永田英二
永田 英二(ながた えいじ、本名&旧芸名:長田栄二、1955年5月29日 - )は、山形県米沢市生まれ、小学1年から東京都品川区平塚育ちの歌手、音楽プロデューサー、作曲家、芸能プロダクション「(株) オフィス・タッチ」の社長。
ジャニーズ事務所出身。
愛称:英ちゃん、英坊。
旧芸名:八田英士、他多数。
作詞や作曲をする際の別名義:E.N.T (Eiji Nagata Touchの略)。
兄弟は無し。
身長:181cm。
- 特定非営利活動法人 OJPC 理事
- 「特定非営利活動法人 国際薬物対策センター」が主催する薬物乱用防止キャンペーンの音楽LIVEイベント「POWER of ART PROJECT (POAP)」の特別顧問・Executive Producer (2010年開催の4th LIVEより)
- 株式会社 ライティング・タッチ 取締役
- 株式会社 マスター&ピューピル 特別顧問
- 一般財団法人 映像文化振興協会 理事
- 社団法人 世界孔子協会 専務理事
- 財団法人 日中影視動漫協会 専務理事
改名歴
- 長田栄二 (子役時代)
- 永田栄二 (フォーリーブス時代)
- 永田英二
- 八田英二
- 八田英史
- 八田英士
- 永田英士
- 再び永田英二
- 再び本名の長田栄二
- 2013年より三度目の永田英二
ジャニーズ時代の参加ユニット
- フォーリーブス
- (ファイブ・リーブス) (構想ユニット)
- 永田英二とハイ・ソサエティー
- スーパーエイジス
その後の参加バンド
学歴
- 長命寺幼稚園 (山形県米沢市)
- 米沢市立北部小学校 (1年生の内に転出)
- 品川区立京陽小学校
-
この小学校の5学年後輩には、元ジャニーズJr.の岡本祐幸が居る。
- 品川区立荏原第二中学校 (後の荏原平塚中学校。1年生の内に転出)
- 私立堀越中学校
- 私立堀越高等学校
来歴
- 3歳頃に「劇団若草」に入り、子供服のモデルを始める。
- 1962年、7歳の時にジャニー喜多川と出会う。
- 1965年12月、永田が出演していた舞台『王様と私』(東京宝塚劇場)を観に来ていたジャニー喜多川が楽屋に訪れ、永田を正式にスカウトした。(共演していた近藤昌も後にジャニーズ入り)
- 小学5年生だった1967年1月、「フォーリーブス」の前身となるグループを結成。
当時の芸名表記は「永田栄二」だった。
フォーリーブスの中では最年少メンバーだったにもかかわらず、リードボーカルを担当して活躍していたが、小学6年だった1967年10月よりフォーリーブスが夜の生放送番組『プラチナゴールデンショー』(日本テレビ)にレギュラー出演することが決まった際に脱退した。
脱退の表向きな理由は、労働基準法61条5項(昭和22年4月7日制定)の、「満15歳に達した日以後の最初の3月31日が終了していない児童、つまり、中学校を卒業していない児童は、午後8時から午前5時まで労働してはならない」という部分に触れるためだとされた。 しかし『プラチナゴールデンショー』の時間は毎週日曜日、19時からの30分だけであったし、労働基準法に触れる年齢のメンバーは他にもまだ2人居たにもかかわらず(江木が中3、おりもが中2)、永田1人だけが脱退させられた。 つまり脱退の本当の理由は、ジャニー喜多川が一番若くて歌も上手い永田を寵愛しており、“ソロ”として売り出したくなったのと、フォーリーブスではあくまで北公次を主役にしてあげたかったからであった。
- 1968年、芸能活動の再開を控えていた中学1年生の夏に、永田がフォーリーブスに戻って5人組の「ファイブ・リーブス」になる可能性が報じられるが、実現はせず。
その後、永田は芸名表記を「永田英二」に変更し、ソロデビューに向けてまずは同年9月に既存グループだった「ハイ・ソサエティー」にボーカルとして加入。「永田英二とハイ・ソサエティー」名義で顔を売った。 そして中学2年の1969年8月10日、満を持して東芝レコード(エキスプレスレーベル)よりシングル『あこがれ』にてソロレコードデビュー。 キャッチフレーズは「ヤング・パワー No.1 ! !」、「昭和30年生まれの歌手誕生」。
- 1969年10月、「第2回 新宿音楽祭」にて銀賞を受賞。
- 1970年11月、フォーリーブスと共にアメリカへ23日間のダンス留学。
- 1971年末から胆のうと肝臓を患い、芸能活動にドクターストップがかかる。
手術や入院はしなかったが、通院しながら薬と針治療で療養生活を送る。
- 途中、ステージやミュージカルには少しだけ出演したものの、約1年半の休業を経て、1973年4月にバンド「スーパーエイジス」を結成して本格的に復帰。
1969年のレコードデビュー当時は肥満体型で、身長150cmに対し体重が66kgもあったが、休業から復帰した頃には、身長180cm、体重60kgのスリム体型に激変した。
- 連合赤軍事件で永田洋子 (ひろこ) が逮捕されたこともあり、1973年に芸名を「永田」姓から「八田」姓に改める。 命名者は作詞家の山口洋子。
- 所属レコード会社をCBSソニーに移り、1974年4月21日、「八田英士」の芸名でシングル『別れないでおくれ』で再デビュー。
- 1977年にジャニーズ事務所を退所。 同年5月25日にRCAレコードより「永田英士」の芸名でシングル『青春挽歌』で再々デビュー。
- 24歳だった1979年6月16日、覚醒剤取締法違反で逮捕。 同年1月中旬に新宿区の友人のマンションでビニールに入った覚醒剤1gを受け取っていた。
[1]
しかし、少し前の4月12日に元・フォーリーブスの北公次も同じく覚醒剤取締法違反で逮捕されていたため、マスコミは北の事件の方に集中しており、永田の事件はあまり話題にならなかった。
- 男性5人組の企画バンド「東京コンジョレス」を組み (ボーカル担当。個人名は再び「永田英二」名義)、1980年1月28日にビクターレコードよりシングル『コンジョレス東京』にて再再々デビュー。
ちなみに「コンジョレス」とは当時の流行り言葉で、意味は「根性なし」。
- 1984年、テレビ静岡のキャンペーン「おはなししましょう」のキャンペーンソング『しず姫参上 ! !』の歌唱を本名の「長田栄二」名義で担当。
ミュージックビデオでは相楽晴子(相楽にとって芸能界初仕事)と共演した。
- 1987年3月3日、長田栄二名義で音楽事務所「株式会社オフィス・タッチ」を設立し、代表取締役となる。
以降、黒夢、IZAMなどを育てた。 また、代表としての仕事のみならず、音楽プロデューサー、作曲家などとしても活動。
小林旭の現場マネージャーをしていた時期もある。
- 2004年に肺過誤腫を患ったが、5年ほどかけて克服。
- 2011年5月29日、56歳の誕生日に、南青山・gigabar TOKYOにて「長田栄二“アラ還”記念ライブ」を開催し、久しぶりにステージに立つ。
当日は、45年以上の親交があった北公次もゲストとして招いた。
その北が翌2012年2月22日に逝去した際には、長田は北の友人代表として、翌23日にワイドショー番組『ミヤネ屋』にインタビュー出演した。
- 2013年より芸名を再び「永田英二」名義に戻す。
- 2014年3月12日、バンド「東京コンジョレス」以来34年ぶりとなるアルバム『58 ~ フィフティ エイト』をリリース。これに伴い、オフィシャルウェブサイトも開設。
- 同年11月13日、テレビ東京『木曜8時のコンサート ~名曲!にっぽんの歌~』に出演し、デビュー曲「あこがれ」を披露。
続いて11月18日、渋谷GUILTYにて「永田英二 with ミッキー吉野 SPECIAL LIVE 2014」を開催した。
- 同年12月、アルバム『58 ~ フィフティ エイト』が、第56回 日本レコード大賞 企画賞を受賞。
薬物乱用防止キャンペーンの音楽LIVEイベント「POWER OF ART PROJECT」などの活動が認められての受賞だった。
- 2020年6月、65歳の時に、駐車場内で車の運転操作をミスして事故を起こし、左ひざを骨折。
- 同年10月、道で激しく転倒。 頭をかばって左肩から転倒したため、左腕が広範囲に渡って内出血し、骨にもヒビが入る怪我を負った。
人物、エピソード
- 趣味 - 切手集め、車
- 特技 - ブルースハープ
- 好きな食べ物 - 果物
- 好きな色 - 白、黒
- 父親の長田栄 (さかえ)は、日劇のステージにも出演したことがあるダンス講師。
「藤間勧作」名義で、日本舞踊(藤間流)の師範でもあった。 ジャニーズ事務所でもタレントにダンスを教えていた。
俳優の小日向文世似。 『週刊セブンティーン』(1969年11月18日号、同年12月9日号、集英社)にも掲載。
母親の長田保子も、ダンサーの江口隆哉に師事してバレエを習っていた人物。
- 筆おろしは中学1年の13歳の時で、相手の女性は7歳上のカンツォーネ歌手・高田恭子だった。
永田は高田が住む原宿のマンションに週3回の頻度で泊まり、13歳にして半同棲状態となった。
この関係は15歳まで2年間続いた。
15歳半になった1971年の初頭からは、新潟から上京してきたばかりの1歳上のモデル・高沢順子(後に女優デビュー)と交際。
永田はやはり高沢のマンションに通い詰めていたが、2ヶ月で破局した。
続いて、16歳の時に2歳上の女性モデル・松尾ジーナ(1971年12月1日に歌手デビュー)と交際。
松尾とは結婚したいとも思っていたが、永田からの愛情表現が足らずに松尾をないがしろにすることが多く、1年後に松尾からビンタされた上で「2人はもうおしまいね」と別れを告げられた。
松尾との思い出は、作詞家の吉田旺に伝えた上で、1977年の永田のシングル『青春挽歌』に描かれた。
その後、古くからの知り合いだった「ゴールデン・ハーフ」のルナ(3歳上。後の高村ルナ)と、1974年から1976年まで2年ほど半同棲生活を送った。
この他にも数多くの女性と関係を持っており、21歳の時点で経験した女性の人数は約30人だと語った (『週刊女性』1977年5月3日号)。
- 結婚相手の女性は、大手デザイナーズブランドの下請け企業の社長 (後に離婚)。
- 内田裕也、安岡力也、ザ・タイガ-スの弟バンドとも呼ばれたGSバンド「アルファード」の後期ドラム・岡田ケントなどと非常に仲が良かった。
- 6thシングルのカップリング曲『大人は判ってくれない』が、ラッパー・DJのECDによる昭和和物グルーブMIX CD-R第二弾『Private Lesson 2』(2008年)に収録。
また、1stアルバム収録曲『ハートブレイク・ホテル』(原曲:エルヴィス・プレスリー)も、同MIX CD-Rシリーズ第三弾『Private Lesson 3』(2008年)に収録された。
- 愛煙している煙草は、「マルボロライト (ゴールド)」のソフトパック。
- 西城秀樹とは「日劇ウエスタン・カーニバル」で共演して以来、45年に渡って親交があった。
西城が2011年に2度目の脳梗塞で倒れた後、権威のあるリハビリの医師を西城に紹介してあげたのも永田だった。
- かつて新宿区荒木町にあった「アメリカンズBAR 1960」の店内に、永田が2015年6月10日に来店した際の写真とサイン色紙が飾られていた。
主な出演作品
バラエティ番組
- プラチナゴールデンショー (日本テレビ)
- 歌うプレゼントショー (1969年8月24日、10月11日、11月1日、11月15日、他、TBS)
- 第2回 全国ヤング歌謡フェスティバル
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(1970年 - 1971年、TBSテレビ & TBSラジオ、主催:渡辺プロダクション)
- ギャグジカル ジュンとヨッパ (1970年11月5日 - 1971年3月25日、TBS) レギュラー
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タイトルの「ジュン」は井上順(当時は井上順之)、「ヨッパ」はフォーリーブスの「四葉」からきたもの。
- 歌え!ヤンヤン ! ! (テレビ東京)
- 夜のヒットスタジオ (1974年6月10日、フジテレビ)
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「八田英士」名義で『別れないでおくれ』を披露。
- おはなししましょう しず姫参上 ! ! 番組宣伝キャンペーン (1984年、テレビ静岡)
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「長田栄二」名義。 主題歌も担当。
- 夏休みスペシャル・思い出のアイドルスター in 大磯 (1988年7月22日、フジテレビ)
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「大磯ロングビーチ」からの中継番組で、永田はデビュー曲『あこがれ』を披露。
司会は愛川欽也、水沢アキ。
他の出演者は豊川誕、城みちる、天馬ルミ子、桜たまこ、荒川務、伊丹幸雄、あいざき進也、松本ちえこ、シェリー、藍美代子、能瀬慶子。
- ミヤネ屋 (2012年2月23日、日本テレビ) 北公次の死去についてインタビュー出演
- 木曜8時のコンサート ~名曲!にっぽんの歌~ (2014年11月13日、テレビ東京) デビュー曲『あこがれ』を披露
- 内田裕也PRESENTS 42nd NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL (2015年1月10日、フジテレビ)
ラジオ
- 第2回 全国ヤング歌謡フェスティバル
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(1970年 - 1971年、TBSテレビ & TBSラジオ、主催:渡辺プロダクション)
- 明治チョコレートの集まれ!歌謡曲 (ニッポン放送、司会:藤村有弘)
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全国各地での公開録音番組。 司会は藤村有弘、ジューク・ボックス。 フォーリーブスも共演。
- 平凡アワー スターハイライト・ショー (ニッポン放送)
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全国各地での公開録音番組。 1972年2月19日(土)の群馬音楽センターの公録では、ハイ・ソサエティー、ジューク・ボックス、郷ひろみと共演。
- ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?電撃的スペシャル
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(2011年9月23日:糸井重里と共にゲスト出演、2014年5月9日、NHKラジオ第1)
- 宇都美慶子 アワージェネレーション
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(2013年8月17日&24日、2014年3月1日&8日、2015年1月10日&17日、2016年12月10日&17日、2018年6月16日&23日、2019年8月31日、9月7日、FM三重)
- 水田竜子の歌って素晴らしい (2014年7月1日、ラジオ日本)
- キラメキミュージックスター ~キラスタ~ (2014年10月29日、FM NACK5)
- 他多数…
舞台
- 王様と私 (1965年4月2日 - 29日:梅田コマ劇場、12月2日 - 27日:東京宝塚劇場、製作:東宝)
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「劇団若草」時代に第一王子役で出演。 本名「長田栄二」名義。 近藤昌、岡崎友紀も子役で出演。
- いつか何処かで ~ フォーリーブス物語
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(1967年6月~7月に10日間、大阪フェスティバルホール、脚本:ジャニー喜多川、演出&振付:山田卓、舞台監督:金一浩司、主催:民音)
- レッツ・ゴー フォーリーブス (1969年12月、大阪フェスティバルホール、日生劇場)
- 第1幕 ヤングサプライズ 「少年たち」 (英二役)
- 第2幕 ミュージカル 「オオ・マイ・ママ」 (鳥羽家の甥の英二役)
- 少年たちシリーズ第3作 ~ フォーリーブス・ミュージカル 「素足でかける時」 / ミュージカルコメディ 「希望の翼」
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(1970年12月 - 1971年1月。 1971年1月5日&6日は東京厚生年金会館にて公演。
「素足でかける時」は文化庁芸術祭参加作品で、企画・構成・演出:フォーリーブス。
1967年の初代ジャニーズ主演ミュージカル『いつか何処かで ~ フォーリーブス物語』の再演作品でもある。
また、「ミュージカルコメディ 希望の翼」の当初の仮タイトルは、「フォーリーブス・ショー 100メガトンの希望」だった) - 少年たちシリーズ第4作 ~ フォーリーブス・ミュージカル 「太陽からの少年」 (1971年4月)
- 少年たちシリーズ第5作 ~ フォーリーブス・ミュージカル 「明日なき友情」 (1971年8月)
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英チャン役。 1967年の初代ジャニーズ主演ミュージカル『いつか何処かで ~ フォーリーブス物語』の再々演作品。
- 少年たちシリーズ第6作 ~ フォーリーブス・ライブ・ミュージカル
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星野演出事務所作品 「生きていくのは僕たちだ!」
(昭和46年度文化庁芸術祭参加作品ミュージカル。 原作:大森晶子『十七歳の絶唱』。
1971年10月29日&31日:帝国劇場、12月25日&26日:名古屋・御園座、1972年1月4日&5日:大阪フェスティバルホール。その後、3月31日まで全国公演。 通常公演は3月31日までだが、ロッテの懸賞イベント「ロッテであいまショー」の演目としても本作が使用され、1972年5月頃までは引き続き全国で公演した。
なお、当舞台のパンフレットは全部で3種類存在するが、その内、最初の1971年10月公演分の白黒の表紙のパンフでは、公演日程の「1971年」と「1972年」の数字が一部入れ替わって誤植されている) - ミュージカル・コメディー 「おかしな童話」 (1972年3月)
- ミュージカル 「僕がうたうとき!」 (1972年8月、9月29日)
- フォーリーブス イン クリスマス (1972年12月24日&25日、名古屋・御園座)
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第1部 『ミュージカル フォーリーブス物語 ~ 星に帰った若者』
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(作・構成・演出:ジャニー喜多川、振付:小井戸秀宅)
- ミュージカル フォーリーブス物語 ~ 星に帰った若者 (1973年1月 - 3月)
- 見上げてごらん夜の星を
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(フォーリーブス結成7周年記念ミュージカル。1973年6月17日 - 9月2日に北海道から沖縄まで全国で公演。
大阪公演:7月30日 - 8月2日、東京公演:8月31日 - 9月2日。
作・演出:永六輔。音楽:いずみたく)
- ライブ・ミュージカル 『少年たち ~フォーリーブス・不朽の名作~』
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(1975年4月5日 - 7日:中野サンプラザホール、5月3日:名古屋市民会館、4日&5日:大阪フェスティバルホール) 「八田英士」名義
- タッチ (1980年) 「永田英二」名義
ステージ
- 第33回 日劇ウエスタン・カーニバル (1967年8月26日 - 9月1日、日本劇場)
- 第34回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1968年1月15日- 22日、日本劇場)
- 第35回 日劇ウエスタン・カーニバル (1968年5月4日- 10日、日本劇場)
- 第36回 日劇ウエスタン・カーニバル (1968年8月26日- 9月2日、日本劇場)
- 第37回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1969年1月14日- 21日、日本劇場)
- 第38回 日劇ウエスタン・カーニバル (1969年5月5日- 12日、日本劇場)
- ロックンロールフェスティバル (1969年6月7日、合歓の郷・ヤマハ・ミュージック・キャンプ)
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「永田英二&ハイ・ソサエティー」名義で出演
- 第39回 日劇ウエスタン・カーニバル (1969年8月25日- 9月1日、日本劇場)
- 「永田英二とハイ・ソサエティー」リサイタル (1969年11月3日、京都新聞ホール)
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永田のデビューシングル『あこがれ』の30万枚突破記念として行われた、関西初のリサイタル。
1日2回公演。 主催は関西アマチュア音楽文化連盟と、当時京都でアマチュアバンドのコンサートを企画・支援していた団体「AGSクラブ」による共催。
なお、「永田英二とハイ・ソサエティー」は同年10月12日に京都・十字屋四条店にてサイン会も行っている。
- 第40回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1970年1月15日 - 22日、日本劇場)
- 第41回 日劇ウエスタン・カーニバル (1970年5月2日 - 8日、日本劇場)
- 第42回 日劇ウエスタン・カーニバル (1970年8月25日 - 9月1日、日本劇場)
- 第43回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1971年1月15日 - 22日、日本劇場)
- 第44回 日劇ウエスタン・カーニバル ~ みんなで踊ろう! (1971年4月23日 - 29日、日本劇場)
- 第45回 日劇ウエスタン・カーニバル (1971年8月27日 - 9月2日、日本劇場)
- 第46回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1972年1月15日 - 22日、日本劇場)
- 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「フォーリーブスショー」
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(1973年5月4日、日本劇場。振付:北公次、小井戸秀宅。音楽:高橋洋一。舞台装置:引田天功)
- 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「郷ひろみショー」 (1973年5月5日 & 6日、日本劇場。舞台装置:引田天功)
- 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「ヤング・アイドルショー」
- (1973年5月7日 & 8日、日本劇場。音楽:渡辺茂樹。舞台装置:引田天功)
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以上、第49回の3ステージは全て「永田英二とスーパーエイジス」名義で出演。
- クリスマスワンマンショー (1975年12月、名古屋・御園座)
- 長田栄二“アラ還”記念ライブ (2011年5月29日、南青山・gigabar TOKYO) ゲスト:北公次
- POWER OF ART PROJECT 5th LIVE 2011 ~人と人との繋がりが・・・心を変える!「絆」~
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(2011年10月20日、原宿・ASTRO HALL) バックバンドのドラムは長沢悟
- オフィスタッチ & Sound Records合同企画イベント (2012年2月27日、渋谷・GUILTY)
- POWER OF ART PROJECT 6th LIVE by the Music ~明日へのチカラ~
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(2012年5月29日、渋谷・GUILTY)
- Sound Records Presents 「Live 4 seasons ~夏~」 (2012年9月7日、渋谷・GUILTY)
- POWER OF ART PROJECT 7th LIVE 2012 ~勇気を出せば…人生が変わる ! ! ~
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(2012年12月3日、渋谷・GAME) 近田春夫も出演
- ひまわりの詩 タケ・ウケタ『SAIKAI ~再会~』リリース記念SPECIAL LIVE
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(2012年12月21日、港南区民文化センター・ひまわりの郷)
ジャニーズ時代の盟友・円谷弘之と共にグループサウンズメドレーを披露。 - POWER OF ART PROJECT 8th LIVE 2013 (2013年5月29日、渋谷・GUILTY)
- 永田英二 「58 ~ フィフティ エイト」発売記念LIVE (2014年3月13日、渋谷・duo MUSIC EXCHANGE)
- POWER OF ART PROJECT 9th LIVE 2014 ~YELL~ (2014年5月29日、渋谷・GUILTY)
- タケウケタ 「Kan Reki Live (還暦ライブ)」 (2014年6月17日、中目黒・楽屋)
- 永田英二 with ミッキー吉野 SPECIAL LIVE 2014 (2014年11月18日、渋谷・GUILTY)
- 内田裕也PRESENTS 42nd NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL (2014年12月31日、銀座博品館劇場)
- 永田英二“還暦”記念LIVE (2015年5月29日、渋谷・GUILTY)
- “EIJI NAGATA”Produce AUTUMN MEETING SPECIAL LIVE (2015年11月8日、渋谷・GUILTY)
- 貸切パーティーLIVE (2016年4月15日、銀座のオールディーズバー「ルイジアナママ」) 一般客の入場は不可
- POWER OF ART PROJECT 10th SPECIAL LIVE 「熊本地震災害支援」 (2016年6月8日、渋谷・GUILTY)
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当日は観客から義援金を集め、51,200円を日本赤十字社に寄付した。
- POWER OF ART PROJECT 11th LIVE ~魂のうた~ 「永田英二・杉山裕太郎ジョイントライブ」
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(2017年5月27日、渋谷・GUILTY)
- POWER OF ART PROJECT 12th LIVE 2018 ~未来へつなごう~ (2018年5月29日、渋谷・GUILTY)
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『テネシー・ワルツ』などの他、同年5月16日に夭折した西城秀樹を偲び、永田は西城の楽曲『激しい恋』と『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』もカバー披露した。
イベント
- 永田英二 還暦をお祝いする会
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(立食形式のパーティー。2015年5月30日、品川プリンスホテル「ゴールド19」、料金:3万円、主催:社団法人新経済懇話会)
WEB
- (-2021- コロナに打ち勝てライブ)
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主催者:タケ・ウケタ。 2021年2月26日に小岩のライブハウス「JOHNNY ANGEL」にて無観客で収録。
後日YouTubeにてライブ動画が公開される予定だったが、編集が進まずに頓挫した。
ディスコグラフィ
シングル
「永田英二」名義
- あこがれ c/w 二人の世界 (1969年8月10日)
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松山千春の1977年1月25日リリースの楽曲『初恋』の「~~~知りました」という歌詞やメロディー構成が、『あこがれ』にそっくりだと言われている。
B面曲は、あおい輝彦や石原裕次郎も同名の曲をシングルでリリースしているが、それぞれ全く別の楽曲。 - 恋をあげよう c/w 恋の歯車 (1970年1月10日)
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A面曲について、近田春夫が「全ジャニーズ曲の中で一番好き」だと語っている。
- 悲しきトレイン北国行き c/w 昨夜の出来事 (1970年5月5日)
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A面曲は後に郷ひろみがコンサートでカバー。
- あのとき僕たちは c/w メイビー (1970年11月25日)
- 愛は何処へゆく c/w 美しい夢 (1971年6月5日)
- 不思議な恋人 c/w 大人は判ってくれない (1971年11月5日。ロサンゼルスでレコーディング)
「八田英士」名義
- 別れないでおくれ c/w ひとり旅 (1974年4月21日)
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B面曲(作曲・編曲:鈴木邦彦)は、鈴木が実験的にクラビネット(電気式キーボード)サウンドを導入した意欲作だったものの、同時期に郷ひろみが全く同じサウンドのシングル『君は特別』(作曲・編曲:筒美京平。1974年6月21日発売のA面曲)で大ヒットを飛ばしたために完敗してしまったといういわく付きの作品として、また、1972年11月リリースのスティーヴィー・ワンダーの楽曲『迷信 (Superstition)』にそっくりだとして、歌謡曲マニアの間で知られている。
- それぞれの秋 c/w いわし雲 (1974年8月21日)
- さすらい c/w 風よはこんで (1974年12月10日。 A面曲は『ズンドコ節』のカバー)
「永田英士」名義
- 青春挽歌 c/w 訣別 (アデュー) (1977年5月25日)
「東京コンジョレス」名義
- コンジョレス東京 c/w ロックるロックンロール (1980年1月28日)
4曲入りEP
- 悲しきトレイン北国行き / 恋をあげよう / あこがれ / ダイアナ (1970年7月5日。「永田英二」名義)
オムニバスシングルカセット
- 黒ネコのタンゴ / ドラネコのゴーゴー (全4曲、1969年、東芝ミニカセットテープ、ZE-1065)
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永田のデビュー曲『あこがれ』を収録。 その他は、森あきよの『黒ネコのタンゴ』、『ドラネコのゴーゴー』と、加藤和彦の『ネズミ・チュウ・チュウ・ネコ・ニャン・ニャン』の3曲。 ジャケット写真は森あきよ。
アルバム
- 恋をあげよう ~ 永田英二 / ビッグ・ヒットを歌う (カバーアルバム。1970年。「永田英二」名義)
- テネシー・ワルツ / 思い出のポピュラー・ヒットを歌う ! ! (カバーアルバム。1970年。「永田英二」名義)
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アレンジ:クニ河内、前田憲男、葵まさひこ。
- 新しい旅立ち (初のオリジナルアルバム。1974年9月21日。「八田英士」名義。バストアップの6つ折りヌードポスター付)
- 郷愁 (カバーアルバム。1974年12月21日。「八田英士」名義。カラー写真集付)
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歌詞カードには、作詞家・白井章生によるポエム「郷愁」が寄せられた。
- はやりことば白書 ’80 (1980年。「東京コンジョレス」名義)
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全10曲中、永田がボーカルを担当したのは5曲のみ。
- 58 ~ フィフティ エイト (2014年3月12日。「永田英二」名義)
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ブックレットにはフォーリーブス時代の永田の写真も掲載。
客演アルバム
- 見上げてごらん夜の星を (1973年7月21日)
- フォーリーブス・郷ひろみ ジョイント・リサイタル (1974年9月5日)
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ジャニーズ事務所の自主制作によるライブ盤。シリアルナンバー入りのLP2枚組。
フォーリーブス、郷ひろみ、ジャニーズ・ジュニア(9人ジュニア)との共演盤で、同年5月3日に大阪フェスティバルホールで行われたコンサートの模様を収録。
後にCBSソニーレーベルから再発売。
「八田英士」名義で、シングル『別れないでおくれ』の歌唱で参加。
- 外道 TRIBUTE ~ゲゲゲの外道賛歌~ (2003年10月29日)
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永田はバンド「外道集団本部」のメンバーとして、楽曲『香り』に参加し、ギターとボーカルを担当した。
オムニバスアルバム
- リクエスト・ベスト・14 (1969年、LPレコード、TP-7371)
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『あこがれ』を収録。 「永田英二」名義。
- リクエスト・ベスト・14 (1970年、LPレコード、TP-7401)
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『恋をあげよう』を収録。 「永田英二」名義。
- リクエスト・ベスト・14 (1970年、LPレコード、TP-7425)
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『悲しきトレイン北国行き』を収録。 「永田英二」名義。
- リクエスト・ベスト・14 (1970年、LPレコード、TP-7489)
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『あのとき僕たちは』を収録。 「永田英二」名義。
- ヤング・ポップス ’70 (1970年、LPレコード、EP-7753)
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『あこがれ』、『恋をあげよう』を収録。 「永田英二」名義。
- プレスリー & トム・ヒット 12 (LPレコード、FRC-034)
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『ハートブレイク・ホテル』(原曲:エルヴィス・プレスリー)を収録。 「永田英二」名義。
- ゴールデン・ヒット・ポップス 12 Vol.8 (1974年5月21日、LPレコード、SOLJ-94)
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『別れないでおくれ』を収録。 「八田英士」名義。
- ゴールデン・ヒット・ポップス 12 Vol.9 (1974年7月21日、LPレコード、SOLJ-98)
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再び『別れないでおくれ』を収録。 「八田英士」名義。
- ゴールデン・ヒット・ポップス 12 Vol.10 (1974年10月21日、LPレコード、SOLJ-101)
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『それぞれの秋』を収録。 「八田英士」名義。
- ゴールデン・ヒット・ポップス全曲集 (1974年11月1日、LPレコード2枚組、SOLU-25~26)
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『別れないでおくれ』を収録。 「八田英士」名義。
- ゴールデン・ヒット・ポップス 12 Vol.12 (1975年1月21日、LPレコード、SOLJ-105)
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『さすらい』を収録。 「八田英士」名義。
- アーリーシリーズ アーリー70's メイル・アイドル・コレクション (1997年9月21日、CD、全21曲)
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ソニーの ’70年代の男性アイドルの曲を集めたコンピレーション作品で、八田英士の『別れないでおくれ』、『それぞれの秋』、『さすらい』を収録。
非売品レコード
- いんたびゅう
1970年のアルバム『テネシー・ワルツ / 思い出のポピュラー・ヒットを歌う ! !』の購入者が応募できる懸賞プレゼント盤として制作されたインタビューレコード。 品番:3ERs-294。 「永田英二」名義。 インタビュアーは文化放送の木下邦子。 裏ジャケットの寄稿は音楽評論家の伊藤強。
なお、この「いんたびゅうレコードシリーズ」は、赤い鳥、石田ゆり、岡崎友紀、小川知子、奥村チヨ、黒木憲、ゴールデン・ハーフ、越路吹雪、ザ・ドリフターズ、トワ・エ・モア、渚ゆう子、水原弘、由紀さおりのレコードも作られた。 - THIRTEEN PLACE (1971年、US盤7inchプロモ)
レコード化されていない楽曲
- しず姫参上 ! !
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作詞:SHOW、作曲:服部清。 1984年のテレビ静岡のキャンペーン「おはなししましょう」のキャンペーンソング。 「長田栄二」名義。
主な作曲提供作品
- グリコ「パピコ」のCMソング
- 日本旅行「赤い風船」のCMソング
- 宇多川都 『まぶしすぎて』
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(山口美央子との共作曲。 東映映画『極道の妻たち リベンジ』エンディング・テーマ。2000年8月23日発売)
新聞、雑誌
- スポーツニッポン (2014年2月24日付)
- 日刊スポーツ (2014年2月26日付の宅配版)
- 毎日新聞 (2014年5月14日付の夕刊「POPS こぼれっ話」のコーナー)
- 読売新聞 (2014年7月24日付の夕刊の東京本社版)
- 週刊女性 (2015年5月26日号、主婦と生活社)
- 週刊アサヒ芸能 (2015年10月8日号、徳間書店)
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「音楽生活52年 ジャニーズ1期生が初めて明かした大スター10人の㊙素顔」
外部リンク
- 永田英二 オフィシャルウェブサイト
- 永田英二 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN
- (株)オフィス・タッチ
- 永田英二 - Facebook公式ページ
- 永田英二 - マルベル堂
- 八田英史 - マルベル堂
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