ジャニーズ百科事典





近藤真彦

近藤 真彦(こんどう まさひこ、本名:近藤彦、1964年7月19日 - )は、ジャニーズ事務所所属の歌手、俳優。 同事務所の取締役、及び、レーシングチーム「KONDO Racing」を運営する会社「(株)エムケイカンパニー」の代表取締役社長 兼 チーム監督。
神奈川県横浜市瀬谷区生まれ、同県大和市育ち。 血液型:O型。 愛称:マッチ (名付け親は松原秀樹)。


 
目次
1 参加ユニット
2 学歴
3 来歴
3.1 タレント活動
3.2 武道館コンサート
4 人物・エピソード
4.1 人物・エピソード
4.2 母親の遺骨盗難事件
4.3 恋人・中森明菜の自殺未遂 / 金屏風事件
4.4 小学生男児救出
4.5 トライアスロン大会
4.6 トレイルランニング大会
5 レース活動
5.1 レース活動
5.2 主な参加レース
5.3 評価
5.4 レース界での交友関係
5.5 F1中継
6 主な出演作品
6.1 バラエティ番組
   6.1.1 バラエティ番組
   6.1.2 夜のヒットスタジオ
   6.1.3 NHK紅白歌合戦
6.2 テレビドラマ
6.3 テレビアニメ
6.4 映画
6.5 Vシネマ
6.6 吹き替え
6.7 舞台
6.8 ラジオ
6.9 CM
7 ディスコグラフィ
7.1 シングル
   7.1.1 シングル
   7.1.2 再発売8cmシングルCD
   7.1.3 「MATCHY with O.A.I」名義作品
   7.1.4 「MATCHY with QUESTION?」名義作品
   7.1.5 シングル売上推移 (オリコン調べ)
7.2 ミニアルバム
7.3 アルバム
   7.3.1 オリジナルアルバム
   7.3.2 サウンドトラック
   7.3.3 ライブアルバム
   7.3.4 ベストアルバム
   7.3.5 アルバム売上推移 (オリコン調べ)
   7.3.6 インストアルバム
   7.3.7 トリビュートアルバム
7.4 タッチ式サウンドペン
7.5 提供楽曲
7.6 ビデオ
7.7 DVD
8 書籍
8.1 著書
8.2 ムック
8.3 写真集
8.4 連載
8.5 雑誌
8.6 新聞
8.7 近藤真彦をモデルにした漫画
8.8 関連書籍
9 カレンダー
10 外部リンク



参加ユニット



学歴

  1. 大和みどりが丘幼稚園
  2. 大和市立下和田小学校
  3. 大和市立渋谷中学校
  4. 明治大学付属中野高等学校 (定時制)


来歴

タレント活動

  • 近藤が所属していた少年野球チームの監督の娘が、バットを構えている近藤の野球姿の写真をジャニーズ事務所に送った。 これがきっかけで、当時のジャニーズ事務所の地下にあった小劇場「アトリエ・フォンテーヌ」で開催されたジャニーズJr.のオーディションに呼ばれ、1977年の中学1年生(13歳)の時にジャニーズに入所。 しかし、毎週日曜のダンスレッスンに対し、月に一回くらいしか通っていなかった。
  • ギャングス」の付き人を経て、1979年、TBSの連続ドラマ『3年B組金八先生』のオーディション合格。 同年10月に生徒役でデビュー。
    以降、同じく生徒役だった田原俊彦野村義男と共に、「たのきんトリオ」として活躍。
  • 1980年12月12日、シングル『スニーカーぶる〜す』でソロ歌手としてデビュー。キャッチフレーズは「フライングボーイ」。 1980年代を代表する男性トップアイドルとして君臨し、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に活躍した。
  • 1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。 また、「ミルウォーキー」(通称:ウォーキー。黒のマント、頭に金色のリボンが特徴)、「ホワイト・チャーム (通称:チャーム)」、「卑弥呼」(赤のハッピ、ピンク色のマントの背中に黄色で「卑弥呼」の文字、赤のマフラーが特徴)、「ストロベリージャム」(赤白ギンガムチェックの服と赤いボレロが特徴)、「影法師 (シャドー)」(金色のハッピの上に黒のケープ姿が特徴)、「影武者」(赤いハッピが特徴)、「リトル・バニー」、「真彦隊」(ピンク色のハッピが特徴)、「キャッツ」、「キャンドル・ボックス」、「Milk Girls」、「ロンリー・ポップ (通称:ロンポ)」、「ピエロ」、「クリエイト」、「パピット」(ピエロ襟が付いた紫の服と黄色いファーのカチューシャが特徴)など、ファンによる数々の親衛隊が作られ、中には男性ファンだけの親衛隊「近藤隊」(学ランと黒ハチマキが特徴)も存在した。 (事務所では「応援グループ」という呼び名で統一。親衛隊という言い方はさせなかった。また、主要な応援グループが一気に集結し、1982年4月29日放送の『ザ・ベストテン』で「ふられてBANZAI」を歌う近藤を囲んで応援する様子が放送された)
    そして、ステージ用の応援コールとして、
    「L・O・V・E 近藤真彦 ガッツ根性フライングボーイ アイムハッピーナイスデー セクシーデイモスオンリーユー」、
    「M・A・S・A・H・I・K・O グレートシンガー近藤真彦 セクシーデイモスオンリーユー」、
    「L・O・V・E 近藤真彦 真夏を独占 やるっきゃない!」、
    「G・U・T・S 近藤真彦 アダルトタッチのセクシーボーイ ま〜っさひ〜こ〜」、
    「この世の大将ただ一人 近藤真彦あんたが大将」なども作られた。
  • 2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース(楽曲提供ロクセンチ)し、芸能界への復帰を宣言。
    復帰の第一弾として25周年記念ディナーショーを開催し、歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した (鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。
    また、同年以降のジャニーズ年越しライブにも、スペシャルゲストとして参加するようになった。
    ジャニーズ事務所内では一番の年長者でボス的な存在(生活指導担当)とはいえ、ジャニーズのファン層がもはや近藤が第一線で活躍した時代を知らない人が多数になりつつあることもあり、2005年以降の年越しライブに参加して歌を歌い、改めて年長者としてのケジメをつけている。
  • 2006年9月1日放送の金曜エンタテイメント『内田康夫旅情サスペンス 岡部警部シリーズ 〜倉敷殺人事件〜』(フジテレビ)では、「ドンウォリー!」以来のドラマ主演を務め、更に2007年8月31日には、岡部警部シリーズ第2弾として『〜多摩湖畔殺人事件〜』、2008年9月5日には第3弾『〜十三の墓標〜』が放送された。

武道館コンサート

  • 2006年2月14日には、デビュー25周年記念として日本武道館でコンサートを行う。 当公演の前売りチケットは、発売開始後5分で完売した。
    当日のステージでは、約7年のブランクがあった事を感じさせない熱唱ぶりを披露し、’80年代以来のファンを大いに魅了した。
    なおこの日は、サプライズゲストとして、KAT-TUN亀梨和也が応援に駆けつけている。
    また、アンコール中に報道陣をステージに集結させて記者会見を開き、楽曲「ギンギラギンにさりげなく」を報道陣まで一緒に歌わせるというサプライズも披露した。
  • 近藤自身からの「感謝の意を込めて」ということで、翌2007年2月14日にも武道館コンサートの再演が行われた。  更に同年3月11日には「ちょっと早いWhite-dayコンサート」として追加公演が、翌2008年2月14日には「近藤真彦 〜08.02.14武道館で“ひとくぎり”ケジメLive!!〜」として再々演が行われた。
    そしてこの3年連続(計4回)の公演をもって、武道館でのコンサートシリーズに一区切りをつけた。

    • 2007年2月14日の再演では、アンコールでは日比谷野外音楽堂でのデビュー10周年記念コンサート(1990年7月20日&21日)以来、17年ぶりに短パン姿となって「スニーカーぶる〜す」などを熱唱した他、ピンク・レディーの「ウォンテッド(指名手配)」、西城秀樹の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」といった他のアーティストの楽曲も披露した。

    • 2007年3月11日の追加公演では、楽曲「大将」の間奏中に、自身がデビュー後初めて公約していた通りの華麗なフライング(宙吊り)を披露する場面があった。
      また、「YOUNG MAN (Y.M.C.A)」の途中では、SMAP中居正広少年隊植草克秀(2006年2月14日以来)が応援に駆けつけた。
      中居は大の近藤ファンでもあり、特に思い入れのある曲「うそのない言葉」をデュエットで熱唱したりと、初回以上に追加公演の方が盛大となった。

    • 2008年2月14日の公演では「スニーカーぶる〜す」から「目覚めろ!野性」までの全シングル44曲を完全熱唱し、途中15分の休憩を挟んで3時間30分に及ぶロングラン公演となった。 後半ではサプライズゲストとして元・たのきんトリオの野村義男が駆けつけ、ライブでは12年ぶりに共演を果たした他、少年隊の植草克秀(2007年3月11日以来)やタッキー&翼の滝沢秀明と今井翼も応援に駆けつけた。 中でも今井翼はマッチと「少年のこころ」をデュエットで熱唱していた。 そして、2007年12月から期間限定で結成されたユニット「MATCHY with QUESTION?」がこの日を最後に解散となった。

    • この武道館コンサートには、森光子(2006年2月14日、2007年2月14日、2008年2月14日)や黒柳徹子(2007年2月14日、3月11日、2008年2月14日)の姿もあった。
  • 2006年2月14日の日本武道館公演のダイジェスト版と、翌2007年2月14日の公演の模様を収録したDVDが、2007年5月9日にリリースされ、同年5月21日付のオリコン音楽DVDランキングで初登場1位を獲得。
    オリコンでの1位獲得は、1987年9月28日付でシングル『泣いてみりゃいいじゃん』が獲得して以来、19年8ヵ月ぶり。 映像作品としては、1987年3月30日付でビデオ『OH!ROCK'A MONO』が獲得して以来、実に20年2か月ぶりの1位獲得となった。
    続いてファンからのリクエストとして、公演後から殺到していた2008年2月14日の日本武道館公演、および2007年12月26日公演のディナーショーなどの模様を収録したLIVE DVDも、本人の44歳の誕生日となる2008年7月19日に併せてリリースされた。


人物・エピソード

  • 趣味は自転車とミニカーの収集。 また、無類のメダカ好きでもある。

  • マッチ」という有名な愛称は、名前が「真彦」だからではなく、ジャニーズJr.時代の近藤が、ある日合宿所で、寮長でもあった松原秀樹から一発芸を求められ、床に頭を擦り付けながら「マッチ!」と言ってモノマネしたのが大受け。 それ以来、松原から「マッチ棒」と呼ばれるようになった。 その後、次第に「棒」が取れ、「マッチ」のあだ名で定着した。 一般的によく語られる、 「ジャニーズJr.時代の近藤が、体はヒョロヒョロとしていて、頭は短髪で小さく、遠くから見たらマッチ棒みたいだ、という理由で、松原が“マッチ棒”と命名した」 という説は、近藤自身による勘違いである。
    なお、中学時代に女子から呼ばれていたあだ名は「マコちゃん」だった。
  • 神奈川県大和市に住んでいた当時、アイドル活動と並行しながら、地元の有名な暴走族「ホワイト・ナックル」にも参加していた。 雑誌『FOCUS』(1988年3月4日号)でも、白い特攻服に身を包んで不良仲間と一緒に写っている、高校1年生当時の近藤の写真が掲載されている。
    また、中学生の頃から先輩にバイクを借りて、同級生と一緒に無免許運転で毎日の様に江の島まで遊びに行っていたことも告白している。(『週刊セブンティーン』 1983年8月16日号)
  • 高校受験に関して、一部では静岡県沼津市の私立沼津北高等学校(後の私立誠恵高等学校)を受験して落ちたという説があるが、これは根も葉もない噂である。 実際は、神奈川の私立平塚学園高等学校を受験したが不合格。  続いて、野村義男と共に定時制の東京都立代々木高等学校(現在は廃校)を受験したが、やはり2人とも不合格となった。
    しかしその後、野村と共に明治大学付属中野高等学校(夜間の定時制)へと無事に進学し、4年後に2人とも卒業した。
  • 1980年7月17日放送の『ばらえてい テレビファソラシド』において、美空ひばりの歌をリハーサルで聴き、近藤はそれが誰かを知らず、マネージャーに向かって「あのおばさん、歌うまいね」と発言。 それを聞いていた周りのスタッフは全員凍りつき、プロデューサーも飛んで来る事態に。 慌てたマネージャーは近藤を連れ、怒られるのを覚悟で美空に謝罪。 だが美空は、「私、今まで面と向かって上手って言われたことが無いの。歌をほめられたの初めてよ」と笑顔で対応し、近藤を楽屋にまで招き入れてくれた。それ以降2人は親しくなり、お互いのコンサートに行くなど親交を深め、近藤は、「ひばりさんは僕にとって芸能界での母親です」と慕うようになった。
  • 中森明菜、アニタ・ムイ(1986年)、浅香唯、松田聖子、橋本美加子(演歌系アイドル)らとの交際を経て、1994年6月に、九州でタクシー会社を経営する資産家の家庭で生まれ育った、元OLの和田敦子さんと極秘入籍。 同年11月24日になって、結婚発表の会見を開いた。
  • ジャニーズの後輩達に関して、
    「本来は同じ芸能界で活動するライバルなので厳しくしなければならないが、自分が一番の年長者で歳も離れているので、慕ってくればつい優しくしてしまう」と発言している。
    なお、親しい間柄の後輩は東山紀之、木村拓哉、堂本光一とも雑誌で語った。
  • 2007年10月8日、結婚14年目にして待望の長男が生まれた。予定より約2ヶ月早い出産であったが、非常に元気で「まだ父親になったという実感が沸かない(未熟児で保育器に入っていたため)。 まだ抱っこしていないが、早く抱っこしたい」と喜びのコメントを発表した。
    車好きの近藤らしく、名前を「轟丞 (ごうすけ)」と命名。 近藤曰く、「字画にこだわり、轟の字の一番上の車の字は長男、下の二つの車は近藤本人と敦子夫人を表す意味を込めた」とのこと。
  • 2012年5月14日深夜、父・正勝が都内の病院で胃がんのために逝去。 69歳没。 通夜は同月16日、葬儀・告別式は17日に、神奈川県内の斎場で近親者のみで行われた。 闘病生活は1年半以上に渡り、近藤は自宅近くの病院に入院した父を、可能な限り毎日見舞いに訪れ、最期は近藤ら家族が看取った。 近藤は、「自分の47年の人生で、この1年半が一番、父親との時間を長く持てました」と話した。

母親の遺骨盗難事件

  • 近藤はアイドル全盛期だった頃に、両親に喫茶店をプレゼントする。 店名は「喫茶るんるん」(営業時間:10時〜21時。昼は喫茶店、夜はスナック。当時の所在地:藤沢市湘南台1-9-2 石井ビル202号)。 両親は日本全国からやって来る多くの近藤ファンの相手をし、Tシャツなど、お店の様々なノベルティーグッズも製作した。 沖縄から直送されるビーフサンドが名物で、雑誌『週刊セブンティーン』(1984年7月3日号)では店で働く両親の姿も掲載された。
    しかし1986年11月23日深夜0時頃、スナック勤務を終えた母親・美恵子は飲酒運転をし、横浜市泉区上飯田402の市道でカーブを曲がりきれずにガードレールと電柱に激突。 翌24日に逝去した (42歳没)。 近藤ははかり知れないほどのショックを受けるも、告別式では最後まで涙をこらえて気丈に振舞い、翌日からは中断していたドラマ(『3年B組金八先生スペシャルX』)の撮影に復帰した。  そして母親の死後も、「喫茶るんるん」は父親と弟の2人で営業を継続した。
    それから約1年後の1987年12月29日、母親の遺骨が、埋葬先の横浜市栄区上郷町の「横浜霊園」から骨壺ごと盗まれるという事件が発覚する。
    まず同月の26日に、所属レコード会社のCBS・ソニーに「日本レコード大賞を辞退しろ。辞退しなかったらどんなことになるか。横浜の墓の下をよく見ろ。詳しくは速達で出す」といった脅迫電話が、中年男の声でかけられていた。
    そして実際に同月28日、「母親の遺骨を預かっておく。遺骨を返してほしければ、レコード大賞の出席を辞退しろ」という脅迫状がCBS・ソニーの社長宅に速達で届いた。  そのため、横浜・栄署は翌29日に近藤の父親の立会いの下でお墓を調べた結果、骨壺が無くなっていることが確認された。
    悩んだ近藤は、父・正勝に「自分がこういう仕事をしているから遺骨がトラブルに遭った。ごめんなさい」と土下座して謝罪。 すると父親は近藤を抱きしめた後、「お母さんはきっと(授賞式には)出なさいと言うと思う」と話した。 近藤は悩み抜いた末、レコード大賞の授賞式に出席。 その結果、近藤の楽曲『愚か者』が見事にレコード大賞を受賞した。
    なお、この一連のトラブルの経緯は、近藤本人の意志で、翌1988年1月まではマスコミに公表しなかった。 そして、事件の真相や遺骨を盗んだ犯人については様々な説が浮上したが、結局その後も明らかになることはなかった。

恋人・中森明菜の自殺未遂 / 金屏風事件

  • 1989年1月後半、近藤が恋人の中森明菜と共にハワイ旅行を楽しむ。 しかしスケジュールの都合で2人はハワイで解散し、中森は日本に帰国。近藤はそのままニューヨークへと移動した。

    その後、週刊誌『FRIDAY』(1989年2月24日号)にて、同年2月2日の夜に近藤が松田聖子とニューヨークのパークメディアンホテルのバーで密会し、時折ディープキスまでしていたことが報じられる。 当時の松田には夫(神田正輝)が居たが、不仲説が囁かれている最中だった。 そして近藤は中森と6年間交際しており、結婚秒読みとまで言われていたため、近藤と松田、双方ともに浮気となるスキャンダルだった。
    同年6月6日、松田聖子が「アメリカレコーディング中間報告会」として会見を開き、FRIDAYの記事を否定。
    同年7月11日、六本木の近藤の自宅マンションの風呂場で中森明菜が左腕のひじの内側を切り、「平成最大のスキャンダル」とも呼ばれる自殺未遂騒動を起こす。 その傷は、真一文字に深さ2cm、長さ8cmも切り、神経に達するほどの重傷だった。 血まみれになっていた中森の第一発見者は、午後4時半過ぎに帰宅した近藤。 中森にはまだ意識があり、ただ「ごめんなさい」と泣きじゃくるばかりであった。 近藤はすぐに救急車を呼び、中森は慈恵医大病院に運ばれ、切れた血管や神経を接合するなど、6時間にも及ぶ手術の結果、一命を取り留めた。

    そして、同年の大晦日の22時過ぎという時間帯に、新高輪プリンスホテルからの生中継で中森の20分以上に及ぶ緊急会見が行われ、近藤も途中から同席した。 『NHK紅白歌合戦』の真裏の時間帯に行われたにもかかわらず、瞬間視聴率は17%を超えた。
    しかし、なぜ会見場のバックが、婚約や結婚を思わせる金屏風だったのか、 なぜ会見が『NHK紅白歌合戦』の真裏の時間帯に急遽行われたのか、 なぜ中森が、長年所属していた大手事務所「研音」から独立することになったのか、 なぜ設立した個人事務所「コレクション」がわずか1年ほどで消滅してしまったのか、 などの数多くの疑問点から、これらの真相はあまりにも悪質で残酷なものであるとして、いわゆる「金屏風事件」の呼び名で語り継がれるようになった。 [1][2][3]
    これに対し、近藤のファン側は、「金屏風事件はデマ」、「元ネタとなった暴露本の作者・木村恵子は中森との裁判で負けているから、本の内容も信じてはいけない」と訴えるなどの論争にもなっている。

    まず、木村恵子の本だが、内容の全てがデタラメとは言えないし、中森は木村のことを「母」とまで慕っていたため、中森から実際に聞かされた話が書かれている可能性を完全には否定できない。 それに誤判が生じた裁判も数知れない。 また、近藤や中森本人が語っているからといって、それこそが全て真実だとも言い切れない。 ファン心理としては、近藤や中森本人が発言してる言葉だけを信じたい、そこにしか信憑性が無いと思ってしまいがちだが、本人だからこそ、むしろ自分に都合の悪い決定的なことは言わなかったり、真実を一部隠す場合も有り得るだろう。 また、中森が近藤やジャニーズ事務所のことを一切悪く言ってないからといって、両者の関係が良好だとも断定はできない。 なぜなら、そもそも中森には騒動でジャニーズに迷惑をかけてしまったという大きな引け目、負い目がある訳だし、ジャニーズを非難などしようものなら、それこそ芸能界で二度と仕事が出来ないように潰されてしまうかもしれないという恐れもある。 あと、中森が騒動後、ジャニーズのタレントと何回か共演している点を取って、両者の関係が良好だと断定することもやはりできない。 「既に近藤とも破局し、ジャニーズには逆らうことの出来ない無力な中森など、今さら誰と共演しようがしまいが、もはや取るに足らないどうでもいい存在、眼中にすら無い存在」、 「ジャニーズ事務所は、あれだけ迷惑をかけた中森をも大切に扱う良い事務所です、というアピールの道具として利用」など、いくつかの説明がついてしまう。

    ただ、巷で言われている金屏風事件にも、矛盾点が散見される。
    1. 「近藤が松田聖子と浮気した報道にショックを受けて中森は自殺未遂した」とされているが、浮気報道は2月、自殺未遂は7月なので、5ヶ月間も空いている点。 (もちろん、中森の中でくすぶり続けて来た不安、不満、怒りなどが、5ヶ月目にして爆発したという可能性も否定は出来ない)
    2. 「世間を騒がせたことによる謝罪会見なのに、バックが婚約会見用の金屏風だった」とされているが、中森の会見は、芸能界への復帰報告も兼ねた会見だった。 そのため、めでたい内容だからと、金屏風が用意された可能性が高い。 第一、ジャニーズ側の目的が、中森を会見場に連れ出すことだったのであれば、「婚約会見をするから来なさい」という嘘はついたとしても、金屏風までわざわざ用意する必要は無い。 金屏風など立てたら、「これは婚約の会見だろう」と記者たちも勘違いしてしまう訳だから、会見内容が違った場合、ジャニーズ側にとってはむしろ不利になる。
        (但しこれに関しては反証を挙げることも可能。 まず、「復帰会見」と明確に銘打たれていた訳ではない。 謝罪会見でも復帰会見でもなく、放送上では「緊急会見」とだけ銘打たれた。 それに、中森は会見の冒頭でファンに対し、「ごめんなさい」と謝罪もしているし、中森側は3日前の1989年12月28日の時点で個人事務所設立の報告会見(中森本人は不参加)を既に開いているため、復帰の報告ならこの時にもう済んでいる。 わずか3日後に連続してまた会見を行う方が不自然。 中森本人の言葉で謝罪や復帰の報告をしたかったのであれば、12月28日の会見の時にまとめて一緒に出来たはずである。 それに、大晦日の会見にメリー喜多川が黒幕として大きく絡んでいた件は、後年になって捏造された話などではなく、会見当時から既に報じられていたことでもある (『FOCUS』1990年1月19日号 「明菜マッチ会見を操った黒幕のソロバン “ミソギ”のための大イベント」)。 そのため、大晦日の会見は、ジャニーズ側が企画したものであり、やはり中森はメリーによってマスコミの前に引っ張り出された側と見るのが普通である (「婚約会見をするから来なさい」と言われたかどうかまでは定かではない)。
        また、近藤のファン側(金屏風事件を否定する側)の意見として、「晴れやかな婚約会見をすると聞かされていたのなら、髪をバッサリ切ったり、地味なグレーのスーツを着て来るのはおかしい」との声もあるが、あれだけ世間を騒がせた訳だから、やはりまずは謝罪も必要。 だからこそ、中森が髪を短く切って地味めなグレーのスーツを着ていたのは、しっかりと反省の色を示した上で、婚約を世間に祝福して貰うため、と見ることも出来るし、仕事に復帰する訳だから、単に心機一転の気持ちで、サッパリと短く切っただけの可能性もある)
    3. 中森が研音から独立した理由について、 「近藤のことを寵愛していたメリー喜多川が、近藤と中森を別れさせたくて、中森を芸能界で孤立させるために、自殺未遂騒動よりも前から何度も中森に研音の悪口を伝え、研音に対する不信感を植え付け、洗脳していた」、 「中森が研音に搾取されているとの情報をメリーが週刊誌に報道させた」などと言われているが、中森は元から研音に対する強い不信感を自分自身で抱いており、それが自殺未遂の原因でもあるとも言われている。
    4. 「メリー喜多川の指図で、小杉理宇造が中森の個人事務所「コレクション」を設立。しかし中森が活動を再開する前に小杉はコレクションから撤退。 中森を孤立させ、路頭に迷わせた」とも言われているが、コレクションの社長は当初から、小杉ではなく「中山」という人物だったことは、会見での司会者や近藤の発言によって明らかとなっているし、中森のコレクションでの芸能活動も1年ほどは続いている。
      (つまり、そもそも小杉はこの件に何一つ関わっていない可能性と、小杉はコレクションの社長ではないものの、設立には協力者として関わっていたという可能性、そして、当時の小杉は「中山」という通名を使用していた可能性の3つが存在する)
    5. 「1994年12月に“明菜復活”という肩書きで開催した2夜しかないコンサートの初日の前日に、ジャニーズ事務所が近藤の婚約会見をぶつけて嫌がらせをしたため、中森は耐え切れずに初日の幕が下りてから倒れた」という説についても、 まず2夜ではなく、PARCO劇場で1994年12月1日から5日まで5夜のライブだった点、 この「歌姫 パルコ劇場ライブ」に“明菜復活”の肩書きは使用されていない点、 近藤の会見(婚約会見ではなく正しくは結婚会見)は1994年11月24日なので日付けが一致しない、などの矛盾がある。
    6. これは以下でも改めて述べるが、「近藤が中森から借りた8,000万円を持ち逃げし続けている」かのようにもされているが、実際はメリー喜多川によって8,000万円は既に返済されている。

    以上、近藤側を悪とする金屏風事件にも、いくつかの相違点、疑問点などが見受けられる。

    一方、中森の会見なのにもかかわらず、近藤はなぜか自分自身の今後の芸能活動の抱負を語り出すという、完全に場違いでトンチンカンな発言をしたり、芸能レポーターの須藤甚一郎からの核心を突いた質問に対し、近藤は須藤を槍玉にあげて恥をかかせる形で質問から逃げたりしたことでもバッシングが集まったが、少なくとも核心から逃げた点に関しては、そうするようにと事務所から指示されていた可能性がある。 (もちろん、近藤自身の判断で発言した可能性もある)
    また、近藤は会見で、「中森と社長の中山氏がわざわざ自宅まで挨拶に来てくれたことで、自分も急遽会見に同席しようと決めた」という“設定”で語っていたが、実際は当時の近藤は中森とマンションで同棲していたであろうことが写真付きで詳しく報じられている (『FRIDAY』1990年1月26日号 「明菜とマッチ「密会」億ションの「昼と夜」」)。 にもかかわらず、大晦日の会見後、近藤と中森はわずか数ヶ月で破局している。 こうした点からも、自殺未遂騒動後に近藤と中森が同棲していたのは、大晦日の会見までの間、ジャニーズ側が中森の心身をケアすると同時に、支配、監視、洗脳するためや、余計なことをマスコミに暴露させないための囲い込みであったと、金屏風事件説の中では言われている。
    結局、あらゆる真相は当事者や近しい関係者しか知り得ないが、一つ言えるのは、これらの騒動後、中森は芸能界に復帰はしたものの、以前の様な活躍は取り戻せず、日本の宝とも言うべき貴重な歌姫の一人が失速してしまったことだけは紛れもない事実であるため、ネット上では近藤に対し、「日本の歌姫をぶっ潰した男」などと表現されることがある。

    続いて1992年になると、中森側から近藤の8,000万円の未払い問題が訴えられる。 これは、自殺未遂騒動よりも前、2人が同棲同然の生活を送っていた頃に、2人の新居用の土地や家具を購入するという名目で近藤が中森から受け取っていたものだった。 しかし、そのお金は近藤のF3カーレースの資金として注ぎ込まれて既に消えていたため、8,000万円はメリー喜多川が肩代わりをした。
    (なお、近藤の元関係者だと自称する人物が、「8,000万円を借りたのは近藤ではなく、近藤のマネージャー。 マネージャーが、中森に近藤との結婚を匂わせ、新居購入資金として8,000万円を出させて、自分の借金の返済にあてた」と証言しているとの情報も存在する。 しかし、中森が8,000万円をマネージャーに出す前に、恋人の近藤に確認や報告をしない訳が無いので、この話には無理がある)

小学生男児救出

  • 2004年8月4日の午前、和歌山県白浜町の白良浜沖で溺れていた当時小学2年生の男児を救助した。 男児がゴムボートから転落している所に近藤が水上バイクで近付き、
    「大丈夫だ!お兄ちゃんが助けてやる」と海に飛び込んで救助した。
    近藤は名前も言わずその場を去ったが、少年の父親は後で救助してもらった人物が近藤だったことを知った。
    ちなみに、この事故に関しての朝日新聞での見出しは、「人命救助さりげなく」であった。

トライアスロン大会

  • 2009年4月26日、「石垣島トライアスロン大会」(水泳1.5km、自転車40km、マラソン10km)に出場。 記録は3時間22分30秒。 順位は完走者1,071人中807位。

  • 2009年9月6日、「第21回 佐渡国際トライアスロン大会 Bタイプ」(水泳2km、自転車105km、マラソン20km)に出場。 自転車で転倒、右肩甲骨骨折したが完走。 記録は7時間13分9秒。 順位はBタイプ完走者661人中389位。

  • 2010年4月18日、「第26回 全日本トライアスロン宮古島大会」に出場。 記録は13時間20分0秒。

  • 2012年9月2日、「第24回 佐渡国際トライアスロン大会 Aタイプ」(水泳3.8km、自転車190km、マラソン42.2km)に出場。 記録は13時間43分1秒。

  • 2015年6月27日、スウェーデン・ ムータラで行われた「ITU 世界ロングディスタンストライアスロン選手権」(水泳1.5km、自転車120km、マラソン30km)の50〜54歳・男子の部に日本代表として出場。 記録は7時間36分5秒。 順位は同部門エントリー76人中64位、総エントリー918人中626位。

トレイルランニング大会

  • 2013年3月10日、「第1回 IZU TRAIL Journey 2013 (和文表記:伊豆トレイルジャーニー2013 伊豆松崎・修善寺間山岳競争大会)」に出場。 記録は12時間55分9秒。 順位は男子総合部門完走者1,004人中810位。


レース活動

  • 「日本一速い男」の愛称を持つプロレーサー・星野一義の指導を受け、1984年に国内A級ライセンスを取得。  同年6月には富士スピードウェイでの「’84 富士フレッシュマンレース(現:富士チャンピオンシップレース)」に参戦し、見事決勝に進出した。
    これを皮切りに星野のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦。  1994年には「全日本GT選手権」にポルシェ962CのGTカー仕様で参戦し、第3戦(富士スピードウェイ)にて1992年度全日本F3選手権チャンピオンのイギリス人ドライバー、アンソニー・レイドと共に初優勝を飾った。
  • その後は、「ル・マン24時間レース」や「フォーミュラ・ニッポン」などを中心に活躍。  また、2000年3月には自らのレーシングチームとして「KONDO Racing」を発足し、オーナー兼監督となった。
    2006年からは、念願であった「SUPER GT (旧:全日本GT選手権)」へ、日産・フェアレディZでの参戦を開始した(その後、2008年に車両を日産・GT-Rに変更)。
  • 2007年、「SUPER GT」の第4戦(マレーシア・セパンサーキット)にて、KONDO Racingとしての劇的な初優勝を飾る。
    2008年もセパンサーキットで優勝し、連覇を達成したのに続き、同年の「フォーミュラ・ニッポン」第7戦(富士スピードウェイ)でも、8年目にして初優勝を達成した。
  • チームオーナー 兼 監督業をメインにしているが、「ミッレミリア」や「スーパー耐久」への参戦など、ドライバーとしての活動も継続。
    2007年7月の「スーパー耐久」の一戦である「十勝24時間レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)でも、「FINA GSX ADVAN BMW・M3」チームの助っ人ドライバーとして出場し、ST3クラスで優勝に導いている。

  • 2019年6月20日からドイツで開催された自動車レース「第47回 ニュルブルクリンク24時間耐久レース」のSP9(FIA-GT3)クラスに、日産のKONDO Racing Teamの監督として初挑戦。 同月23日には決勝に出場し、日本勢最上位となる総合10位を獲得した。

主な参加レース

  • ’84 富士フレッシュマンレース (現:富士チャンピオンシップレース)
       (1984年6月、富士スピードウェイ)
  • ’89 レース・ド・ニッポン (1989年8月、筑波サーキット)
  • 全日本F3第10戦 「スーパーファイナルラウンド IN SUZUKA」 (1989年11月、鈴鹿サーキット)
  • ル・マン24時間レース
  • フォーミュラ・ニッポン
  • SUPER GT (旧:全日本GT選手権)
  • ミッレミリア
  • スーパー耐久
  • 第47回 ニュルブルクリンク24時間耐久レース (2019年6月20日 - 23日、ドイツ。選手ではなく監督として参加)

評価

  • 「全日本GT選手権」では、優勝を飾るなどの活躍を見せたが、若手ドライバーの登竜門の「全日本F3選手権」での優勝経験がない他、1995年から2000年まで参戦した旧「全日本F3000選手権」→「フォーミュラ・ニッポン」と続く国内トップフォーミュラにおいても、荒天で大荒れのレースとなった1996年の最終戦に6位入賞したのが唯一のポイント獲得であり、トップフォーミュラのドライバーとしては目立った実績を上げることは無かった。
  • ただ、当初は「芸能人の道楽」と冷ややかな視線を送られたにもかかわらず、結果だけでしか評価されないレース活動を続ける中で地道に努力し、プロのレーシングドライバーでも難しい「全日本選手権」における優勝や入賞など、プロにも伍する結果を出していった様子を評価する向きも徐々に増えていき、最終的にはプロと並び、日本のレース界の中枢で存在感を持つ存在となった。
  • 過去に岩城滉一やヒロミ、三原じゅん子や夏木陽介など、芸能活動の傍らモータースポーツ活動を行った芸能人は少なくないが、その多くが全日本選手権クラスのレースにおける優勝はおろか、ポイント獲得すらままならずに消えていく中で、全日本選手権クラスのレースにおける優勝やポイント獲得という、きちんとした結果を出していた近藤のレースへの取り組み方は、群を抜いていることは確かである。
    そういったこともあり、「サーキット上ではアイドルの『マッチ』ではなくレーサー『近藤真彦』なので、『マッチ』とは呼ばないでほしい」と述べたこともあった。
  • また、四半世紀以上に渡り日本の4輪モータースポーツに関わり続け、バブル景気崩壊後に大口スポンサーの撤退が相次ぎ国内トップフォーミュラの参戦台数が減少する中で、地道に独自スポンサーを獲得してレース活動を継続してきた点も評価された他、「KONDO Racing」設立以後はレーシングチームの監督としての采配を高く評価されるケースも増えている。

レース界での交友関係

  • レース界でも交友関係は広く、レーサーとしての近藤の師匠的存在である星野一義はもちろんのこと、土屋圭市、鈴木亜久里、脇阪寿一とも仲が良い。
  • かつてのチームメイトである片山右京、木下隆之、影山正彦、鈴木利男、竹内浩典や、近藤が監督を務めるチーム「KONDO Racing」にドライバーとして参加したエリック・コマス、土屋武士、道上龍、立川祐路、金石勝智、荒聖治、山本左近、ロニー・クインタレッリといった面々とも仲が良く、交友関係は実に幅広い。
    また、2006年から監督としての「SUPER GT」参戦が決まった際には、星野や長谷見昌弘と同じ日産陣営の監督らにも大歓迎された。

F1中継

  • 1989年の「日本グランプリ」にレポーターとして登場以来、数年間に渡ってフジテレビのF1中継(F1グランプリ)のレポーターを務めた。  その後、2003年からはF1中継のレギュラー解説者を務めている。
    当初は、F1ファンから近藤の解説に対して批判的な意見も多かったが、現役のレーシングチーム監督としての分析を巧みに取り入れた解説スタイルにしてからは、一定の評価を受けているという声もある。


主な出演作品

バラエティ番組

  • ばらえてい テレビファソラシド (1980年4月10日 - 1981年4月2日、NHK総合)
  • ザ・ベストテン (1980年 - 1989年6月15日、TBS)
  • ザ・トップテン → 歌のトップテン (1981年 - 1989年、日本テレビ)
  • ヨッちゃん・ぼんちのアイドル大集合 ! ! (1981年、日本テレビ)
  • 日曜お笑い劇場 (1981年5月3日 - 9月20日、日本テレビ) 三波家の次男役。 ジャニーズJr.鈴木則行と共演。
  • 日曜8時!ドパンチ放送 ! ! (1981年10月11日 - 11月29日、日本テレビ) 三波家の次男役。 郷ひろみ、鈴木則行と共演。
  • カックラキン大放送 ! ! (1981年 - 1985年3月、日本テレビ)
      コント「潜入刑事シャドー81」と、アメリカの刑事ドラマ『それ行けスマート』のパロディコント「特捜刑事!それ行けスリッパー ! !」(1984年度)にて主演。
  • FNS歌謡祭 (1981年12月 - 、フジテレビ)
  • カックラキン決定版! (1986年4月25日 - 9月26日、日本テレビ)
  • ピンキーパンチ大逆転 (1982年4月1日 & 8日、TBS)
  • 桜中学大音楽会 〜 金八新八仙八貫八と138名の卒業生達 (1983年4月1日、TBS) 星野清役
  • 笑ってポン! (1983年7月6日 - 9月28日、TBS)
  • 8時だョ!全員集合 (TBS)
    • 1984年5月19日 - 『ケジメなさい』を披露
    • 他…
  • 徹子の部屋
      (1982年1月7日、1983年、1987年5月4日、1991年、1995年、2000年、2014年12月12日、2015年5月27日〔「祝10000回放送! 1時間拡大スペシャル」、東山紀之と〕、2016年2月19日〔「第10回 徹子の部屋コンサート in 日本武道館」、南こうせつらと共に〕、2017年11月23日、テレビ朝日)
  • アイドル花組おとこ組 (1986年、日本テレビ) ゲスト出演
  • 森田一義アワー 笑っていいとも! 「テレフォンショッキング」ゲスト
      (1987年3月11日、1990年1月26日、1991年10月16日、1992年10月26日、1994年2月22日、1995年4月19日、1996年12月2日、1997年7月1日、1999年4月27日、2002年5月22日、2005年12月15日、2007年2月8日、フジテレビ)
  • 運命GAME (1991年6月、フジテレビ) ゲスト出演
  • ザ・ベストテン同窓会 (1993年12月26日、TBS) 少年隊、光GENJI、中森明菜らと共演
  • とんねるずの生でダラダラいかせて ! ! (日本テレビ)
       「生ダラKART GRAND PRIX」のコーナーに出演。
  • さんまのまんま (1995年、フジテレビ)
  • SONGS (2010年12月8日、12月15日、2015年12月12日、NHK総合)
  • 中居正広の金曜日のスマたちへ (TBS)
  • 関ジャニの仕分け∞ 2時間スペシャル (2011年10月22日、2012年11月17日、テレビ朝日)
       「ジャニーズ愛仕分け」のコーナーにゲスト出演
  • COMPASS 〜未来航路〜 (2012年9月28日、日本テレビ)
  • SMAP×SMAP (2012年11月12日、フジテレビ) 野村義男とのWゲスト出演
  • VS嵐 (2015年11月26日、フジテレビ)
  • SHIONOGI MUSIC FAIR (2015年12月5日、他、フジテレビ)
  • 嵐にしやがれ (2015年12月5日、日本テレビ)
  • TOKIO× (カケル) (2015年12月9日、フジテレビ)
  • 王様のブランチ (2017年12月2日、TBS) 「買い物の達人」のコーナーにゲスト出演
  • 近藤真彦40周年記念特番 〜マッチに賛否両論ぶつけてみた!〜 (2020年1月3日、テレビ東京)
  • 有吉ダマせたら10万円 (2020年2月22日、フジテレビ)
  • さんまのまんま35周年SP (2020年6月19日、フジテレビ)
  • 他多数…

夜のヒットスタジオ

フジテレビ。 総出演回数:128回。

   

NHK紅白歌合戦

  1. 第32回 (1981年12月31日) - 「ギンギラギンにさりげなく」
  2. 第33回 (1982年12月31日) - 「ホレたぜ!乾杯」
  3. 第34回 (1983年12月31日) - 「ためいきロ・カ・ビ・リー」
  4. 第35回 (1984年12月31日) - 「ケジメなさい」
  5. 第36回 (1985年12月31日) - 「ヨイショッ!」
  6. 第37回 (1986年12月31日) - 「青春」
  7. 第38回 (1987年12月31日) - 「愚か者」
  8. 第39回 (1988年12月31日) - 「あぁ、グッと」
  9. 第47回 (1996年12月31日) - 「ミッドナイト・シャッフル」
  10. 第66回 (2015年12月31日) - 「ギンギラギンにさりげなく」 (初のトリも務めた。大トリは松田聖子)

テレビドラマ

連続ドラマ
  • 3年B組金八先生 (1979年10月26日 - 1980年3月28日、TBS) 星野清役
  • ただいま放課後 (1980年5月26日 - 12月22日、フジテレビ)
       主演・岡田達也役。 第28話までの出演。
  • 3年B組金八先生(第2シリーズ) (1980年12月26日、TBS)
       第13話「同窓会・贈る言葉」にて星野清役
  • 『ヤンヤン歌うスタジオ』内の5分枠ドラマ (テレビ東京)
    • マッチの燃えろ!青春
    • マッチの燃えろ!青春 PART2 (1981年)
    • マッチの燃えろ!青春 PART3
    • マッチの燃えろ!青春 PART4
    • マッチの青春叛逆児 (アウトロー) (1982年6月 - 12月)
    • マッチの青春叛逆児 (アウトロー) PART2 (1983年1月9日 - 6月5日)
    • マッチの青春叛逆児 (アウトロー) PART3 (1983年6月12日 - 1984年1月22日)
    • マッチの青春スクランブル (1984年1月29日 - 7月15日)
    • マッチの青春スクランブル PART2 (1984年7月22日 - 1985年3月)
    • 野良犬伝説 (1985年4月 - 9月)
    • 野良犬伝説 PART2 (1985年10月 - 1986年3月)
  • ザ・太閤記 (1983年4月20日 - 6月29日、TBS『突撃HOTスタジオ!』内ドラマ)
  • ニッポン親不孝物語 (1985年4月12日 - 7月2日、日本テレビ) 長男の高志役
      放送開始前の仮タイトルは『悪童物語』だった。
  • 野望の国 嵐の章 (1989年10月28日 - 12月23日、日本テレビ)
       主演・湊屋舟作 (みなとや せんさく)
  • なんだら まんだら (1991年10月16日 - 12月18日、フジテレビ) 浜崎英雄役。 森光子と共演。
       当初の仮題は『ある日突然物語 (ストーリー)』。
  • 夏の嵐! (1992年8月13日 - 9月24日、TBS) 謙介役
  • 家族の物語 (1993年1月4日 - 4月2日、TBS)
  • ニュー・三匹が斬る! (1994年1月6日 - 6月2日、テレビ朝日) 吉良右近役
  • 大江戸風雲伝 (1994年4月8日 - 7月15日、NHK総合) 主演・青山信二郎役
  • 痛快・三匹が斬る! (1995年4月6日 - 8月31日、テレビ朝日) 吉良右近役
  • 3年B組金八先生(第4シリーズ) (1995年12月21日、TBS)
       第11話「十五歳の母と父 2」にて星野清役
  • ドンウォリー! (1998年4月14日 - 6月30日、フジテレビ) 主演・吉岡慎太郎役
  • ヨイショの男 (2002年5月26日、TBS) 第7話「さらば徳川部長」にて町田吾郎役。 主題歌も担当。
  • エンジン (2005年4月18日 - 6月27日、フジテレビ)
       スーパーバイザーとしてのスタッフ参加だったが、最終回にのみゲスト出演もした。
  • 恋して悪魔 〜ヴァンパイア☆ボーイ〜
      (2009年7月7日 - 9月8日、フジテレビ) 特別出演・ヴァンパイアのカイト役
  • トットちゃん! (2017年11月24日、29日、12月12日、テレビ朝日) 第40話、43話、52話にて森繁久彌役
単発ドラマ
  • 爆笑ヤンヤン時代劇 「幕末 花の美剣士たち」 (1981年1月4日 テレビ東京)
  • 3年B組金八先生スペシャル (1982年10月8日、TBS) 星野清役
  • オールスターアイドルドラマ 「走れ青春 42.195キロ 〜 涙と汗のマラソン野郎」
      (1984年4月11日、テレビ東京、企画・監修:井上梅次) 主演
       シブがき隊、中村成幸、宇治正高、川原田新一も共演。
  • 3年B組金八先生スペシャルV (1984年10月5日、TBS) 星野清役
  • 3年B組金八先生スペシャル5 (1986年12月26日、TBS) 星野清役
  • マイフェアねーちゃん (1987年1月18日、TBS・東芝日曜劇場)
  • 螢たちの挽歌 (1988年4月8日、フジテレビ) 主演・新米刑事の亮役
  • 逃亡者 (1988年12月10日、NHK総合) 主演
  • 大風呂敷 〜時代をクリエートした男 後藤新平〜 (1989年4月10日、テレビ東京)
      主演・青年期の後藤新平役。 同役の壮年期以降を演じたのは森繁久彌。
  • 炎の挽歌 (1989年5月12日、フジテレビ) 主演
  • 私のカレは三代目 (1989年11月27日、TBS) 主演・高澤新太郎役
       当初の仮題は『近藤真彦の三代目物語』だった。
  • 花燃える日日 青春航路 炎の章 (1990年2月17日 & 24日、日本テレビ)
       『野望の国』シリーズの第三部。 主演・八代卓也役。
  • 終戦45年記念3時間ドラマスペシャル 戦艦大和 (1990年8月10日、フジテレビ)
      中原孝一少尉役。 森光子が近藤演ずる中原孝一少尉の母親役で共演。
      元々は劇場用超大作映画として企画されたが、諸般の事情により映画版の製作は中止され、3時間テレビドラマとして製作・放送された。
  • ある外科医の告白 〜 生死の間に立った青年医師 (1990年11月19日、TBS) 主演
  • 世にも奇妙な物語 春の特別編 「急患」(1991年4月4日、フジテレビ) 主演・七沢治郎役
       『世にも奇妙な物語』史上最も怖い話と評されている有名な作品。
  • 実録犯罪史シリーズ 弘前大学教授夫人殺し 〜 名乗り出た真犯人
       (1992年5月29日、フジテレビ)
  • 拝啓、男たちへ (2) 〜 会議が長くて (1992年9月13日、TBS・東芝日曜劇場) 主演
  • 池中玄太83キロ さよならスペシャル (1992年10月6日、日本テレビ) 井上純一と共演
  • おやじのヒゲ 13 (1992年11月23日、TBS)
  • 春の時代劇スペシャル 桃太郎侍 〜 危うし!八百万石・闇将軍の陰謀と四人の美女
       (1993年4月1日、当初の仮題は『桃太郎侍U』、テレビ朝日)
  • 三匹が斬る!スペシャル 〜 さらば千石、大江戸の烈風ついて早飛脚!
        (1993年12月23日、テレビ朝日) 吉良右近役
  • 大忠臣蔵 (1994年1月1日、TBS・大型時代劇スペシャル) 片岡源五右衛門役
  • 3年B組金八先生スペシャル9 (1998年4月2日) 星野清役
  • 美空ひばり誕生物語 〜 おでことおでこがぶつかって
       (2005年5月29日、TBS) 医師・杉山役。 森光子と共演。
  • 「内田康夫旅情サスペンス・岡部警部」シリーズ (フジテレビ)
      主演・岡部和雄警部役。 植草克秀と共演。
    1. 倉敷殺人事件 (2006年9月1日)
    2. 多摩湖畔殺人事件 (2007年8月31日)
    3. 十三の墓標 (2008年9月5日)
    4. シーラカンス殺人事件 (2009年11月27日)

テレビアニメ

  • 超速変形ジャイロゼッター (2012年11月27日、2013年2月26日、テレビ東京)
      第9話、21話にて、マッチさん役で声優出演。 本作の主題歌『Let's Go!』も近藤が歌っている。

映画

  • 東宝映画 たのきんスーパーヒットシリーズ
    1. 青春グラフィティ スニーカーぶる〜す (1981年2月11日) 主演・金沢昌也役
    2. ブルージーンズ メモリー (1981年7月11日) 主演・金田一真役
    3. グッドラックLOVE (1981年12月20日) 準主演・北野徹役
    4. ハイティーン・ブギ (1982年8月7日、略称:ハイブギ) 主演・藤丸翔役
    5. ウイーン物語 ジェミニ・YとS (1982年12月18日) 準主演・柴田隼人役
    6. 嵐を呼ぶ男 (1983年8月4日) 主演・国分良役
          【同時上映】 「TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever」 友情出演

  • エル・オー・ヴィ・愛・N・G (1983年12月24日、東宝) 友情出演・海童征人役
  • 愛・旅立ち (1985年1月26日、東宝) 主演・五代誠役
  • この愛の物語 (1987年9月12日、松竹) スタントマンの大介役
  • 首領ドンになった男 (1991年5月11日、東映) 小倉勇武役
  • 極東黒社会 〜DRUG CONNECTION〜 (1993年5月15日、東映) 麻薬密売人の江口信久役
  • 川の流れのように (2000年4月29日、東宝、監督:秋元康) 友情出演・刑事役。 森光子、滝沢秀明と共演。

Vシネマ

  • 鏡花狂恋 (1993年12月22日発売、製作年:1992年、東北新社) 主演・波野隆役

吹き替え

  • フットルース (1986年10月25日、フジテレビ 「ゴールデン洋画劇場」) ケヴィン・ベーコンが演じるレン・マコーミック役

舞台

  • 近藤真彦特別公演 「森の石松」
      (1985年8月11日 - 27日:大阪新歌舞伎座、1986年8月3日 - 29日:明治座) 史上最年少座長。 森の石松と、石松の弟の新次郎の2役。 川ア麻世(’85年)、おりも政夫(’86年)、月丘夢路(’85年、’86年)が共演。
  • 坊っちゃん (1987年8月3日 - 25日、大阪新歌舞伎座)
       江端郁己田代秀高木暮毅が共演。
  • イダマンテ
      (1988年8月17日 - 28日:中野サンプラザ、12月10日 - 16日:名古屋・中日劇場、1989年11月10日 - 19日:中野サンプラザ)
  • 近藤真彦デビュー10周年特別企画 「若親分」
       (1990年8月3日 - 27日、大阪新歌舞伎座) 月丘夢路と共演
  • 滝沢演舞城 ’09 タッキー&Lucky LOVE
      (2009年3月29日 - 4月25日、新橋演舞場) ストーリーテラーとして録音した音声での出演
  • DREAM BOYS JET (2013年9月5日 - 29日、帝国劇場、作・構成・演出:ジャニー喜多川

ラジオ

  • マッチとデート
      1980年10月 - 1984年9月、文化放送。 『吉田照美のてるてるワイド』内のコーナー番組で、毎週月曜から金曜にかけて放送。  金曜日のコーナー「ドンキー学園応援歌」には吉田照美も出演していた。 また、近藤がリスナーに電話をして会話をする火曜日のコーナーが一番人気があった。
      番組スポンサーは一貫して単独提供で、前期は筆記具メーカーの「ぺんてる」、後期は「日産自動車」が務めた。 しかし、地方局の放送ではスポンサーが無い所もあった。 また、地方局の中には1982年9月までタイトルを『マッチと一緒に』と差し替えている所もあった。

       【タイトル変遷】
      1. 「Pop’n Pop 夜の放課後 〜 マッチとデート」
          ぺんてる提供時のタイトル。 「Pop'n Pop」とはぺんてるが当時製造していたボールペン。
      2. 「いくぜ近藤 マッチとデート」
           1982年夏まで。 1982年6月には野村義男がゲスト出演。
      3. 「マッチとデート」 (1982年夏の短期間)
      4. 「夜にくちづけ 〜 マッチとデート」 (日産提供時のタイトル)

  • 近藤真彦 ベストクルージングミュージック (1984年10月 - 1988年3月、文化放送)
  • 近藤真彦 出逢いから物語へ (1988年4月 - 1990年3月、文化放送)
  • 近藤真彦 SUNDAY MOTORADIO (文化放送)
  • 近藤真彦 くるまっち (2002年4月 - 2006年3月、文化放送)
      アシスタント:藤木千穂。 レポーター:扇一平。
  • 近藤真彦 くるくるマッチ箱 (2006年4月 - 、文化放送)
      アシスタント:千綿舞子 → 遠藤里沙 → 濱本りか → 石田絵里奈(石田の病気療養時は砂山圭大郎が代役) → 加納有沙。
  • COME ON! ROCKIN' ROAD (2016年4月3日 - 、FM COCOLO)
      ちわきまゆみとの共演番組。 2018年11月4日〜25日には、4回に渡って松原秀樹長谷部徹がマンスリーゲスト出演。

CM

  • ハウス食品
    • 「ロッカッキー」 第1弾バージョン
        1980年。 近藤が一人だけで出演。 「六角形だから、ロッカッキー。たーんじゅん!」というセリフと、近藤が歌う「ついつい♪ ついつい♪ 手が出るロッカッキー♪」というCMソングが流された。
    • 「ロッカッキー」 第2弾バージョン
    • 「ロッカッキー」 第3弾バージョン
    • 「ロッカッキー」 第4弾バージョン
        1981年。 映画『ブルージーンズ メモリー』のシーンを織り混ぜた、近藤のソロ出演篇。
    • 「ロッカッキー」 第5弾バージョン
        1981年。 サイクリング篇。 少年隊のメンバーが参加しているかは不明 (錦織らしき人物の姿は映っている)。 CMソングは、近藤のシングル『ギンギラギンにさりげなく』のカップリング曲『恋のNON STOP ツーリング・ロード』。
    • 「ククレカレー」、「ククレハヤシ」 (1981年9月 - 1990年9月)
        1981年10月からは、ジャニーズ少年隊(錦織、植草、松原の3名)が共演した。
    • 「ハウスカレー 大盛りククレ1.5」 (1983年) イーグルスと共演
  • 小西六写真工業 「ピッカリコニカ・カラーハンディ」 (1981年)
      当CMで近藤が歌っていた曲は、後に歌詞を変え、シングル『ブルージーンズ メモリー』のB面曲『青春ビーチ』として発売された。
  • 松下電器産業 (ナショナルブランド)
    • 「ステレオミニラジカセ ラブコール」 (1984年)
    • 「ラブコールW」 (1985年)
         
    • 「オングロームテープ」 (1985年)
    • 「レコーディングステレオ jump」 (1985年1月 - 1986年1月)
  • 公共広告機構
  • 日産自動車
    • 「マーチ」 (初代K10型。1984年10月 - 1989年1月)
    • 「マーチ・ターボ」 (初代1型。1985年)
  • 不二家 「ハートチョコレート」
  • 大塚製薬 「シーマックス1000」 (1989年4月 - 1993年3月)
  • サントリー
    • 「夕涼み生ビール」 (1996年夏)
    • 「アイスジン」 (2017年4月4日 - )
    • 「シングルモルトウイスキー / ブランデー」 (CMではなく雑誌広告のみ、2017年 - )
  • Olympic (2000年3月 - )
  • トヨタ自動車 (2000年9月 - 11月)
    • 「カローラセダン (9代目・E120型)」
    • 「カローラフィールダー (初代・E120G系)」
  • ポッカコーポレーション 「ポッカコーヒー・ファーストドリップ」
       (2001年9月 - 12月、デーブ・スペクターとの共演作)
  • namco 「R:RACING EVOLUTION」 (2003年12月)
  • アペックス 「i-mobisses」 (2004年3月)
  • 首都高速道路「山手トンネル(首都高速道路4号新宿線)〜(首都高速道路5号池袋線)開通」 (2007年12月)
  • ケンタッキーフライドチキン 「レッドホットウィング」 (2009年)
  • エイチ・アイ・エス (2009年10月8日 - )


ディスコグラフィ

シングル

(※印はオリコン1位獲得曲)

  • レコードレーベルは、1980年〜1984年(『永遠に秘密さ』まで)が「RVC(後のBMG JAPAN)」で、1985年の『ヨイショッ!』からは「CBS・ソニー(後のソニーレコーズ)」である。  なお、年間順位は各年30位以内のみ表示。
  1. スニーカーぶる〜す c/w ホンモク・ラット (1980年12月12日)※
      A面曲の作詞:松本隆、作曲:筒美京平。 オリコン初登場1位。 オリコン1981年度年間順位:3位。 ミリオンセールス達成。 略称:スニぶる。
      A面曲のタイトル表記は、制作段階では『スニーカーぶるす』だったが、ジャニー喜多川のアイデアにより「ぶるす」の表記に変更された。
      この他、A面曲は制作途中で歌詞が一度変更されている。初期の歌詞のバージョンは、6thシングル『ふられてBANZAI』のB面曲として発表された。
      また、2007年12月26日に発売された筒美京平作品のリミックスアルバム『京平ディスコナイト』に、小西康陽&サイケアウツ・ゴーストによる『スニーカーぶる〜す』のRemixが収録されている。
  2. ヨコハマ・チーク c/w 嘆きのリンダ (1981年3月12日)
      A面曲の作詞:松本隆、作曲:筒美京平。 オリコン1981年度年間順位:20位。
  3. ブルージーンズ メモリー c/w 青春ビーチ (1981年6月12日)※
      A面曲の作詞:松本隆、作曲:筒美京平。 オリコン1981年度年間順位:11位。 略称:ブルメモ。
      A面曲の大サビ前のブリッジ部分の歌詞およびセリフ「Baby 優しさの 意味を Baby 教えてよ さよならなんて 言えないよ バカヤロー!」は、近藤が作詞した。 当初は「Lady 優しさの 意味を Lady 教えてよ 好きだよ 好きだよ 好きだよー!」だったが、近藤がこれではとても恥ずかしくて歌えないということで、自分で歌詞を考えて変えてもらった。 しかし1981年9月17日放送のTBS『ザ・ベストテン』で一度だけ、特別に「好きだよ」バージョンの歌詞で歌われた。
      B面曲は、近藤が出演していたコニカカメラのCM曲の歌詞を変え、新たにアレンジし直したもの。
  4. ギンギラギンにさりげなく c/w 恋のNON STOPツーリング・ロード (1981年9月30日)※
      A面曲の作詞:伊達歩(伊集院静の別名)、作曲:筒美京平。 オリコン1981年度年間順位:21位。
      A面曲は、斎藤清六が1982年発売のアルバム『なんなんなんだ!?』にてカバー。
  5. 情熱☆熱風☽せれなーで  c/w あばよ ポニーテール (1982年1月7日)※
      A面曲の作詞:伊達歩(伊集院静の別名)、作曲:筒美京平。 オリコン1982年度年間順位:9位。
  6. ふられてBANZAI c/w スニーカーぶる〜す (1982年3月31日)※
      A面曲のオリコン1982年度年間順位:10位。 B面曲はデビューシングルの最初の歌詞のバージョン。
  7. ハイティーン・ブギ c/w MOMOKO (1982年6月30日)※
      A面曲の作詞:松本隆、作曲:山下達郎。 オリコン1982年度年間順位:7位。 略称:ハイブギ。
  8. ホレたぜ!乾杯 c/w カモン・ロッキンロード (1982年9月30日)※
      A面曲のオリコン1982年度年間順位:26位。
  9. ミッドナイト・ステーション c/w 天国でプラトニック (1983年1月20日)※
      A面曲のオリコン1983年度年間順位:23位。
  10. 真夏の一秒 c/w オンボロ・トレイン (1983年4月27日)※
      A面曲のオリコン1983年度年間順位:29位。
  11. ためいきロ・カ・ビ・リー c/w Hey Girl (1983年7月15日)※
  12. ロイヤル・ストレート・フラッシュ c/w 流線形のハート (1983年11月1日)※
  13. 一番野郎 c/w ムシャクシャするぜ (1984年3月1日)※
  14. ケジメなさい c/w 美しき叫び (1984年6月6日)※
      A面曲の作詞:売野雅勇、作曲:馬飼野康二。 オリコン1984年度年間順位:26位。
  15. 永遠に秘密さ c/w One more time (1984年9月13日)※
  16. ヨイショッ! c/w 黄昏サンセット (1985年2月13日)※
  17. 夢絆 (きずな) c/w 夢の長距離バス (1985年6月5日)
  18. 大将 c/w プリーズ (1985年10月21日)
  19. 夢絆 (きずな) (New Version) c/w BLUE CITY (1985年12月1日、12inchシングル
      ジャニーズ事務所の公式サイトのディスコグラフィでは「アルバム」としてカウントされている。 一方、オリコンチャートではシングルとしてカウントされている。
  20. 純情物語 c/w パラダイス抱きしめて (1986年2月26日)
  21. 青春 c/w クリスティーナ (1986年7月4日)
  22. Baby Rose c/w 愛を抱きしめて (1986年9月10日)
      A面曲の原曲は織田哲郎。 後に諸星和己もカバーした。
  23. 愚か者 c/w KISS ME PLEASE (1987年1月1日)
      A面曲の作詞:伊達歩(伊集院静の別名)、作曲:井上堯之。 日本レコード大賞受賞曲。 また、“ショーケン”こと萩原健一との競作曲でもある(萩原版のタイトルは『愚か者よ』)。 萩原版は同年1月21日にシングルとして発売された。
  24. さすらい c/w 反逆の華 (1987年6月11日)
  25. 泣いてみりゃいいじゃん c/w Just Walking Under Moonlight (1987年9月18日)※
  26. Made in Japan c/w Baby It's You (1988年4月8日)
  27. あぁ、グッと c/w 遠くへ行きたい (1988年9月14日)
      A面曲の作詞:康珍化、作曲:吉田拓郎。
  28. 夕焼けの歌 c/w Nightless Girl (1989年2月3日)
      A面曲の作詞:大津あきら、作曲:馬飼野康二。
  29. Just For You c/w Rain (1989年6月1日)
  30. いいかげん c/w 3・2・1・0 (1989年7月5日)
  31. アンダルシアに憧れて c/w つのる想い (1989年11月10日)
      A面曲の作詞・作曲:真島昌利。真島本人も同年10月21日にソロデビューシングルとしてリリースしている。
      当曲はジャニーズ事務所の後輩タレントたちにも、伝統のナンバーとして歌い継がれるようになった。  2007年10月31日にはシンガーソングライターの山崎まさよしも、アルバム『COVER ALL HO!』でカバーしている。
  32. 気ままにWALKIN' c/w 気ままにWORKIN' (1990年4月8日)
  33. 気ままにWALKIN' 〜One Step At A Time〜 (Song For Children)
    c/w 気ままにWALKIN' 〜One Step At A Time〜 (Song For Duet) (1990年5月5日)
  34. Ho Ho Ho・・・ c/w パワー・オブ・ウーマン (1990年7月12日)
  35. 好き c/w えとらんぜ (1990年10月24日)
  36. デスペラード 〜ならず者〜 c/w 今夜は・・・Alright! (1991年7月19日)
  37. 無頼派 c/w 泣いちゃえ 〜Only Cryin'〜 (1991年12月12日)
  38. 少年のこころ c/w WISE GUY (1992年5月21日)
  39. 北街角 c/w 心の旅 (1993年11月21日)
      A面曲の作詞:原真弓、作曲:馬飼野康二。
  40. 最後のラブ・ソング c/w 黄昏をあきらめずに (1995年7月21日)
  41. ミッドナイト・シャッフル c/w TRUTH (1996年2月21日)
      A面曲の作詞:沢ちひろ、作曲:Joe Rinoie。 日本テレビ系ドラマ『銀狼怪奇ファイル』OPテーマ。
  42. 愛はひとつ c/w LOVE (1997年2月21日)
      A面曲の作詞:山崎民士、作曲:Joe Rinoie。
  43. KING and QUEEN c/w アヤマチ (1998年5月20日)
      A面曲の作詞・作曲:canna。
  44. 挑戦者 c/w Never too much (2005年12月14日)
  45. 上海慕情 c/w 情熱ナミダ (2007年1月24日) 両A面シングル
  46. Banka 〜男たちの挽歌〜 c/w 愚か者 (acoustic version) (2008年12月23日)
  47. −MOTTO− c/w ZERO (2009年12月13日)
  48. ざんばら (2010年2月22日)
      ロック調の『心 ざんばら』と、フォーク調の『恋 ざんばら』を収録。 両曲とも作詞:川内康範。 第52回 日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲。
  49. Let's Go! c/w 記憶のアルバム (2012年11月21日)
      A面曲はテレビ東京のアニメ『超速変形ジャイロゼッター』のオープニングテーマ。 初回生産限定盤はDVD付き。
  50. 千年恋慕 c/w 千年恋慕 〜アナザーバージョン〜 c/w 風になろうか (2014年2月26日)
      A面曲は、滝沢秀明主演のNHK時代劇『鼠、江戸を疾る』の主題歌。 アナザーバージョンの編曲は野村義男。
  51. 大人の流儀 c/w 男 (おまえ) が目を閉じるとき (2015年12月9日)
       両面とも作詞:伊集院静。 B面曲の作曲:真島昌利。
  52. 軌跡 (2017年12月3日)
      曲タイトルは近藤がジャニー喜多川に依頼し、ジャニーが命名した。 また、レコーディング時にはベースに松原秀樹、ドラムに長谷部徹が参加。 2人は歌番組出演時のバックにも参加した。

再発売8cmシングルCD

  1. ヨイショッ! c/w 夢絆 (きずな) (1989年3月21日)
  2. 大将 c/w 純情物語 (1989年3月21日)
  3. 青春 c/w Baby Rose (1989年3月21日)
  4. 愚か者 c/w さすらい (1989年3月21日)

「MATCHY with O.A.I」名義シングル

  1. ヨイショ!’02 〜日本の皆さんホメていきまショー〜
    c/w 泣いてみりゃいいじゃん’02 Remix ver. (2002年5月22日)
      「ヨイショッ!」 のセルフカバー。稲垣吾郎、浅野ゆう子、小林稔侍、矢田亜希子、市川染五郎(7代目)、畑野浩子と共に“MATCHY with O.A.I”として歌唱。

「MATCHY with QUESTION?」名義シングル

  1. 目覚めろ!野性 c/w ミッドナイト・シャッフル ’08 (2008年1月23日)

   シングル売上推移 (オリコン調べ)

   


ミニアルバム

  1. Birthday (1981年7月19日、7inchレコード2枚組)

       

  2. 1987 LIVE SINGLES (1987年12月9日、12inchレコード)
      5万枚限定生産。 売上結果は約3.5万枚。 シングル3曲のスタジオライブによるニューバージョンを収録。 収録曲は、『愚か者』(A面)、『泣いてみりゃいいじゃん』(B面)、『さすらい』(B面)。 「3シングル・メモリアル・カード」付き。 1,000円。
      近藤は前年に母親を交通事故で亡くしたこともあり、当作品はチャリティ・レコードとして、売上の純益は全て交通安全運動、および交通遺児のために寄付された。
      ジャニーズ事務所の公式サイトのディスコグラフィでは「アルバム」としてカウントされている。 一方、オリコンチャートでは『愚か者 (12インチ)』の表記でシングルとしてカウントされている。
  3. SUMMER COLLECTION (1988年7月1日、8cmCD)
      過去にリリースされた楽曲の内、「夏」に関する作品を集めたもの。

       


オリジナルアルバム

  1. Thank 愛 You (1981年3月5日)

       

  2. ギンギラギンにさりげなく (1981年12月16日)

       

  3. BANZAI (1982年7月18日)

       

  4. RISING (1983年4月1日)

       

  5. WINNING (1984年1月1日)

       

  6. Shining (1984年8月1日)

       

  7. SUMMER IN TEARS (1985年8月1日)

       

  8. 名場面 (1986年4月10日)
      LPには初回生産限定で、6つの話を収めたイメージ・ストーリーブック(文庫本)『名場面』(監修:近藤真彦。純情文庫)と、A全ポスターが付いていた。

       

  9. DREAM (1986年12月12日)
      全曲の作曲・編曲:MARK DAVIS (馬飼野康二)。

       

  10. 抱擁 〜 FOR YOU (1987年11月26日)

       

  11. JAPAN (1988年11月2日)
      LPレコードの販売はこの作品まで。

       

  12. 夏のエアメール (1989年7月19日)
      LPの販売は無いが、有線放送用のプロモLPは製作された。 また、CDは初回生産分のみの限定販売で、ピクチャーCD仕様となっていた。

       

  13. KICKS (初回限定盤CD & 正規国内盤カセット:1989年12月12日、通常盤CD:12月21日)
      通常盤CDよりも価格が約300円高かった限定盤CD、および正規国内盤カセットには、メモリアルメタルスタンドが封入されていた。  また、正規国内盤カセットの他に、海外(アジア)製作の輸入盤カセットも存在する。

       

  14. うそのない言葉 〜THE TRUTH〜 (1990年11月10日)
      全曲、BOROによる作詞・作曲。

       

  15. 無頼派 (CD&カセット:1991年12月21日、MD:1992年12月12日)

       

  16. 綺麗 KI・RE・I (1992年12月12日)

       

  17. 北街角 (1993年12月12日)
      カセットの販売はこの作品まで。

       

  18. GET BACK (1997年7月1日)

       


サウンドトラック

  • ブルージーンズ メモリー (1981年9月5日)

       

  • グッドラックLOVE (1981年11月29日)
      「たのきんフォノシート」と題して、雑誌『ティーンアイドル』(1982年1月号)の付録として制作された同映画のサントラソノシートも存在する。

       

  • 嵐を呼ぶ男 (1983年8月4日)

       

  • TOSHI THE MOVIE (限定版:1983年10月5日、通常版:11月5日)
      カセットテープのみでの販売。 たのきん映画の中で田原俊彦が歌った曲を集めたサウンドトラック。 近藤はこの中で、『あ・ら・しのLong run』という楽曲を田原とデュエット。 近藤主演の映画『ハイティーン・ブギ』の挿入歌で、当カセットでしか聴けない音源。
      限定版は「TOSHI CAN」と題した円筒型の缶ケース入りで、田原のシングル『ラブ・シュプール』の写真集ジャケットを復刻したものと、カラーピンナップ4枚、ジグソーパズルが封入。

ライブアルバム

  • LIVE 〜 10th Anniversary ’90 (1990年7月19日)
      正規国内盤カセットの他に、海外(アジア)製作の輸入盤カセットも存在する。

       


ベストアルバム

  1. THE MATCHY best song for you (1985年4月4日)

       

  2. 近藤真彦 THE BEST (1987年6月4日)

       

  3. By Your Request (1990年12月12日) 新録音ベスト

       

  4. THE ROCK BEST (1996年11月21日) 新録音ベスト

       

  5. マッチ箱 〜25th Anniversary Complete Singles Edition〜
       (2006年1月1日) CD43枚、DVD1枚封入のBOX仕様。

       

  6. MATCHY☆BEST (2006年2月8日)

       

  7. MATCHY☆BEST U (2007年2月7日)

       

  8. 三十五周年 近藤真彦×伊集院静=二十四曲 (2015年7月19日)
      伊集院静が近藤に提供した楽曲24作品を、全て“一発録り”でライブレコーディングしたセルフカバーベスト。 レコーディングには、元ジャニーズ事務所所属だった、野村義男(ギター)、曽我泰久(コーラス)、松原秀樹(ベース)、長谷部徹(ドラム)が参加した。
      完全生産限定盤。 CD2枚、DVD1枚、大型ポートレイト10枚、ブックレット(伊集院静の直筆歌詞カード)を封入した、LPサイズのBOX仕様。 7,000円(税込)。

      同年9月1日には、金色のパッケージに入った12inchのアナログ版(3枚組)も発売された。 8,000円(税込)。 特典内容はCD版のものに加え、二つ折りポスターが1枚追加。また、ポートレイト10枚は、CD版とは別内容となっている。

       


   アルバム売上推移 (オリコン調べ)

   


インストアルバム

  • 近藤真彦 ピアノ・ソロ・インストゥルメンツ (2010年8月9日、模範演奏CD2枚組、ドレミ楽譜出版社)
      デビュー30周年記念作品として出版された楽譜。 全曲ギターコード譜付き。

       


トリビュートアルバム

  • MATCHY TRIBUTE 〜 25th Anniversary (2006年1月25日)

       


タッチ式サウンドペン

  • マッチにタッチ (2016年7月19日、予約生産限定商品)
      ブックレットに表示されてる再生アイコンにペンをタッチするだけで音源、音声が再生するもの。 1980年〜2015年までの35年間のシングル、アルバムの全379曲を収録。 曲のバージョン違い、ミックス違い、ライブ音源なども含め、2016年7月時点での近藤の生涯発表音源が全て収録されている。 更に本人による特別新録コメントも多数収録。 価格:35,000円(税抜)。
      仕様
      1. タッチ式サウンドペン1本
        • micro-SDカードに記録されたmp3 128bit/STEREO (コピーガード付)
        • イヤホン対応ジャック付
      2. 200ページのハードカバー豪華ブックレット
          収録曲全曲分の歌詞カード(サウンドペン対応)、雑誌『明星』、『セブンティーン』(共に集英社刊)、『平凡』(マガジンハウス刊)ほか協力による、近藤の秘蔵写真を多数掲載。
      3. 持ち運び用簡易ブックレット (トラックリスト掲載 / サウンドペン対応)
      4. 持ち運び用収納ポーチ (簡易ブックレットとサウンドペンが収納できるポーチ)
      5. 豪華ボックスケース
      6. 付属品:取扱説明書、単4乾電池×2

提供楽曲

  • GOGO☆パンダ! (2010年)
      NHK教育テレビ『いないいないばあっ!』向けに近藤が作曲した。 作詞:武藤京、編曲:小松洋一。

ビデオ

  1. 近藤真彦 武道館 (1984年6月15日)
  2. 近藤真彦 武道館 2 (1984年7月21日)
  3. 近藤真彦 1985 (1985年3月4日)
  4. ON THE ROAD 〜 フロリダ物語 (1986年6月1日)
  5. OH!ROCK'A MONO DIGEST (1987年11月28日)
  6. MASAHIKO KONDO LIVE ’89 (1989年7月19日)
  7. 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-1 〜 MATCHY YAON (1990年10月21日)
  8. 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-2 〜 MATCHY YAON P.S. I Love You (1990年11月21日)
  9. 10TH ANNIVERSARY 1990 MK-3 〜 PRESENT (1990年12月21日)
  10. BuLai ’92 (1992年3月25日)
  11. KI・RE・I ’93 〜LIFE & LIVES〜 (1993年4月21日)
      1993年1月7日、8日に中野サンプラザで行われたライブを収録。 野村義男もギターとコーラスで参加。
  12. Midnight Shuffle 〜 Live at Nakano Sunplaza on 1996 July (1996年11月21日)
      1996年7月30日、31日に中野サンプラザで行われたライブを収録。 野村義男もバックギタリストで参加。
  13. ジャニーズファンタジー KYO TO KYO ’97夏公演 (1998年1月1日)

DVD

  1. 近藤真彦 ’07 Valentine's Day in 武道館 (2007年5月9日)
  2. 近藤真彦 LIVE 07.12.26-08.02.14 (2008年7月19日、2枚組)
       Disc 2にて野村義男が4曲ゲスト参加。


書籍

著書

  • 青春タイトルマッチ 〜 明日に向かって (1980年12月、ワニブックス・青春ベストセラーズ)
  • いま俺、やるっきゃない 〜 真彦十八歳 (1982年10月、集英社)
  • もう一杯ぶん話そうか (1992年4月、集英社)

ムック

  • 近代映画増刊 近藤真彦特集号 MATCHY SPECIAL (1981年3月、近代映画社)
  • 近代映画増刊 MATCHY PHOTO MESSAGE 〜 近藤真彦 “最優秀新人賞” 受賞記念スペシャル (1982年1月、近代映画社)
  • デラックス近代映画 近藤真彦 「嵐を呼ぶ男」 写真集 (1983年9月、近代映画社)

写真集

  • ティーンアイドル特別編集 近藤真彦写真集 Matchy IN U.S.A. (1983年、講談社)

連載

  • Safari 「近藤真彦のつれづれ遊び!」 (日之出出版)

雑誌

  • 週刊文春 (2018年9月27日号、文藝春秋)
      滝沢秀明がジャニー喜多川の後継になることについて、近藤への直撃取材を掲載。

新聞

  • 朝日新聞の週末別冊版 「be on Sunday Television」 (2008年8月31日付、朝日新聞社)
      単発テレビドラマ『内田康夫旅情サスペンス・岡部警部 十三の墓標』についてのインタビュー記事。
  • スポーツ報知の分冊 「Lady Life Love」 (2013年8月27日付、報知新聞社)
      24年ぶりの舞台『DREAM BOYS JET』についてのインタビュー記事。

近藤真彦をモデルにした漫画

※ たのきんトリオをモデルにした漫画はたのきんのページを参照。
  • マッチのワルガキ物語 (坂田和子 著。『小学五年生』1982年1月号。小学館)
  • スターまんが 近藤真彦物語 (河合秀和 著。『小学四年生』1982年3月号。小学館)
  • スターまんが 近藤真彦物語 (水口令子 著。『小学四年生』1982年4月号。小学館)

関連書籍

  • 中森明菜 炎の恋に生きる女 (明菜番記者グループ 著、1989年10月、リム出版・LUCKY BOOKS)
  • 哀しい性 (さが) (木村恵子 著、1994年9月、講談社)
  • 中森明菜 [心の履歴書] 不器用だから いつもひとりぼっち (ポポロ編集部 著、1994年12月、麻布台出版社)
  • マルコポーロ (1995年1月号、文藝春秋) インタビュー記事 「中森明菜、激白!」
  • 中森明菜 激しさと寂しさの果ての狂気 (木村恵子 著、1995年2月、鹿砦社)
  • 週刊ポスト (2013年7月19日・26日合併号 - 10月18日号、小学館)
      ノンフィクション連載 「孤独の研究 中森明菜とその時代」 (文・安田浩一)


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  • 明星特別編集 近藤真彦 1986カレンダー (集英社)


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