THE GOOD-BYE
THE GOOD-BYE (別表記:The Good-Bye、ザ・グッバイ) は、かつてジャニーズ事務所の系列子会社のジャニーズ出版に所属していたロックバンド。
1983年5月4日結成。 1990年3月31日をもって活動休止。 2003年11月15日活動再開。
メンバー
- 野村義男 (のむら よしお、1964年10月26日生まれ)
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東京都中野区弥生町出身、ボーカル&ギター、A型。
- 曽我泰久 (そが やすひさ、1963年1月7日生まれ)
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東京都北区赤羽出身、リーダー、ボーカル&ギター、A型。
- 加賀八郎 (かが はちろう、1958年2月28日 - 2013年7月2日)
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東京都目黒区祐天寺出身、ベース&ボーカル、B型。
なお、加賀はデビュー時に「1961年生まれ」として3歳サバを読んでいた。
- 衛藤浩一 (えとう こういち、1963年6月8日生まれ)
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大分県大分市出身、ドラム&ボーカル、AB型。
サポートメンバー
- 川原伸司 (初代キーボーディスト、アレンジャー、ディレクター)
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かわはら しんじ。 1950年10月11日生まれ。中野区出身。 血液型:AB型。「社団法人 日本音楽著作権協会」正会員。
[1]
ビクターレコードに入社して音楽プロデューサーとなり、ザ・グッバイ、TOKIO、杉真理、中森明菜などを手がけた。 金沢明子の『イエロー・サブマリン音頭』を企画したことでも知られる。 1990年代に、ビクターからソニー・ミュージックエンタテインメント系の音楽会社「株式会社 ヌークリエイト」に移り、同社の取締役プロデューサーに。 2007年には『服部良一 〜 生誕100周年記念トリビュート・アルバム』などでレコード大賞特別賞を受賞した。
作曲する時のペンネームは「Paul Wilson」、「羽佐間健二」、「平井夏美」で、井上陽水『少年時代』、松田聖子『Romance』、『瑠璃色の地球』、水谷麻里『春休み』、田村英里子『リトル・ダーリン』、石川さゆり『もういいかい』、クミコ『さいごの抱擁』などを制作。
著書に『ジョージ・マーティンになりたくて 〜プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録〜』(2022年7月、シンコーミュージック・エンタテイメント)がある。 - 野口久和
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2代目キーボーディスト、アレンジャー。愛称:JABBA。 1981年にデビューしたバンド「WELCOME」のキーボーディスト。
- 小野澤篤 (3代目キーボーディスト、アレンジャー。1959年3月30日生まれ。東京都出身。A型。妻は歌手の沢田知可子)
- 相茶紀緒 (あいちゃ のりお。ディレクター。血液型:O型)
略歴
- 1982年4月の赤坂TBS会館ほか、バンドメンバーオーディションを何度も開催。
- 1983年5月4日、バンド結成記者会見。
- 同年7月25日、よみうりランドのオープンシアターEASTにてデビューコンサートを開催。
雑誌『週刊明星』特別企画の招待制無料コンサートで、4万通の応募の中から8000名が抽選で選ばれた。
また、このコンサートの模様は同年8月16日〜19日にラジオ番組『吉田照美のてるてるワイド』(文化放送)にて放送された。
- 同年9月1日、シングル『気まぐれOne Way Boy』でレコードデビュー。
キャッチフレーズは「熱いロック・シーンは俺たちがつくる!」だった。
- 1984年3月31日、原宿警察署にて4人で一日警察署長を務める。
- 1985年、中野サンプラザホールで行われたミュージカル『ラ・ボエーム ’85 ミュージカル 原宿物語』にメンバー全員で出演。
- 1989年に一時期、「YOSHIO NOMURA with THE GOOD-BYE」名義で活動。
- 曽我が脱退したいと申し出たことがきっかけで、デビューからちょうど6年半後に当たる1990年3月31日をもって活動休止。
以降、数年以内にメンバー全員がジャニーズ出版を退社。
- 「THE GOOD-BYE」の名称の使用許可をジャニーズ事務所に取り付け、2003年11月15日、バンド結成20周年を記念して「再会ライブ」をZepp Tokyoで行い、13年半ぶりに活動再開。
- 2004年8月21日、新ベストアルバムを発売。 更に9月21日には、過去の全オリジナルアルバム9タイトルも、リマスタリングされて一斉再発売。
- 同年11月26日〜12月4日、「THE GOOD-BYE READY GO!TOUR 2004」を、東名阪(名古屋ボトムライン、新大阪メルパルクホ−ル、横浜BLITZ)で敢行。
- 2007年7月8日〜18日、「THE GOOD-BYE LIVE TOUR 2007」を、全国5ヶ所(クラブチッタ川崎、名古屋ボトムライン、Zepp OSAKA、福岡イムズホール、SHIBUYA-AX)で敢行。
- 2008年9月1日にデビュー25周年を迎え、同年10月12日、渋谷C.C. Lemonホール(元:渋谷公会堂)にて、25周年記念のスペシャルコンサートを開催。
- 2013年7月2日、加賀八郎が逝去。
- 2013年11月17日、東京国際フォーラム・ホールCにて、デビュー30周年記念のスペシャルコンサート「THE GOOD-BYE 30th ANNIVERSARY LIVE 〜TAKE OFF〜」を開催。
当初は夜公演のみの予定だったが、チケットが即完売したため、追加で昼公演も行われた。
加賀が抜けたことによるベース音の穴埋めは、サポートメンバーの添田啓二がキーボードを使って演奏した。 この他、小野澤篤もサポートメンバーとしてキーボード演奏で参加した。
- 2014年11月22日、東京国際フォーラムにて31周年コンサートを開催。
- 2015年8月29日、中野サンプラザホールにて32周年コンサートを開催。
- 2018年8月31日、中野サンプラザホールにて、コンサート「THE GOOD-BYE ANNIVERSARY CONCERT 〜35周年はじめちゃいます〜」を開催。
ジャニーズ時代の後輩である柳沢超、遠藤直人、木野正人の3名も一緒に観に訪れた。
- 2019年8月21日、実に30年ぶりとなるオリジナルアルバム『Special ThanX』をリリース。
これに伴い、コンサートツアー『35th ANNIVERSARY CONCERT TOUR』を、なんばHatch(8月26日)、名古屋・DIAMOND HALL(同月27日)、中野サンプラザホール(同月29日)にて開催。
- 2022年6月10日、渋谷LOFT HEAVENにてトークイベント「祝!CD再プレス! 素晴らしきThe Good-Byeの世界!」を開催。
登壇者は曾我泰久、川原伸司。
司会は音楽ライターの吉留大貴。
- 2023年9月7日〜9日、「The Good-Bye 40th Anniversary Concert Tour」を東名阪(名古屋・DIAMOND HALL、なんばhatch、世田谷・人見記念講堂)で開催。
概要
- たのきんトリオから、まず1980年のレコード新人賞レースに向けて田原俊彦がレコードデビュー。
続いて1981年の賞レースに向けて近藤真彦がデビューを果たした。
事務所側の予定では、1981年に野村義男とひかる一平でデュオを組ませてレコードデビューさせる計画があったが中止。 翌1982年には、野村にギターを持たせてソロでデビューさせるつもりでいたが、野村が「芸能界を引退して実家のバイク屋を継ぎたい」とか、「どうしてもデビューするならバンドがいい」と主張したため、一からバンドメンバーを探すこととなった。 これにより、1982年の賞レースにはシブがき隊を先にデビューさせた。
- 1982年より、一般からバンドメンバーを募ってオーディションを何度も開催。
一方、古くからジャニーズ事務所に所属し、「ANKH」や「村田勝美 & クエスチョンズ」でギタリストとして活動していた曽我泰久は、ジャニー喜多川社長から「ヨッちゃんの面倒見てやって」と頼まれ、単なる“アドバイザー”として、一緒にオーディション選考に参加していた。
そして、ビートルズが大好きだった曽我は野村に対し、「絶対にビートルズみたいに4人組のカッコいいバンドにした方がいいよ」と言っている内に、曽我もメンバーとして加入することに決定。
やがて、九州でドラマーとして活動していた衛藤浩一が紹介によって合格。
他にも数名の候補者が選ばれた。(加賀八郎はこの時、応募者としてではなく、オーディション用のバックバンドのメンバーとして参加していた)
- その後、様々なメンバー編成でいくつかのバンドが試験的に結成されたが、1983年5月4日のグッバイの結成記者会見が近付いてきても、オーディションの候補者の中からは結局良いベーシストが見つからなかったため、メインの野村と曽我が、オーディション終了後もずっとヘルプとして関わっていた加賀を「もうこいつでいいや」と、会見のわずか一週間前にグッバイへ採用した。
同年6月に野村義男がソロレコードデビューする際のハウスBANDとして結成されたため、会見当時はまだ正式なバンド名は無く、同年9月に「THE GOOD-BYE」としてレコードデビューするまでは、ずっと「ヨッちゃんBAND」と呼ばれていた。
名前が「THE GOOD-BYE」に決まった理由は、ある日、バンド練習の様子を取材しに来た雑誌の女性記者が、ジャニー喜多川ととても親しく、帰る際に「ジャニーさんまたね〜、グッバ〜イ!」と挨拶した所、ジャニーがその響きを気に入り、そのままバンド名となった。
- メンバーの豊富な音楽的知識、基礎演奏能力に加え、各メンバーにはアイドル的キャラクターも抜群に備わっており、更に当時類を見なかった作詞、作曲、編曲、スタジオワークなどのセンスやそのポリシーが高く評価され、それが「ミュージシャンズミュージシャン(ミュージシャン同士の間で高い評価を受ける者のこと)」と呼ばれる原動力となり、バンドの音楽的求心力向上に大きく寄与した。 その一方で、シングルレコードのリリースと連動した多数のメディア露出や、緻密な営業活動が一般のファンを拡大させた。
- ビ−トルズと同じく、基本は2TOPボーカルスタイルでのカルテット編成であったが、メンバー全員がボーカルをとれるロックバンドであり、フロントマンの曾我と野村が歌やギターを曲中に自在に役割分担してまとめあげるツインギターでの2TOP編成も売りにしていた。 そしてライブやレコーディングでは、キーボディスト、エレクトリックピアニスト、サックス奏者等がバンドサウンドに彩りを添えていた。 本人達にはアイドルという概念はなく、音楽的にはこだわりを人一倍持っており、メンバーはもちろんスタッフも楽しんで(苦しみながらも)音楽製作していた。 また、バラエティ番組にも出演し、エンターテイナーとして独自のキャラクターを4人が個々に表現していた。
- 同期のアイドル歌手・バンドは、岩井小百合、チェッカーズ、C-C-B、SALLY、伊藤麻衣子、原真祐美、森尾由美、木元ゆうこ、大沢逸美、小林千絵ら。
中でも、グッバイと同年同月にデビューしたライバルバンド「チェッカーズ」が大ブレイクしたこともあり、グッバイの影は薄くならざるを得なかった。
TBS『ザ・ベストテン』には、20位以内にデビュー曲がランキングされたことで「今週のスポットライト」として初登場したが、その際に近藤真彦から「これが最初で最後の出演」と冷やかされてしまい、事実、その後一度もランクイン出来なかった。 一方、日本テレビ『ザ・トップテン』では、シングル『YOU惑-MAY惑』が10位以内にランクインした他、ラジオ番組などでもランキングされた。
こうした、大ヒットとは言えないレコードの売上枚数やチャート順位にもかかわらず、グッバイが1983年の「日本レコード大賞」で最優秀新人賞を受賞できたのは、ジャニーズ事務所出身ということで、テレビ、ラジオ番組、雑誌など、若者向けの各メディアとのブッキングに恵まれ、野村義男、曽我泰久という当時のアイドルで1クラス上のビッグネームが顔を揃えていたことにある。
この年の最優秀新人賞は、セールス面やチャート記録から見ても、風見しんごのデビュー曲『僕笑っちゃいます』が本命であった。 (オリコン最高位:6位、売上:33万枚、『ザ・ベストテン』9週連続10位以内。 一方、グッバイのデビュー曲はオリコン最高位:9位、売上:9万枚、『ザ・ベストテン』10位以内ランクインなし)
しかし風見はレコード大賞へのノミネートをなぜか辞退し、日本有線大賞の最優秀新人賞を受賞。 一方のグッバイは、レコード大賞の最優秀新人賞を受賞し、田原俊彦、近藤真彦、シブがき隊と続いていたジャニーズタレントによる同賞連続受賞記録をかろうじて防衛しており、裏で何らかの取り引きがあったと見る向きもある。
なお、グッバイは日本レコード大賞 最優秀新人賞の他に、同年の「FNS歌謡祭」でも最優秀新人賞、「21世紀ヤング歌謡大賞・新人グランプリ」ではグランプリ、「日本歌謡大賞」では岩井小百合と共に優秀放送音楽新人賞、「新宿音楽祭」では岩井小百合、桑田靖子と共に金賞を受賞している。
- グッバイの、ビートルズを中心としたオマージュ路線は音楽マニアの心をくすぐる仕掛けが多く、往年の名曲のフレーズが多数入れられている。
- ファンによるステージ用の応援コールも生まれた。 代表的なものは、「T・H・E G・O・O・D B・Y・E ただ今グッバイ絶好調〜!」。
主な出演作品
バラエティ番組
- レッツゴーヤング (NHK総合)
- ヤンヤン歌うスタジオ (テレビ東京)
- 夜のヒットスタジオ (フジテレビ) 総出演回数:19回
テレビドラマ
- セーラー服通り (1986年1月 - 3月、TBS)
ラジオ
- ヤングタウンTOKYO 「ザ・グッバイのマリーナ・マイ・フレッシュ・ライブ」
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(1984年10月 - 1985年10月、TBSラジオ、公開番組)
- 中村繁之のヤングタウンTOKYO (TBSラジオ) ゲスト出演多数
- Love The Good-Bye (2018年9月21日 - 2020年1月17日の月1放送、全17回、FMレキオ)
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グッバイの軌跡を振り返る番組。 パーソナリティは饒波貴子、みっこの2人。
第9回と第16回の放送で曾我、第15回の放送で衛藤が電話出演した。
ミュージカル
- ラ・ボエーム ’85 ミュージカル 「原宿物語」 (1985年11月16日 - 24日、中野サンプラザホール)
CM
- 味の素 「マリーナ ソフトマーガリン」 (野村義男のソロ出演バージョンも有り)
WEB
- The Good-Byeに夢中! (2020年4月6日 - 、Re:minder) 曾我のインタビュー(全3回)を掲載
- インタビュー 「The Good-Byeはなぜ唯一無二のバンドなのか? 野村義男、曾我泰久、衛藤浩一が明かす、夢中で駆け抜けたあの時代」 (2022年8月25日、Mikiki)
ディスコグラフィ
シングル
- 気まぐれOne Way Boy c/w Dance×3 (ダンス・ダンス・ダンス) (1983年9月1日)
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オリコン最高9位。 売上数:約9.0万枚。
- 涙のティーンエイジ・ブルース c/w 二人だけのクリスマス (1983年11月8日)
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オリコン最高12位。 売上数:約7.6万枚。
- モダンボーイ狂想曲 c/w 浮気なロンリーガール (1984年3月8日)
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オリコン最高14位。 売上数:約5.7万枚。
- YOU惑-MAY惑 c/w LOVE AGAIN (1984年7月5日)
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A面曲は、味の素「マリーナ ソフトマーガリン」CMソング。
オリコン最高10位。 売上数:約8.2万枚。 - にくめないのがニクイのサ c/w Don't Make Me Blue (1984年11月1日)
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A面曲は、味の素「マリーナ ソフトマーガリン」CMソング第2弾。
オリコン最高12位。 売上数:約6.5万枚。 - とLOVEるジェネレーション c/w Gaah×3 (LIVE) (1985年3月21日)
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B面曲は、ビデオ化もされた1984年10月6日の日比谷野外音楽堂でのライブから、唯一レコード化されたライブ音源。
- 気分モヤモヤ サラサラ チクチク
c/w 摩詞 WHO SEE 議 (PLAY OUT VERSION) (1985年7月25日)-
オリコン最高20位。 売上数:約2.4万枚。
B面曲は『日本よいとこ摩訶不思議』のタイトルで少年隊にも提供。 - TWO NIGHTS c/w GOOD, NIGHT (Hark, the Angels' come) (1985年11月1日)
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A面曲はグッバイ主演ミュージカル『原宿物語』のテーマソング。
- YES! YES ! ! YES ! ! ! c/w ペパーミント・パティ Telephone (1986年4月5日)
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2年後の1988年5月25日にZIGGYが発売した大ヒットシングル『GLORIA』(作曲:森重樹一)のAメロが、『YES! YES ! ! YES ! ! !』(作曲:曽我泰久)のAメロに酷似している。
- 僕色に染めて c/w GOING DOWN c/w ANOTHER WORLD
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(1986年8月21日) 12inchシングル
- のぞいて Feel Me, Touch Me c/w We All Shine On (1986年12月5日)
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A面曲(作曲 : 曽我泰久/P.Wilson)は、NTT東日本「ハウディ キャンペーン」のCMイメージソング。
サビのメロディが、同年1月29日発売の岡田有希子の生前のラストシングル『くちびるNetwork』(作曲:坂本龍一)のサビに似ていると言われることがある。
メンバーが撮影した8mmビデオを野村が編集したビデオクリップも制作された。 また、このシングルから最後のシングルまでは、カセットテープも発売され、カラオケも収録されている。(カラオケは未CD化) - マージービートで抱きしめたい c/w 悲しきRadio Girl (1987年7月1日)
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映像でのカバー企画第1弾『Shout ! !』からの先行シングル。
- 祭り気分でTAKE A CHANCE c/w ぐっとRex-Tasy (1987年11月21日)
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A面曲は東山紀之主演ドラマ『荒野のテレビマン』(フジテレビ)の主題歌。
- 25ans (ヴァンサンカン) c/w WITHOUT YOU (1989年7月5日)
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「YOSHIO NOMURA with THE GOOD-BYE」名義でのリリース。
この曲からレコードではなくシングルCDでの発売。ただしカラオケは収められていない。 - WILD LIFE c/w TRUE LOVE (1989年10月26日)
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A面曲は環境問題をテーマにした楽曲。 EP盤はプロモ用の非売品サンプル盤のみの製作。
また、この曲のシングルCDにはカラオケも収められた。
非売品ミニアルバム
- オリジナル7thアルバム 『ALBUM』 のプロモーション用ミニアルバム (1988年。8cmCD。全6曲)
オリジナルアルバム
- Hello! The Good-Bye (1984年1月21日。 1994年6月25日に通常CD、2004年9月22日にリマスタリングCDで再発。2022年4月にリマスタリング盤が再プレス)
- Good Vibrations (1984年9月5日。 2004年9月22日にリマスタリングCDで再発。2022年4月にリマスタリング盤が再プレス)
- ALL YOU NEED IS・・・ グッバイに夢中! (1985年2月21日。 2004年9月22日にリマスタリングCDで再発。2022年4月にリマスタリング盤が再プレス)
- 4 SALE (1985年9月5日。 2004年9月22日にリマスタリングCDで再発。2022年4月にリマスタリング盤が再プレス)
- FIFTH DIMENSION (1986年5月21日。 2004年9月22日にリマスタリングCDで再発。2022年4月にリマスタリング盤が再プレス)
- #6 DREAM (1987年3月5日。 2004年9月22日にリマスタリングCDで再発。2022年4月にリマスタリング盤が再プレス)
- SHOUT ! ! ORIGINAL VIDEO SOUND TRACK (1987年8月21日。 2004年9月22日にリマスタリングCDで再発。2022年4月にリマスタリング盤が再プレス)
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THE GOOD-BYEの7枚目のオリジナルアルバムとしてカウントされているが、正確には同名ビデオ作品のサウンドトラックとしてリリースされた作品であり、収録曲もほとんどが英国マージービートのカバーとなっている。
また、このアルバム以降、THE GOOD-BYEのメンバーによるセルフプロデュースとなった。
- Album (1988年6月21日。 2004年9月22日にリマスタリングCDで再発。2022年4月にリマスタリング盤が再プレス)
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アイテムごとに収録曲の数が異なっている。LPレコードは2枚組。カセットでは2曲をカットして1本に収録。CDでも2曲をカットして1枚に収められた。
リマスター盤CD(2枚組)では曲はカットされず、逆にボーナストラックとして5曲が新たに追加された (その内2曲は未発表トラック)。
『Don't Stop Kiss』では、たまたま隣のスタジオに居た小泉今日子がコーラスで参加。 『LADY』ではCharがギターで参加。 - Revolution No.9 (1989年12月21日。 2004年9月22日にリマスタリングCDで再発。2022年4月にリマスタリング盤が再プレス)
- Special ThanX (2019年8月21日)
企画アルバム
- OUTAKES THE GOOD-BYE (1984年3月5日) 2本組のカセットテープのみで販売された企画盤
- THE GOOD-BYE SONG BOOK (1985年6月21日)
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オーケストラ演奏によるインストアルバム。 CD版のみ曲数が2曲多い。
- NOT 4 SALE (1986年3月5日)
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レアトラック集。 CDとカセットのみので販売。曲数はCDの方が2曲多い。
なお、非売品のLP版も存在する (曲数はカセットと同じ)。
ベストアルバム
- OLDIES BUT GOOD-BUY! (1986年11月21日) LP版のみ2曲少ない
- OLDIES BUT GOOD-BUY! Vol.U (1990年3月21日)
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活動休止直前にリリースされた後期のベスト。 カセットとCDのみ。
- Anthology, 1983 〜 1990 (1990年12月16日)
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活動休止後にリリースされたベスト。 CD2枚組。 監修:萩原健太。
- READY! STEADY ! ! THE GOOD-BYE ! ! ! (CD2枚組。2004年8月21日。2022年4月に再プレス)
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グッバイマニアの音楽評論家・能地祐子と、イラストレーターの本秀康によって選曲されたリマスタリングベストアルバム。
客演参加アルバム
- We Love Bakufu Slump (2011年12月25日)
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ファンキー末吉プロデュースによる、爆風スランプのトリビュートアルバム。 シングル曲『月光』のカップリング曲だった『それから』を曾我が歌い、加賀と衛藤が友情出演という形でコーラス参加した。
- 爆風トリビュートComplete (2013年1月15日)
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同じくファンキー末吉プロデュースによる爆風スランプのトリビュートアルバムで、
上記の曾我、加賀、衛藤による『それから』に加え、野村義男 & 力石理江による“読み聞かせユニット”「話音 (Wa-ON)」が、『美人天国』で新たに参加した。
オムニバスアルバム
- BEST HIT POPS! (1984年12月16日。VDR-1002)
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製造元:ビクター音楽産業株式会社。
『にくめないのがニクイのサ』を収録。
CDer IDOL CLUB (1986年。非売品。品番:PC-7、およびPRCD-1010)-
企画:松下電器産業株式会社 パナソフトセンター。 制作:ビクター音楽産業株式会社。
『YES! YES ! ! YES ! ! !』を収録。
ビデオ
- Good Vibration Concert (VHS&Beta:1984年12月16日、VHD:12月21日)
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同年10月6日に日比谷野外音楽堂で行われたライブを収録。
- FIFTH DIMENSION THE VIDEO (1986年5月21日。VHS、Beta、VHDの3種)
- SHOUT ! ! (1987年8月21日。VHS、Beta、VHDの3種)
DVD
- 1983 → 2003 → 〜One Night Special Live〜「再会」 (2003年12月29日)
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同年11月15日にZepp Tokyoで行われた活動再開時のライブを完全ノーカット収録。
- VIDEO! THE GOOD-BYE 〜COMPLETE VISUAL COLLECTION〜 (2004年8月21日)
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過去にリリースされた全3本のVHSビデオ作品を一つにまとめてDVD化したもの。
- Special Night 2008 〜memorial 25th Good-Bye〜 (2009年2月7日、ネット通販限定)
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デビュー25周年を記念して、2008年10月12日にC.C. Lemonホールで行われた一夜限りのスペシャルコンサートを全曲完全収録。
- THE GOOD-BYE 35th ANNIVERSARY CONCERT @NAKANO SUNPLAZA (2020年3月16日発送開始、2枚組、税込7,000円、ネット通販限定)
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デビュー35周年を記念して、2019年8月29日に中野サンプラザホールで行われたコンサートを全曲完全収録。
10枚目のオリジナルアルバム『Special ThanX』からも8曲を収録。
書籍
ムック
- 音楽専科臨時増刊 アイドルNo.1 PART-11 「HELLO! THE GOOD-BYE 〜 ワァ!ワァ!ワァ!」 (1984年2月、音楽専科社)
- アリーナ37℃臨時増刊 アイドルNo.1 PART-16 「THE GOOD-BYE Sweet Rock'n Heart」 (1985年9月、音楽専科社)
スコアブック
- バンド・スコア The Good-Bye 「ザ・グッバイブレーション」 (1984年9月、日音)
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グッバイの2ndアルバム『Good Vibrations』に収録された全10曲の楽譜集。
- バンド・スコア The Good-Bye 「ALL YOU NEED IS・・・」 (1985年3月、日音)
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グッバイの3rdアルバム『ALL YOU NEED IS・・・ グッバイに夢中!』全曲と、シングル『とLOVEるジェネレーション』の楽譜集。
また、ライナーノーツとして野村と曽我による演奏解説も掲載。
漫画
- はっちゃん、またね 〜 多発性骨髄腫とともに生きた夫婦の1094日
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(2015年12月11日、講談社 KCデラックス BE LOVE)
加賀の闘病生活を、加賀の妻・池沢理美が描いたコミック。 巻末に、グッバイのメンバー3人のメッセージが掲載されている。
関連書籍 (雑誌)
- Key Station# vol.1 (2004年10月、マガジン・ファイブ)
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「総力特集 ザ・グッバイ」 (関係者インタビューとして、相茶紀緒、川原伸司も参加)
- レコード・コレクターズ (2019年10月号、ミュージック・マガジン)
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インタビュー記事 「今の彼らでなければ成し得ない重みを感じさせる30年ぶりの新作」
- MOTO HIDEYASU MUSIC BOOK 〜 本秀康 音楽イラストレーション集
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(本秀康 著、松永良平 編、2020年4月、Pヴァイン)
本秀康が描いたアルバム『READY! STEADY ! ! THE GOOD-BYE ! ! !』とDVD『VIDEO! THE GOOD-BYE 〜COMPLETE VISUAL COLLECTION〜』のジャッケットイラストが掲載されている。
イベント
- 爆走!ザ・グッバイまつり2004 〜 異人さんにはわからNIGHT ! !
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(2004年4月15日、新宿LOFTプラスワン)
- 爆走!ザ・グッバイまつり完結編 〜 レコ発だよ!グッバイ刑事 (デカ) 殉職ナイト
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(2004年9月14日、新宿LOFTプラスワン)
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上記の2つのイベントは、グッバイの秘蔵音源や映像を流しながら、グッバイに関するトークを繰り広げるというもの。
出演は両日とも、『三宅裕司のいかすバンド天国』の審査員もやっていた音楽評論家の萩原健太、音楽雑誌「レコード・コレクターズ」の編集長・寺田正典、萩原健太の妻で音楽評論家の能地祐子、イラストレーターの本秀康、お笑いコンビ「X-GUN」の西尾季隆、そして、ザ・グッバイのアシスタントエンジニア、プロデューサーだった相茶紀緒の6名。 グッバイメンバーの出演は無し。
外部リンク
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