忍者
忍者(にんじゃ)は、かつてジャニーズ事務所に所属していた男性アイドルグループ。 別名義:Ninja、四銃士。
1985年7月結成 (当初のグループ名は少年忍者)。 1997年秋に自然消滅。
メンバー
- 柳沢超 (やなぎさわ すすむ、1967年3月7日生まれ) リーダー
- 正木慎也 (まさき しんや、1969年5月29日生まれ) リードボーカル
- 遠藤直人 (えんどう なおと、1969年4月20日生まれ)
- 高木延秀 (たかぎ のぶひで、1970年3月11日生まれ)
脱退メンバー
追加候補メンバー
概要
- 中村繁之の1985年7月24日のソロレコードデビューに際し、少年隊のバックで踊るジャニーズJr.「少年隊ジュニア」の中からピックアップされたメンバーによって、中村のバックダンスグループとして結成された。
事務所内では当初、「シゲダン」という俗称で呼ばれていたが (これについては忍者のメンバーがラジオ番組『忍者、ナン者、モン者 ! !』にて言及)、同年9月17日からのバラエティ番組『おじゃまします』(TBS)へのレギュラー出演開始と共に、ジャニー喜多川がグループ名を「少年忍者」と命名。
このネーミングは、以前テレビ番組に中村繁之が出演した際、バックで踊るジャニーズJr.(シゲダン)が身軽にアクロバットをこなす姿を見て、共演者の片岡鶴太郎が「まるで忍者みたいな奴らだな!」と発言したのをジャニー喜多川が気に入ったことがきっかけだった。
以後、少年忍者は少年隊のバックを務めたり、光GENJI、男闘呼組と共に「少年御三家」としても活動した。
- 1988年春、光GENJIに対抗してグループ名を「平家蛍」に改名してレコードデビューさせる案がジャニー喜多川によって持ち上がるが、実現はせず、デビューも保留となり、この年は男闘呼組がレコードデビューした。
- 1989年2月頃、中村亘利が脱退。(少年忍者と並行して中村が参加していた「CHA-CHA」の方の活動が忙しくなったため)
中村の穴埋めに外人のメンバーを加入させるという案も持ち上がったが、同年7月〜8月の少年隊ミュージカル『PLAYZONE ’89 Again』より、「平家派」のメンバーだった古川栄司が抜擢された。
- 1990年春、CDデビューに備え、グループ名を新たに「忍者」に改名。
きっかけは、1990年3月30日にアメリカで公開された実写映画『ミュータント・タートルズ』(原作漫画:ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ)がちょうど話題を呼んでいたため、世界に通用する名前になるように、「少年忍者」から簡潔な「忍者」へ短縮された。
- 同年8月22日、日本コロムビアより『お祭り忍者』でCDデビュー。
キャッチフレーズは「世界は“NINJA”を待っている。」(ザ・タイガースの映画『世界はボクらを待っている』からジャニー喜多川が引用)。
また、デビューシングル用のコスチュームデザインを手がけたのは『コブラ』などの代表作を持つ漫画家・寺沢武一だった。
デビュー曲は美空ひばりの『お祭りマンボ』をリメイクした楽曲であり、当時「日本の伝統文化を取り入れた、演歌のような楽曲も歌えるアイドル」という形でデビューした。 この流れは後に、後輩グループの関ジャニ∞にも引き継がれた。
- 1990年当時、史上最短記録のデビュー4ヶ月で、NHK紅白歌合戦への初出場を果たす。(その後TOKIO、WaTらが記録更新)
- 1992年、映画『トイ・ソルジャー』の日本語吹替版ビデオにて、メインキャラクターたちの声を6人が担当。
- 1994年、志賀と古川が事務所を解雇され、グループを脱退 (詳細はそれぞれ個人の項目を参照)。
2人が抜けた穴を埋めるため、ジャニー喜多川はジャニーズJr.の坂本昌行と井ノ原快彦を加えようとしたが、どちらも忍者入りを拒否。
以降は残りの4名だけで活動。
- 同年10月17日、別名義での企画グループ「四銃士」を結成し、テレビ朝日『94FIVBワールドスーパー4バレー』のイメーゾソング「DO YOUR BEST」をリリース。
- 1995年12月1日、ラストシングル『たとえ君が嘘をついても』を「Ninja」名義で発売。 更に1996年1月20日に、ラストアルバム『Hi La Ri』を、やはり「Ninja」名義で発売。
- 1997年11月9日、京都・シアター1200にて行われた『KYO TO KYO ’97秋公演』に、4人揃ってゲスト出演。 「忍者」としてのグループでの活動は、この日が事実上最後となり、自然消滅した。
「(有)ジェイステーション」が年4回発行していた季刊誌『ジャニーズマガジン』でも、「忍者」名義で掲載されたのは1997年7月20日発行の第26号が最後で、同年10月20日発行の第27号以降には掲載されていない (ソロで掲載されることも無かった)。 なお、『ジャニーズマガジン』は毎回巻末にファンクラブや情報局の案内ページが設けられており、そのページでのみ、元・忍者の各メンバーを示す意味で「忍者」の表記が使われていたが、それも1998年7月20日発行の第30号を最後に無くなった。
エピソード
- かつて存在した忍者のファンサイトの情報によると、1989年2月頃に中村亘利が「CHA-CHA」の活動の方を優先して少年忍者を脱退する際、メンバーから袋叩きに遭い、高木延秀が慌てて仲裁に入ったという逸話がある。
- デビューした年には、各音楽祭の新人賞を総なめにする。
ただし、「日本レコード大賞」においては、同年に「演歌・歌謡曲部門」と「ポップス・ロック部門」の2部門に分けられ、合計4アーティストに新人賞が送られることとなった。 ジャニーズ事務所としては、「演歌・歌謡曲部門」の歌謡曲枠で忍者の入賞を希望したにもかかわらず、「ポップス・ロック部門」のポップス枠での受賞となった。
これに対して事務所側は非常に不満を持っていると、当時の日刊スポーツなどで報じられた。 事実、これを機にジャニーズ事務所のタレントは賞レースから撤退することとなった。
- デビューシングル『お祭り忍者』、2ndシングル『リンゴ白書』、そして藤子・F・不二雄アニメ『21エモン』の主題歌にもなった3rdシングル『お〜い!車屋さん』までの初期3作品は、美空ひばりの歌をリメイクした楽曲であった。
- CDデビューまでしたもののファンクラブは作られず、ただの「情報局」しか無かった。 また、コンサートを行ってもパンフレットは一度も制作して貰えなかった。
- メンバーの中では正木、次いで古川の2名が、特に人気が高かった。
- 女性お笑いコンビ「オセロ」の松嶋尚美が、正木慎也の追っかけをしていたことをテレビや雑誌で度々告白している。
自身が芸能界入りした後も、正木が舞台に出演する際には毎回花を贈っていた。
他には、元アイドルの中嶋美智代も正木のファンであった。
また、女優の吉野公佳も、かつては古川栄司の追っかけをしていたことで知られている。
- 忍者が着ていた衣装は、後に後輩たちに受け継がれることがある。
山口達也は、TOKIOのコンサートのソロコーナーの際、かつて忍者のシングル『君に御中 (WANT YOU)』で古川栄司が着ていた衣装を着用した。 また、「嵐」の5人もかつて忍者が1stコンサートで着ていたフリフリのギャザー付きの衣装を、同じくコンサートで着用している。
- 忍者というグループは、メンバー内でも、また、追っかけのファン同士の間でも、非常にイジメが多かったと言われている。
- 2010年8月9日、元メンバーが恵比寿で同窓会を開き、柳沢、正木、遠藤、そして中村亘利の4名が会合した。 幹事は正木。 正木と柳沢に関しては、約13年ぶりの再会だった。
主な出演作品
バラエティ番組
- コント山口君と竹田君のおじゃまします (1985年9月17日 - 11月1日、TBS)
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新宿駅東南口の新宿国際会館ビル5階のストリップ劇場「新宿ミュージック劇場」を改装し、1985年8月10日に開場したばかりの喜劇常打ち小屋「新宿コメディシアター」からの生放送。
制作:東阪企画、演出:澤田隆治。
低視聴率のため、わずか1ヶ月半という超短命で早々に打ち切りとなり、最終回では演出の澤田が視聴者に、番組打ち切りの旨を謝罪発表した。
(新宿コメディシアターは1990年頃に閉場し、カラオケBOX店「747」に。 その後、2014年8月にビル自体が解体され、2017年6月竣工の新ビルにはパチンコ店「ベガスベガス新宿東南口店」と、ドン・キホーテ新宿東南口店が入った) - アイドル花組おとこ組 (1986年1月8日 - 3月26日、日本テレビ)
- ここんちプラネッと! (1986年、テレビ東京)
- ロッテ 歌のアルバムNOW (TBS)
- ヤングスタジオ101 (NHK総合)
- マクドナルドクイズスタジアム (1986年12月、日本テレビ)
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神宮球場で男闘呼組の楽曲『フィクションストーリー』のバックダンスを担当。
- 歌え!アイドルど〜む (1987年10月4日 - 1988年9月25日、テレビ東京)
- ニッポン快汗マップ ガムシャラ十勇士 ! ! (1987年10月9日 - 1988年3月25日、日本テレビ)
- 夜のヒットスタジオ (フジテレビ)
- 1988年01月13日 - 『KAMIKAZE』
- 1988年02月10日 - 新高輪プリンスホテルより生中継された放送1000回達成記念スペシャルに出席
- 1989年09月14日 - 『What's your name?』(東山紀之のバック。同日に田原俊彦、近藤真彦も出演。少年忍者は近藤の歌の最中にもステージ後方の階段で応援ダンサーとして参加)
- 1989年01月11日 - 『じれったいね』 (少年隊のバック)
- 1989年05月03日 - 『少年隊メドレー (デカメロン伝説 / STRIPE BLUE / バラードのように眠れ / SILENT DANCER / ABC)』 (少年隊のバック。会場は横浜アリーナ)
- 1989年09月20日 - 『ダーティー・ヒーロー』 (東山紀之のバック)
- 1990年08月22日 - 『お祭り忍者』
-
当日は錦織一清、諸星和己、中居正広、木村拓哉の4名が応援に駆けつけた。
なお、この日の歌の最中、高木と古川が左右から連続バック転で交差する際に、ちょうど高木の左ヒザと古川の頭部が衝突してしまうという事故が起こる。
2人ともすぐに起き上がり、何とか最後まで歌いきったものの、高木は左ヒザのダメージが大きく、曲が終わるまでの間、数箇所に渡って足元がフラついている様子が映し出された。
この日以降、連続バック転での交差は中止になり、高木が連続バック転する横を、古川は進路を見極めながら、ロンダートからのバック宙1回だけに変えられた。 しかし、高木の足のダメージは数日間続き、衝突事故から2日後の『ミュージックステーション』でも、左足をかばいながらの状態だったため、高木はグループの中で一番アクロバットが得意だったにもかかわらず、バック宙の度に着地に失敗する痛々しい姿が映し出された。
- ミュージックステーション (テレビ朝日)
- 1988年01月22日 - 『KAMIKAZE』
- 1988年03月04日 - 『SILENT DANCER』 (錦織一清のバック)
- 1988年09月23日 - 『What's Your Name?』 (東山紀之のバック)
- 1988年10月21日 - 『愁列車』 (ゲストリードボーカル:鞆田紀世彦。バックダンサー:桑名兼司、松元治郎。和太鼓:関裕通)
- 1988年12月09日 - 『じれったいね』 (少年隊のバック)
- 1988年12月23日 - 『じれったいね』 (少年隊のバック)
- 1989年01月27日 - 『じれったいね』 (少年隊のバック)
- 1989年03月17日 - 『少年隊メドレー (デカメロン伝説 / STRIPE BLUE / バラードのように眠れ / SILENT DANCER / ABC)』 (少年隊のバック)
- 1989年03月31日 - 『じれったいね』 (少年隊のバック)
- 1990年07月06日 - 『FUNKY FLUSHIN'』 (少年隊のバック)
- 1990年08月03日 - 『お祭り忍者』
- 1990年08月24日 - 『お祭り忍者』
- 1990年09月07日 - 『お祭り忍者』
- 1990年11月02日 - 『お祭り忍者 / ヨイショッ! / 笑ってよ』 (光GENJI & 忍者)
- 1990年11月30日 - 『お祭り忍者』
- 1991年01月18日 - 『リンゴ白書』
- 1991年05月31日 - 『おーい!車屋さん』
- 1991年10月25日 - 『秘・美・子』
- 1994年11月04日 - 『DO YOUR BEST』 (四銃士)
- スーパーJOCKEY (日本テレビ)
- 1988年6月19日
- 1990年8月12日 - 『お祭り忍者』
- 他多数
- 歌え!ヒット・ヒット (1989年3月19日、テレビ東京) 『愁列車』を披露
- フラッシュ&ジャンプ (少年隊、光GENJI、男闘呼組、SMAP、平家派と共に出演した音楽番組)
- 1989年6月11日:NHK BS2、7月22日:NHK総合
- 1989年9月24日:NHK BS2、10月10日:NHK総合
- 1990年2月1日:NHK BS2、2月11日:NHK総合
- 1990年7月7日:NHK BS2、7月21日:NHK総合
- 天才・たけしの元気が出るテレビ ! ! (日本テレビ)
- 「先輩アイドルを超えろ・忍者」 (1990年7月22日、主演:正木)
- 「忍者卒業式」 (1990年7月29日、主演:高木)
- 「忍者試練」 (1990年8月26日、主演:志賀)
- 「輝け 第1回 追っかけマラソン」(1992年、高木は欠席)
- ヤンヤンもぎたて族 (1990年、テレビ東京) 準レギュラー
- 東京イエローページ (1990年8月22日、第45回、TBS) ゲスト出演
- 満員御礼!学園キッズ (1990年 - 1991年、テレビ東京) 準レギュラー
- 第41回 NHK紅白歌合戦 (1990年12月31日、NHK総合) 『お祭り忍者』を披露
- 新春ヤングミュージカルバラエティ 光GENJI・忍者・SMAPの今年は羊も空を翔ぶ (1991年1月3日、テレビ東京)
- 徹子の部屋 (1991年2月11日、1992年3月27日、テレビ朝日)
- 愛ラブSMAP! (テレビ東京)
- さんまのまんま (1991年3月11日、フジテレビ)
- SMAPの学園キッズ (1991年、テレビ東京) 準レギュラー
- さんまのまんま 300回突破 ! ! 記念スペシャル (1991年10月12日、フジテレビ)
- ビートたけしの痛いの痛いのうれしいな ALL STAR 熱血大賞
(1992年1月9日、日本テレビ) - 第11回 爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル (1992年3月31日、フジテレビ)
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忍者はフォーリーブスのものまねで『地球はひとつ』を披露。 1回戦で負けてしまったが、熱演賞をもらった。
- 第24回 オールスターものまね王座決定戦スペシャル (1992年9月28日、フジテレビ)
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1回戦で敗退。 郷ひろみのまねで『お嫁サンバ』を披露。
- 第13回 爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル (1993年3月30日、フジテレビ)
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2回戦目で敗退。 1回戦目は横浜銀蠅のまねで『ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)』、2回戦目はザ・ドリフターズのまねで『いい湯だな』を披露した。
- 第25回 オールスターものまね王座決定戦スペシャル (1993年10月5日、フジテレビ)
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2回戦目で敗退。 1回戦目は一世風靡セピアのまねで『前略、道の上より』、2回戦目はチェッカーズのまねで『ギザギザハートの子守唄』(リードボーカルは古川)を披露した。
- 新春特番! オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦 ! ! (1994年1月2日、フジテレビ)
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忍者は自分たちのものまね披露以外に、ダチョウ倶楽部が披露した少年隊のものまね『仮面舞踏会』にてバックダンサーも務めた。
- 第15回 爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル (1994年4月5日、フジテレビ)
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2回戦目で敗退。 1回戦目はC-C-Bのまねで『Romanticが止まらない』(リードボーカルは古川)、2回戦目はヴィレッジ・ピープルのまねで『Y.M.C.A.』を披露した。
- 輝け!第一回 スター&ちびっこカラオケ対決! (1994年)
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まだSPEEDが結成される前の、10歳の今井絵理子が歌うTRFのカバー曲『EZ DO DANCE』のバックダンサーとして出演 (高木以外の5名)。
- ザ・スターボウリング (テレビ東京)
- ファイターズR&B (テレビ埼玉)
- アイドルオンステージ (NHK-BS2)
- BANG! BANG! BANG! (1996年、フジテレビ) - 柳沢、正木、遠藤
映画
- 少年武道館 (1988年2月20日、東宝)
- トイ・ソルジャー (1992年1月21日、松竹ホームビデオ) 日本語吹替版ビデオにて声優出演
- 天使のウィンク 日光猿軍団 (1995年3月25日、ヒーロー)
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主演:高木。 柳沢、正木、遠藤の3名も友情出演。
当初の仮題は『モンキートーク 天使のウィンク』。
Vシネマ
- バトル・チャレンジャー / 激走 (1993年5月14日、東映ビデオ)
ラジオ
- 少年忍者のMidnight War (1989年4月16日 - 、文化放送)
- 忍者、ナン者、モン者 ! ! (ABCラジオ)
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高槻会館、宇治文化センター、あやめ池遊園地など、様々な場所で公開録音が行われた。 1994年春には内海光司がゲスト出演。
- 錦織一清のスーパーギャング (1990年夏、TBSラジオ) ゲスト出演
- メゾン・ド・アイドル となりのハチャメちゃん (1990年、文化放送) ゲスト出演
- 超学生ハビタ となりのハチャメちゃん (1990年 - 1991年、文化放送) ゲスト出演
- 忍者の今夜もお祭り (1990年10月27日 - 、文化放送)
- 忍者のハート・ロック 三十分一本勝負 ( - 1992年4月4日、文化放送)
舞台
- ミュージカル・アドベンチャー 「ザ・サスケ」 / ヒット・パレード (1985年4月27日 - 5月6日、梅田コマ劇場)
- 『少年隊ミュージカル PLAYZONE (プレゾン)』シリーズ
- PLAYZONE MYSTERY (1986年)
- PLAYZONE ’87 TIME・19 (1987年)
- PLAYZONE ’88 カプリッチョ −天使と悪魔の狂想曲− / THE SHOW
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(1988年) 第2部の「THE SHOW」にのみ出演
- PLAYZONE ’89 Again (1989年)
- PLAYZONE ’90 MASK (1990年)
- PLAYZONE ’95 KING & JOKER (1995年) - 柳沢、正木、遠藤、高木
- 沖田総司 / サマービッグステージ (1988年8月4日 - 21日、大阪・新歌舞伎座)
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第2部の「サマービッグステージ」にのみ出演。 東山紀之、中村繁之と共演。 後にビデオ・LD化。
- 砂の上のサンバ
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(1993年3月5日 - 14日:青山劇場、19日 - 31日:池袋サンシャイン劇場) - 柳沢、遠藤、高木
- スサノオ 〜古事記・生命と炎のロマン〜
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(1994年7月5日 - 31日:サンシャイン劇場、8月5日 - 28日:中日劇場、9月2日 - 25日:京都・南座) - 柳沢、正木、遠藤
当ミュージカルは1995年1月3日にNHK教育テレビで放送された。 - KYO TO KYO ’97秋公演 (1997年11月9日、京都・シアター1200)
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同日に行われた公演の内、2公演にだけ、4人揃ってゲスト出演。
「忍者」としてのグループでの活動は、この日が事実上最後となり、自然消滅した。
イベント
- 88 ドリームカップ 日本香港芸能人友好サッカー大会 (1988年3月26日、国立競技場)
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雨が降る気温4℃の中、4万人の観客の前でずぶ濡れになりながら、ハーフタイムショーで近藤真彦の曲『ヨイショッ!』を歌った。 バックダンサーは当時のジャニーズJr.たちが務めた。
なお、この日のサッカー大会は同年4月6日にテレビ朝日にて、『夢のサッカー対決 88 ザ・ドリームカップ ジャッキー・チェン香港軍 × たけし軍』のタイトルで放送された。
ディスコグラフィ
シングル
- お祭り忍者 (1990年8月22日)
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CD版にはフォトカード、カセット版にはステッカーが封入。
忍者は当シングルで「第32回 日本レコード大賞 最優秀ポップス新人賞」を受賞し、『NHK紅白歌合戦』にも出場した。
カップリング曲の違う2つのバージョンを発売。 「陽炎SINGLE」(c/w 無頼)と、「水雲SINGLE」(c/w See You Again…!)の2種。 『See You Again…!』では、少年隊、光GENJI、SMAPの3組が、忍者へのお祝いメッセージと歌で参加している。
なお、『See You Again…!』のオリジナルは少年隊のアルバム『PLAYZONE ’90 SHOW劇 MASK』に収録されている。 また、イントロのメロディーは、フランキー・ヴァリの『君の瞳に恋してる』のパクリ。 - リンゴ白書 c/w 霧の仮面 (ペルソナ) (1991年1月22日)
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CD版にはカレンダーが封入。
B面曲(作曲:馬飼野康二)の前奏、間奏、後奏の3ヶ所で、サイモン&ガーファンクルの『冬の散歩道』と全く同じメロディーをギター演奏でパクっている。 - おーい!車屋さん c/w ヘイセイ・ブギー (1991年5月29日)
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A面曲はテレビ朝日系アニメ『21エモン』のオープニングテーマ。
- 秘・美・子 c/w REPLAY (1991年10月23日)
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CD版にはフォトカード、カセット版にはステッカーが封入。
B面曲の「REPLAY」は非常に人気の高い良曲。それ故、どちらの曲をA面にするかについて、当時スタッフ間で相当揉めたと、後にビデオ『忍者見聞録』の中でメンバーが語っている。 - 君に御中 (WANT YOU) c/w YAMATOネシアから愛を込めて (1992年3月27日)
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CD版、カセット版ともにフォトカードが封入。
- ハラショ! c/w 男一匹日本晴れ (1992年6月24日)
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A面曲のタイトルは、ロシア語で「良い」、「素晴らしい」などの意味。
- 涙 涙のカラオケボックス c/w ソウル ベイビー・ベイビー (1992年11月1日)
- 日本 c/w 瞳は未来を映してる (1993年2月24日)
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カセット版の製作・販売はこのシングルが最後。
A面曲はテレビ朝日『人間探検!もっと知りたい ! !』のエンディングテーマ。
B面曲は東北電力のコーポレート・ソング(社歌)、およびCMソング。
- 日本ブギ c/w バトル・チャレンジャー (1993年6月23日)
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B面曲はVシネマ『バトル・チャレンジャー / 激走』の主題歌。
- Harapeko (1993年7月21日)
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ハウス食品「バーモントカレー」のCMソング。
しかしCMへ出演したのは少年隊の東山紀之で、忍者の出演は無かった。
カップリング曲は、「Harapeko」の元祖“ハウス”MIXと、TVCFバージョンの2曲。
- DO YOUR BEST c/w Shout! (1994年10月17日)
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「四銃士」名義でのリリース。 アルバム未収録作品。
- モンキー・マジック (1995年3月21日、カップリング曲は無し)
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ゴダイゴのシングル『モンキー・マジック』のリメイク曲で、ラップが追加されている。
映画『天使のウィンク 日光猿軍団』の挿入歌。 アルバム未収録作品。
- たとえ君が嘘をついても c/w わがままに抱き合うのさ (1995年12月1日) - 「Ninja」名義
シングル売上推移 (オリコン調べ、2004年10月18日付)
アルバム
- 忍者 (1990年10月2日、VHSビデオ付きのミニアルバム)
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『天誅』以外の3曲は、前身ユニット「少年忍者」時代に歌われていた楽曲のリメイク。
- NINJA白書 (1991年3月22日)
- Summer Fiesta (1991年8月21日)
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『OVERTUBE』を除く全ての楽曲が祭をテーマにしたアルバム。 初回限定盤にはシールが付属。
- 忍者参上 (1991年12月21日)
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CD版の初回限定盤には外箱とフォトブックが付いた。
カセット版にはフォトカードが3枚封入。
なお、カセット版の製作・販売はこのアルバムが最後。
- まいった (1992年7月10日)
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本作のCDジャケットは忍者の写真ではなく、ナンシー関による消しゴム版画となっている。
また、プロデュース、および全楽曲の作詞は秋元康。 - Summer Ski [2/4の恋愛術] (1993年4月1日)
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テーマは「君の恋を応援します!」で、発売前の仮アルバムタイトルは『恋の味方』だった。
前作アルバムに引き続き、プロデュース、および全楽曲の作詞を秋元康が担当。
- 日本一 (1993年7月21日)
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ジャパネスクをイメージしたアルバム。 引き続き、プロデュース、および全楽曲の作詞を秋元康が担当。
- DO OUR BEST (1994年12月21日、ベスト盤)
- Hi La Ri (1996年1月20日) - 「Ninja」名義
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プロデュース、および全曲の演奏をロックバンド「六三四 Musashi」が担当。
当アルバムの発売を記念して、六三四との無料ジョイントライブも行われた。
アルバム売上推移 (オリコン調べ、2004年10月18日付)
オムニバスアルバム
- 青春歌年鑑 ’90 BEST30 (2000年11月22日、2枚組) 『お祭り忍者』を収録
VHSビデオ
- 忍者 (シングルビデオ)
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1990年10月2日にCDミニアルバムと同梱されたBOXとして販売されたが、1991年1月1日にVHSビデオ単品でも発売。
収録曲は、「お祭り忍者 (Extended Dance Mix)」の1曲のみ。
これとほぼ同じ音源は、後にCDアルバム『Summer Fiesta』にて「お祭り忍者 (Tokio 三社 Mix)」として収録された。
- リンゴ白書 (シングルビデオ。1991年2月21日)
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予約特典は下敷き。 未CD化の「リンゴ白書 (Special Dance Mix)」を収録。
- おーい!車屋さん (シングルビデオ。1991年6月21日)
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未CD化の「おーい!車屋さん (1991 Hyper Drive Mix)」を収録。
- Summer Fiesta 忍者 〜 狂熱のライブ (1991年10月1日)
- Summer Fiesta 忍者 〜 ドキュメンタリー・忍者 (1991年10月1日)
- 秘・美・子 (シングルビデオ。1991年11月21日)
- NINJA Heart Welldone Consert ’92 《ON & OFF》 (1992年10月1日)
- 冬の陣 ’93 〜 NINJA Live in Yokohama 1993.1.11 (1993年3月1日)
- バトルチャレンジャー / 激走 (1993年5月、Vシネマ)
- バトルチャレンジャー / 激走 special making video (1993年、非売品)
- 忍者見聞録 〜 NINJA 3rd ANNIVERSARY 1990 - 1993 (1993年12月1日)
ビデオシングルディスク (VSD)
- お祭り忍者 (Special Dance Mix) (1990年12月21日)
書籍
ムック
- 明星 ’91夏・緊急増刊 〜 忍者・夏祭り (1991年10月、集英社)
写真集
- JOHNNY'S VISUAL SENSATION (1995年1月23日、オリコン)
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柳沢、正木、遠藤、高木の4名が掲載。
少年忍者
(日本テレビ『アイドル花組おとこ組』出演時の写真。 雑誌『POTATO』1986年3月号 P.29)
少年忍者(しょうねんにんじゃ)とは、忍者の前身ユニットで、1985年7月に「シゲダン」の俗称で結成。
(シゲダンという呼び方については、忍者のメンバーがラジオ番組『忍者、ナン者、モン者 ! !』にて言及)
同年9月に「少年忍者」に改名し、1990年春までこの名前で活動した。
グループの成り立ちについては上記の概要を参照。
メンバー
脱退メンバー
ゲストボーカル
サポートメンバー
- 内海光司 (後に光GENJIとしてデビュー)
- 江端郁己
- 江端郁世
- 藤沢裕介
- 田中寛規
- 中本雅俊
- 木野正人
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木野は1987年10月1日に『500回記念 ザ・ベストテン in 仙台』(TBS)が、仙台の勾当台公園から中継された際、少年忍者のサポートメンバーとして光GENJIの『STAR LIGHT』のバックダンサーを務めた。
候補メンバー
CD化されていない「少年忍者」時代の楽曲
- 恋のボーダーライン
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TBSのバラエティ番組『おじゃまします』のテーマ曲。
作詞:形屋武弘。 作曲はジャニーズ事務所の歴代バックバンドに在籍した牧野哲人。
なお、女性アイドルグループ「ベボガ!」の2017年の楽曲『恋のボーダーライン』は同名異曲。
- Lonely Night
- 悲しきエクササイズ (原曲:おめで隊。リードボーカルは正木と中村)
- 大漁
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1987年。元「桜隊」の鞆田紀世彦がゲストソロボーカルを務めた。
作詞:トム佐藤、編曲:小野寺忠和。
錦織一清がコンサートで持ち歌としていた宮城県の民謡『大漁唄い込み』の歌詞アレンジバージョン。
- その日までメモリー (NHK『ヤングスタジオ101』オリジナルソング)
- TAKE OFF (原曲:THE GOOD-BYE)
- 大脱走
- KAMIKAZE
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元々は少年隊のデビューシングルの候補だった楽曲。 そのため、少年隊がボーカルを吹き込んだ『KAMIKAZE』のデモテープも存在する。
- 日本よいとこ摩訶不思議 (原曲:少年隊)
- ヨイショッ! (原曲:近藤真彦)
- さすらい (原曲:近藤真彦)
- レッツ・メイク・メモリー (原曲:クリフ・リチャードの『Let's Make A Memory』。スリー・ファンキーズや前川清もカバーした曲)
- FAIRY TALE いまむかし (作詞・作曲:野村義男)
- 若さの伝説
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作詞:少年忍者、作曲:義家太郎。 田原俊彦、近藤真彦、シブがき隊、THE GOOD-BYEのシングル曲のタイトルを散りばめた歌詞になっている。
四銃士

四銃士(よんじゅうし)は、忍者の別名企画ユニット。 1994年秋にテレビ朝日『ミキプルーン・ワールドトップ4バレー』の応援サポーターとして結成された。
1994年10月17日に、『ミキプルーン・ワールドトップ4バレー』のイメーゾソング「DO YOUR BEST」を発売。
NHK-BS2『アイドルオンステージ』、テレビ朝日『ミュージックステーション』、バレーボール中継に出演した。
メンバー
シングルCD
- DO YOUR BEST c/w Shout! (1994年10月17日) オリコン最高59位
Text is available under



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Copyright of my site's all original sentences © Johnny's Encyclopedia. No rights reserved.
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