:スタイル・カウンシル)
- DREAM GIRLS (ミュージカル『PLAYZONE ’89 Again』)
- 19times (植草ソロ。ミュージカル『PLAYZONE ’89 Again』)
- Destiby (インスト曲。ミュージカル『PLAYZONE ’90 SHOW劇
MASK 』) - パーティーは終わったよ
- ミュージカル『PLAYZONE ’91 SHOCK』での楽曲
- SPECIAL RED (ミュージカルのオープニングテーマ。後にTOKIO、KinKi Kidsがカバー)
- 1991
- 1981 −
未来 への疾走− - TOUR
- OH MY GOD HELP ME!
- SHOW MUST GO ON
- MIDNIGHT DANCING 〜Heat Of Night〜
- TOGETHER
- MASS COMMUNICATION
- あの日・・・
- 白鯨のテーマ
- マヤカシ
- SOMETHING WONDERFUL
- We'll Be Together (TVオンエアバージョン)
-
ジャニーズ事務所 設立30周年記念特番『時代を駆ける栄光のアイドル達』(1992年8月、NHK-BS2)のエンディングテーマ曲。
CD音源(『PLAYZONE ’05 〜20th Anniversary〜 Twenty Years・・・』の再録バージョン)とはアウトロがわずかに異なっている。
- ミュージカル『PLAYZONE ’92 さらばDiary』での楽曲
- 夢は永遠に
- アポカリプス・ダンス (インスト曲)
- TWIST AND SHOUT
- PEPPERMINT TWIST
- SMOKE GETS IN YOUR EYES (植草ソロ)
- DO YOU WANNA DANCE?
- 嘆きの歌声
- 未来パフォーマンスダンス (インスト曲)
- 明日への階段
- 夢は永遠に −戦いが終わったら−
- 静かな歌声
- 受け継がれし出来事 (錦織ソロ)
- かがやきを忘れない (東山ソロ)
- 未来へ向かって
- ミュージカル『PLAYZONE ’93 WINDOW』での楽曲
- Work on works
- Call us please
- Today has gone (東山ソロ)
- リッチマンになろう (植草ソロ)
- 君と二人だけの朝 (錦織ソロ)
- Battle or pride (東山ソロ)
- Blue night (錦織ソロ)
- 普通に暮そう (植草ソロ)
- 胸の振子 (原曲は霧島昇。 作詞:サトウハチロー、作曲:服部良一)
- ミュージカル『PLAYZONE ’94 MOON』での楽曲
- SO MANY MOON
- ある少女の終曲 (インスト曲)
- 二番街の仲間 (インスト曲)
- 夜の虹 −MOONBOW− (東山ソロ)
- 夜の虹 U
- 夜の虹 V (東山ソロ)
- 夜の虹 W
- 僕のMoon Child (植草ソロ)
- ミュージカル『PLAYZONE ’95 KING & JOKER』での楽曲
- グロッキーとクッキー
- 二代目のブルース (インスト曲)
- Witches Party (インスト曲)
- KING & JOKER
- 愛はもう始まって (東山ソロ)
- 色あせた思い出 (錦織ソロ)
- 死への招待 (インスト曲)
- Always 〜これは恋なのか〜 (植草ソロ。ミュージカル『PLAYZONE 1998 5nights』)
- ミュージカル『PLAYZONE 1999 Goodbye & Hello』での楽曲
- DESTINY
- HEAVEN'S GATE
- 星空のParty
- 星のフラメンコ (錦織ソロ。原曲:西郷輝彦)
- ミュージカル『PLAYZONE 2000 “THEME PARK”』での楽曲
- Shining Days
- 限りない思い
- 夢をこの手に (植草ソロ曲)
- ミュージカル『PLAYZONE 2001
“新世紀” 』での楽曲- Seat And Bebop (植草ソロ)
- Oh!クリエス ! !
- someday
- CHASE (ミュージカル『PLAYZONE 2002 愛史』)
- Over Work (錦織ソロ。ミュージカル『PLAYZONE2005 〜20th Anniversary〜 Twenty Years・・・そしてまだ見ぬ未来へ』)
- ファンファーレ (インスト曲。ミュージカル『PLAYZONE2005 〜20th Anniversary〜 Twenty Years・・・そしてまだ見ぬ未来へ』)
- Put On a Happy Face (ミュージカル『PLAYZONE FINAL 1986〜2008 SHOW TIME Hit Series Change』)
- 他多数・・・
映像作品 (ビデオ、Laser Disc、VHD、DVD)
- 少年隊 (1984年5月21日)
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VHS・Beta・Laser Disc。 価格:8,400円 (発売された19「84」年に合わせてこの価格となった)。
レコードデビュー前の少年隊の楽曲が聴ける貴重なMV集。 キャッチコピーは「映像は言葉を超えた ! !」。 週間オリコンビデオチャート1位。
ビデオの初回生産分3万本は、特典としてメンバーがプリントされた缶ケース入りとなっており、同時特典として、A1サイズの大型ポスターも貰えた。 また、初回版・通常版ともにオリジナルステッカーが封入されていた。
- 明星オリジナル・ビデオ 「少年隊 in TSUKUBA EXPO ’85」
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(VHS・Beta。雑誌『月刊明星』の懸賞でプレゼントされた非売品ビデオ。約15分作品。1985年)
内容は、少年隊の3人が「科学万博・つくば ’85」の会場内を駆け回っているだけの映像だが、『急げ!若者』、『三味線ブギ』、『あなたに今Good-by』(女性コーラス入りバージョン。なお、表記は「Good-bye」ではない。理由は前述)、『春風にイイネ!』の4曲がBGMとして使用されており、『春風にイイネ!』の初期ボーカルバージョンは、このビデオでしか聴くことが出来ない。
なお、NHK『レッツゴーヤング』にて『三味線ブギ』を歌った時の映像も一部使われている。 LA LA LA -
VHS・Beta:1986年7月7日、Laser Disc:同年8月25日。 カラーピンナップ、LAイラストマップ封入。 予約特典は、ロサンゼルスでの出来事をメンバーが一人ずつ語るカラーピクチャー仕様のシングルレコード『WAKE UP!』。
ロサンゼルスロケ作品。 キャッチコピーは「ハンバーガーのような1日」。
『LAらLAらLAら』という凝ったデザインのタイトル表記のせいで、「らららららら」と間違えて読まれてしまいがちだが、「LA」に対して「ら」の読み仮名が付いているだけなので、正しい読み方は「ららら」。
下記の映像作品『PRIVATE LIFE 〜Light & Shadow〜』と合体させた、台湾制作の海賊版DVDも存在する。
- PLAYZONE ミュージカル“MYSTERY” (VHS・Beta:1986年9月5日、2枚組LD:同年10月30日)
- NEW YEAR CONCERT ’87 SHONENTAI 武道館LIVE (VHS・Beta・LD、1987年2月25日)
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同年1月1日に日本武道館で開催されたコンサートを収録。 台湾制作の海賊版DVDも存在する。
- LD Single版 「NEW YEAR CONCERT ’87 SHONENTAI 武道館LIVE」 (LD、1987年。全4曲。約16分。30PL-2002)
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上記の武道館LIVEから、『仮面舞踏会』、『SILENT LADY』(植草メインボーカル、コーラス:錦織)、『HEARTS』(東山ソロ)、『FRIDAY NIGHT』(錦織ソロ)の4曲を抜き出し、「LD Single」として従来のLDサイズより一回り小さいLD規格でリリース。
- PRIVATE LIFE 〜Light & Shadow〜 (VHS・Beta・LD、1987年4月28日)
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上記の映像作品『
LA LA LA 』と合体させた、台湾制作の海賊版DVDも存在する。 - 立体ビデオディスク 「CUBIC FANTASY」 (VHD、1987年5月21日。24分3秒の全編立体映像作品)
- PLAYZON ’87 TIME・19 THE PREVIEW (VHS・Beta、1987年7月17日)
- PLAYZON ’87 TIME・19 (VHS・Beta:1987年9月7日、2枚組LD:10月30日)
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LD版では上記の「THE PREVIEW」も収録。
- SILENT DANCER (VHS・Beta、1988年4月2日)
- PLAYZONE ’88 カプリッチョ −天使と悪魔の狂想曲− (VHS・Beta・2枚組LD:1988年8月21日)
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発売時のキャッチコピーは、「もっと少年隊」。
VHS・Betaの初回限定版は大きなBOX仕様となっており、VHSビデオの他に、ミュージカル台本とピクチャーソノシートがセットになっていた。 ソノシートには少年隊のトークと、ミュージカルの中の2シーンが収録されている。 - じれったいね / 続・じれったいね (海外版) (VHS・Beta、1988年12月24日)
- PLAYZONE ’89 Again (VHS・Beta・2枚組LD、1989年9月21日)
- SHONENTAI Dinner Show (VHS・LD、1990年3月25日)
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予約特典はオリジナルワイングラス。
台湾制作の海賊版DVDも存在する。
- SPRING TOUR ’90 (VHS・LD、1990年8月8日)
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同年5月6日に行われたコンサートを収録。
台湾制作の海賊版DVDも存在する。
- PLAYZONE ’90 SHOW劇
MASK (VHS・2枚組LD、1990年9月12日)-
先着予約特典は「少年隊MASK特製コンパクト手帳」。
- PLAYZONE ’91 SHOCK (VHS:1991年9月26日、2枚組LD:10月21日)
- SPRING TOUR ’92 (VHS・LD、1992年7月10日)
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同年4月12日の東京厚生年金会館でのコンサートを収録。
- PLAYZONE ’92 さらばDiary (VHS:1992年10月7日、2枚組LD:10月21日)
- 少年隊 Dinner Show 愛と勇気 (VHS・LD、1993年4月27日)
- PLAYZONE ’93 WINDOW (VHS:1993年10月6日、2枚組LD:10月21日)
- PLAYZONE ’94 MOON (VHS:1994年10月7日、2枚組LD:10月21日)
- PLAYZONE 10Yrs KING & JOKER (VHS:1995年10月4日、2枚組LD:10月20日)
- 少年隊 10th ANNIVERSARY LIVE 1995〜1996 (VHS・LD、1996年5月6日)
- PLAYZONE ’96 RHYTHM (VHS:1996年10月2日、2枚組LD:10月18日)
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※ 1997年11月22日に、『MYSTERY』から『RHYTHM』までのPLAYZONEシリーズ11作品をジャニーズ・エンターテイメントより紙パッケージ(’96のみプラケース)でVHSで再発売。
『RHYTHM』以外は、本編前にメンバーによる各作品へのコメントが新たに収録されている。
また、エンドロール(出演者・スタッフのクレジット)での映像が、本編のダイジェスト映像に差し替えられている。
- PLAYZONE ’97 RHYTHMU (VHS・2枚組LD、1997年10月22日)
- SHONENTAI 1998.1.16,17 TOKYO TAKARAZUKA THEATER (VHS、1998年4月29日)
- PLAYZONE 1998 5night's (VHS・2枚組LD、1998年10月28日)
- PLAYZONE 1999 Goodbye & Hello (VHS・2枚組LD、1999年10月20日)
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レーザーディスクの発売はここまで。
- PLAYZONE 2000 “THEME PARK” (VHS、2000年10月25日)
- PLAYZONE 2001
“新世紀” (VHS・2枚組DVD、2001年10月24日)-
ここからDVDもリリースされるようになった。
- 少年タイヤPresents SHONENTAI SELECT SONGS (VHS・DVD、2001年12月21日、コンビニ限定販売)
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バラエティ番組『少年タイヤ』(2001年、フジテレビ)内のカバーソングコーナー「セレクトソング」を集めて収録した作品。
60分。 メッセージ入りポストカード封入。
- PLAYZONE 2002 愛史 (VHS・2枚組DVD、2002年10月23日)
- PLAYZONE 2003 Vacation (VHS・2枚組DVD、2003年10月22日)
- PLAYZONE 2005 〜20th Anniversary〜 Twenty Years ・・・そしてまだ見ぬ未来へ
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(VHS・2枚組DVD、2005年10月29日。
VHSは初回限定版〔円柱BOX仕様でオリジナルタオル封入〕の1種。
DVDは初回限定版〔円柱BOX仕様でオリジナルタオル封入〕と通常版の2種)
- PLAYZONE 2006 Change (VHS・2枚組DVD、2006年10月24日)
- PLAYZONE FINAL 1986〜2008 SHOW TIME Hit Series Change
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(2枚組DVD、2009年3月4日。初回限定版〔BOX仕様で80Pのブックレット付き〕と通常版の2種)
- 少年隊 35th Anniversary PLAYZONE BOX 1986-2008 (完全受注生産限定盤) (2020年12月12日。通販限定商品)
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DVD 22枚と、32Pのブックレットが入ったスペシャルBOX仕様。
未DVD化だった2000年までのPLAYZONEと、発売中止のままだった『PLAYZONE 2007 Change 2 Chance』が初DVD化となった。
ただし個別発売はされていない。
また、版権によって未DVD化だった『PLAYZONE ’04 WEST SIDE STORY』だけは、やはりDVDされなかった。
- 少年隊 35th Anniversary BEST (完全受注生産限定盤) (2020年12月12日。通販限定商品)
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少年隊のデビュー35周年の日に、5CD+7DVD+ブックレットのスペシャルBOX仕様で発売。
7枚のDVDの収録映像は、すべて初DVD化映像。 なお、通常盤の方にはDVDは付かない。
書籍
ムック
- マイアイドル特別編集 ジャニーズ少年隊写真集 (1984年4月、小学館)
- マイアイドル特別編集 少年隊 スペシャル グラフィティ (1986年1月、小学館)
- Duet創刊1周年記念 少年隊写真集 (1988年2月、集英社)
- JOHNNY'S VISUAL SENSATION (1995年1月23日、オリコン)
写真集
- 明星特別編集 少年隊写真集 ADVENTURE BOYS AROUND THE WORLD (1985年4月、集英社)
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写真集のキャッチコピーは、「地球は、ぼくらのステージさ!」。
非売品パンフレット
- 少年隊 (1985年、ワーナー・パイオニア。レコードデビュー時の宣材パンフレット)
- SUNBURN (1986年9月、ワーナー・パイオニア。薄いパンフ型写真集。カリフォルニアロケ作品)
少年隊をモデルにした漫画
- スターまんが とべ!ジャニーズ少年隊 (きさらぎあい 著。『小学五年生』1984年1月号。小学館)
- スターまんが 少年隊 ホップ・ステップ・ジャンプ物語 (灘しげみ 著。『小学五年生』1984年7月号。小学館)
- スターまんが 少年隊ストーリー (吉村明美 著。『小学六年生』1986年8月号。小学館)
- SHONENTAI (竹宮恵子 著。少女漫画)
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1986年12月21日に発売された少年隊のミニアルバム『WONDERLAND』に、LP、CD、カセットの3種ともに封入された特典漫画。
関連書籍
- 令和の少年隊論 (編集:WE LOVE SHONENTAI編集部、2021年12月12日、アチーブメント出版)
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ボビー吉野、鎌田俊哉、松井五郎らもインタビュー・寄稿協力。
グッズ
テレホンカードセット
- SHONENTAI Card Collection (1988年、テレホンカード8枚組)
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シングルレコードのジャケット写真のテレホンカードセットで、BOX入りのブックレット仕様。
採用されたシングルは以下の8点。
- 仮面舞踏会
- デカメロン伝説
- ダイヤモンド・アイズ
- バラードのように眠れ
- STRIPE BLUE
- 君だけに
- ABC
- ふたり
- 少年隊 10th ANNIVERSARY CONCERT 1995〜1996 (グループ写真1枚、ソロ3枚の計4枚セット)
目覚まし時計
- SOUNDMAIL 少年隊 (1988年4月12日発売、服部セイコー)
パロディ
- 筋肉少年少女隊 (筋肉少女帯の旧名)
- いいとも青年隊
- 少女隊
- おめで隊
- ソバンチャ
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日本語訳:消防車。 1987年に結成された、韓国で初の男性アイドルグループ。
少年隊が韓国や台湾でも人気を得ていたことから、大成企画の社長だったイ・ホヨンが韓国にもジャニーズのようなアイドルを発展させるべく、少年隊を基準にして作り上げたグループ。
- 小虎隊
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シャォフードゥイ。 英名:The Little Tigers。 少年隊の影響を受けて1988年10月に結成された台湾の男性アイドルグループ。
デビュー曲『青蘋果樂園』も、少年隊のシングル『What's your name?』のカバーだった。
- ニッキー・カルキン、カーツ・ウェクサー、ノリユキ・オストベルク
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吉岡
平 の1995年〜1996年のライトノベル『無責任カルテット』(全5巻)に登場するキャラクター。 少年隊の3人の名前が元ネタとなっており、ニッキー・カルキンはマコーレー・カルキンとも掛けられている。 なお、この小説にはSMAPのメンバーの名前をネタにしたキャラクター(カイ・マサヒコ、ラヤ・キムターク、ゴロン・イノセント、カッツ・モリガン、キヨシ・サナギ、シン・カトリ)も登場する。 - 天草四郎と島原DE乱れ隊
-
2012年8月〜9月にテレビ神奈川の歴史バラエティ番組『戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜』内のコーナー「MUSIC TONIGHT」に登場した、長崎県島原出身という設定のアイドルグループ。
オリジナル曲は『シマバラン伝説』。 衣装、歌、ダンスに至るまで、少年隊を丸パクりしたグループ。
メンバーは相葉裕樹 (天草四郎役)、村井良大 (大矢野松右衛門役)、加藤真央 (森宗意軒役)の3名。
また、同番組からはたのきんトリオのパロディ「ホトきんトリオ」と、光GENJIのパロディ「SHICHIHON槍」も登場している。
ジャニーズ少年隊
ジャニーズ少年隊とは、少年隊の前身グループ。
活動期間は1981年から1984年5月20日まで。
田原俊彦や近藤真彦のバックダンサーを務めたこともあった。
- 1981年当時、まだ20〜30人ほどしか居なかったジャニーズJr.に対し、ジャニー喜多川は「ジャニーズ少年隊」の別称を与えていた。
その中からダンスの上手い代表的な4名(錦織、植草、東山、松原)が抜擢されてグループを結成。
この4名で、近藤真彦のハウス食品「ロッカッキー」の第3弾CMにバックダンサーとして出演した。
また、同年8月に開催された「たのきんファミリー・バカンス ハローツアー」(『月刊明星』で参加者を募集したファンツアー。行き先はハワイとロサンゼルス。 主催:小西六写真工業)にも、たのきんトリオ、ひかる一平と共に同じ4名(錦織、植草、東山、松原)で同行した。
- 帰国後、東山が高校受験のために活動を一時休止。
サポートメンバーの鈴木則行を加えた4名で、同年9月より、ひかる一平主演の映画『胸さわぎの放課後』の撮影に入る (公開は1982年4月17日)。
同時期のひかる一平の歌謡ショーでも4人でバックを務めた。
(左から、松原、錦織、ひかる、植草、鈴木)
- 1981年10月6日から始まったテレビ東京のバラエティ番組『ザ・ヤングベストテン』に、錦織、植草、松原の3名で「Bチーム」というグループ名でレギュラー出演を開始。
(グループ名は1982年3月から元の「ジャニーズ少年隊」へと戻された。 なお、対する「Aチーム」の方は後のシブがき隊だった)
- 以後、映画やCM、雑誌などで活躍する中、松原は1982年4月スタートのテレビドラマ『3年B組貫八先生』に出演が決定。 一方、ジャニーズ少年隊としてはTBSのバラエティ番組『ピンキーパンチ大逆転』へのレギュラー出演が決まり、松原だけがグループのスケジュールと合いづらくなるため、松原は1982年3月にジャニーズ少年隊を脱退。 そして松原と入れ替わりで、高校受験を終えて戻ってきた東山が、再び「ジャニーズ少年隊」のメンバーとして復帰した。
- 1984年5月21日、ビデオ『少年隊』の発売を機に、グループ名が「ジャニーズ少年隊」から正式に「少年隊」となった。
メンバー
脱退メンバー
サポートメンバー
- 鈴木則行 (映画『胸さわぎの放課後』、ひかる一平の歌謡ショー、1982年初頭の近藤真彦のコンサートツアーにのみ参加)
メンバー変遷
- 錦織、植草、東山、松原 (1981年)
- 錦織、植草、松原 (1981年9月〜1982年3月)
-
サポートメンバー:鈴木
- 錦織、植草、東山 (1982年3月〜1984年5月20日)
関連項目
外部リンク
- ニッキとかっちゃんねる
- X (旧Twitter) (2021年9月16日 - )
- YouTubeチャンネル (2021年9月16日 - )
- 令和の少年隊論 - X (旧Twitter) (2021年11月15日 - )
- 『It's SHOWTIME!』
- ラジオ番組制作実行委員会【公式】 - X (旧Twitter) (2021年3月23日 - )
- Q&A - X (旧Twitter) (2021年6月11日 - )
- ラジオ広報STAFF - X (旧Twitter) (2021年12月2日 - )
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