ジューク・ボックス

ジューク・ボックスとは、過去にジャニーズ事務所に所属していた1970年代の男性アイドルグループである。 略称:ジューク、J・B。 1969年末結成。 1974年消滅。
メンバーの脱退・加入が非常に激しく、メンバー構成は実に11期に分かれる。
弟分ユニットは「ジューク・ボックス・ジュニア」(正確にはユニットではなく、当時のジャニーズJr.全体を指す別称)。
メンバー
- 小谷典由 (こたに つねよし。途中から小谷純。 1期〜11期)
- 風間忠芳 (かざま ただよし。 6期〜11期)
脱退メンバー
- 吉本暁弘 (よしもと あきひろ。途中から吉本あき弘。 2期〜7期)
- 円谷弘之 (つぶらや ひろゆき。 1期〜6期。 後の本多貴之 → 本田貴之)
- 岡典雄 (おか のりお。途中から岡のりお。 1期と5期)
- やなせ かおる (1期と4期)
- 近藤昌 (こんどう まさる。 1期〜3期)
- 行田和彦 (ぎょうだ かずひこ。 2期のみ)
- 村田勝美 (むらた かつみ。 1期のみ)
サポートメンバー
- 亜井じょう (あい じょう。 8期のみ)
-
1972年12月〜1973年1月の『ミュージカル フォーリーブス物語 〜 星に帰った若者』にて参加。
- 浅井あきら (8期〜10期)
-
後の「葵テルヨシ」。
1972年12月〜1973年1月の『ミュージカル フォーリーブス物語 〜 星に帰った若者』、1973年4月『フォーリーブス エキサイティングショー』にて参加。
- 小坂まさる (10期のみ)
-
1973年4月『フォーリーブス エキサイティングショー』にて参加。
候補メンバー
メンバー変遷
メンバーの脱退、加入が非常に激しく、メンバー構成は実に11期に分かれる。
- 第1期 (1969年末〜)
- 円谷、小谷、近藤、柳瀬(後のやなせ)、岡、村田
(写真では左から岡、円谷、村田、近藤、小谷、柳瀬)
- 円谷、小谷、近藤、柳瀬(後のやなせ)、岡、村田
- 第2期 (1970年前半)
- 円谷、小谷、近藤、吉本、行田
- 円谷、小谷、近藤、吉本、行田
- 第3期 (1970年夏)
- 円谷、小谷、近藤、吉本
(写真では左から小谷、円谷、近藤、吉本)
- 円谷、小谷、近藤、吉本
- 第4期 (1970年10月のレコードデビュー時)
- 円谷、小谷、吉本、やなせ
- 円谷、小谷、吉本、やなせ
- 第5期 (1971年春〜)
- 円谷、小谷、吉本、岡
- 円谷、小谷、吉本、岡
- 第6期 (1972年1月〜)
- 円谷、小谷、吉本、風間
- 円谷、小谷、吉本、風間
- 第7期 (1972年5月〜)
- 小谷、吉本、風間
- 第8期 (1972年12月)
- 小谷、風間、亜井、浅井
- 第9期 (1973年1月〜3月)
- 小谷、風間、浅井
- 第10期 (1973年4月)
- 小谷、風間、浅井、小坂
- 第11期 (1973年〜1974年)
- 小谷、風間
概要
- ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川は、ジューク・ボックスを作るに当たり、名前のイニシャルがAからZまで全て揃った26人のメンバーを集め、ミュージカルを上演できるようなグループを作りたいという構想を練っていた。
しかし実際にはアルファベット全26文字に見合う名前の人間を揃えることは難しく、1969年末に、当時のジャニーズJr.の人気投票上位6名だけで結成することとなった。
その6名で、同年12月にフォーリーブス主演のミュージカルイベント『レッツ・ゴー フォーリーブス』(第2幕「オオ・マイ・ママ」)に出演。 その後、メンバーを大幅に入れ替え、日本テレビ『プラチナゴールデンショー』へのレギュラー出演も開始し、フォーリーブスのバックを務めた。
- 更にメンバーの入れ替えを経て4名となり、1970年10月10日にキャニオンレコード(後のポニーキャニオン)の第一号アーティストとして、両A面シングル『さよならの祈り c/w 海に沈めて』でレコードデビュー。
- その後も更にメンバーチェンジや脱退者が有り、最終的には小谷と風間の2名だけとなった。 1974年にグループが消滅するまでに、シングルレコードを4枚、アルバムを2枚、クリスマスEPを1枚リリースした。
主な出演作品
テレビドラマ
ジューク・ボックスとしての出演
- おれは男だ! (1971年9月26日、日本テレビ)
-
第23話「ナツコ・オン・ステージ!」に、第5期メンバーでゲスト出演。
このドラマの中でジューク・ボックスは、楽器を持ってバンドスタイルで登場するシーンもあったが、実際には演奏はしておらず、ただの当て振りだった。
なお、当ドラマの第1話と第2話には、事務所の先輩・フォーリーブスも同じくゲスト出演している。
円谷弘之ソロ出演
- 緊急指令10-4・10-10 (テンフォーテンテン) (1972年11月6日、テレビ朝日) 第19話「大空を飛ぶ少年」にて戸川修役
吉本暁弘ソロ出演
- 獅子の時代 (1980年10月5日、NHK総合・大河ドラマ) 第40話「樺戸集治監」にて壮士役
- 虹子の冒険 (1980年 or 1981年、テレビ朝日) 「チコとヒューマンカンパニー」としてゲスト出演
バラエティ番組
ジューク・ボックスとしての出演
- ヒット歌謡No.1 (TBS) 坂上二郎と共にレギュラー司会
- プラチナゴールデンショー (1970年 - 、日本テレビ) レギュラー
- 第2回 全国ヤング歌謡フェスティバル
(1970年 - 1971年、TBSテレビ & TBSラジオ、主催:渡辺プロダクション) - ぎんざNOW! (TBS) レギュラー
円谷弘之ソロ出演
- 夜のヒットスタジオ (1974年4月8日、フジテレビ)
坂口良子とのデュエットで『青い山脈』を披露。
近藤昌ソロ出演
- ほぼほぼ 〜真夜中のツギクルモノ探し〜 (2016年11月26日、テレビ東京)
ラジオ
- 歌え!ジューク・ボックス (ニッポン放送) レギュラー
- 第2回 全国ヤング歌謡フェスティバル
(1970年 - 1971年、TBSテレビ & TBSラジオ、主催:渡辺プロダクション) - 集まれ歌謡曲 (ニッポン放送、司会:藤村有弘)
-
全国各地での公開録音番組。フォーリーブス、永田英二と共演。
- 平凡アワー スターハイライト・ショー (ニッポン放送)
-
全国各地での公開録音番組。1970年12月13日(日):犬山市民文化会館で公録、他。
1972年2月19日(土)の群馬音楽センターの公録では、ハイ・ソサエティー、永田英二、郷ひろみと共演。
- 円谷弘之が30歳の時にパーソナリティーを務めたラジオ日本の深夜番組。 タイトル不明。
- 同じく円谷弘之が30歳の時にパーソナリティーを務めた文化放送の深夜番組。 タイトル不明。
舞台
- レッツ・ゴー フォーリーブス (1969年12月、大阪フェスティバルホール、日生劇場) 第1期メンバー
-
第2幕 ミュージカル 「オオ・マイ・ママ」。
- 少年たちシリーズ第2作 〜 ミュージカル ’70 「少年たち 〜完結篇〜」
-
(1970年5月30日&6月1日、日生劇場) 第2期メンバー
- 少年たちシリーズ第3作 〜 フォーリーブス・ミュージカル 「素足でかける時」 / ミュージカルコメディ 「希望の翼」
-
(1970年12月 - 1971年1月。 1971年1月5日&6日は東京厚生年金会館にて公演。
「素足でかける時」は文化庁芸術祭参加作品で、企画・構成・演出:フォーリーブス。
1967年の初代ジャニーズ主演ミュージカル『いつか何処かで 〜 フォーリーブス物語』の再演作品でもある。
また、「ミュージカルコメディ 希望の翼」の当初の仮タイトルは、「フォーリーブス・ショー 100メガトンの希望」だった) 第4期メンバー - 少年たちシリーズ第4作 〜 フォーリーブス・ミュージカル 「太陽からの少年」
(1971年4月) 第5期メンバー - 少年たちシリーズ第5作 〜 フォーリーブス・ミュージカル 「明日なき友情」 (1971年8月) 第5期メンバー
-
1967年の初代ジャニーズ主演ミュージカル『いつか何処かで 〜 フォーリーブス物語』の再々演作品。
- 少年たちシリーズ第6作 〜 フォーリーブス・ライブ・ミュージカル
「生きていくのは僕たちだ!」-
(昭和46年度文化庁芸術祭参加作品ミュージカル。 原作:大森晶子『十七歳の絶唱』。
1971年10月29日&31日:帝国劇場。 1972年1月:帝国劇場、名古屋・御園座、大阪フェスティバルホール。その後、3月31日まで全国公演) 第5期メンバー - ミュージカル・コメディー 「おかしな童話」 (1972年3月) 第6期メンバー
- ミュージカル 「僕がうたうとき!」 (1972年8月、9月29日) 第7期メンバー
脱退メンバーの行田和彦もソロ名義で出演。 - フォーリーブス イン クリスマス (1972年12月24日&25日、名古屋・御園座) 第8期メンバー
-
第1部 『ミュージカル フォーリーブス物語 〜 星に帰った若者』
(作・構成・演出:ジャニー喜多川、振付:小井戸秀宅)
第2部 『ヒット・ヒット・ヒット ゴールデンステージ』 - フォーリーブス物語 〜 星に帰った若者 (1973年1月 - 3月) 第9期メンバー
ステージ
- 第42回 日劇ウエスタン・カーニバル (1970年8月25日 - 9月1日、日本劇場)
- 第43回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1971年1月15日 - 22日、日本劇場) 第4期メンバー
- 第44回 日劇ウエスタン・カーニバル 〜 みんなで踊ろう! (1971年4月23日 - 29日、日本劇場) 第5期メンバー
- 第45回 日劇ウエスタン・カーニバル (1971年8月27日 - 9月2日、日本劇場) 第5期メンバー
- 第46回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1972年1月15日 - 22日、日本劇場) 第6期メンバー
- 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「フォーリーブスショー」
(1973年5月4日、日本劇場。振付:北公次、小井戸秀宅。舞台装置:引田天功) - 郷ひろみ サマードリームヤングフェスティバル (1973年8月3日&4日、名古屋・御園座) ゲスト出演
- 他…
ディスコグラフィ
シングル
- さよならの祈り c/w 海に沈めて (1970年10月10日、両A面シングル) 第4期メンバー
- 愛で胸はいっぱい c/w 朝に夕べに (1971年) 第4期メンバー
- 君にいかれて c/w なぜに君は生きる (1971年6月、両A面シングル) 第5期メンバー
-
『なぜに君は生きる』は、雑誌『週刊セブンティーン』にてファンから詞を一般公募し、
その詞を元に作詞家・山上路夫が補作詞したもの。 - 若者の四重奏 c/w ほほの涙を虹にして (1971年7月、両A面シングル) 第5期メンバー
ミニアルバム
- メリー・クリスマス / ジューク・ボックス! (EPレコード。1971年11月) 第5期メンバー
アルバム
- はじめまして ジューク・ボックスです (1970年12月25日) 第4期メンバー
- 若者の四重奏 (1971年) 第5期メンバー
客演アルバム
- フォーリーブス・ヤング・サプライズ 少年たち 〜小さな抵抗〜
(1969年12月5日、1974年再発。フォーリーブスのアルバム) 第1期メンバー - 夏の嵐 〜第1章 光 / 第2章 影〜 (1970年8月1日、1974年再発。フォーリーブスのアルバム)
- 世界へジャンプ! ハイソサエティ・サプライズ・プレゼント (1970年11月21日)
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ハイ・ソサエティーの1stアルバム。 第4期メンバーがフォーリーブスと共に参加。
- フォーリーブス・ライブ・ミュージカル 生きていくのは僕たちだ!
(1972年2月21日。フォーリーブスのアルバム) 第5期メンバー - We're the JOHNNYS (全13曲、1989年12月10日、インディーズ発売)
-
北公次、中谷良、SHADOWら「北公次FAMILY」によるオムニバスCD。
小谷純、やなせかおるのソロ曲がそれぞれ1曲ずつ収録されている。
河口湖のキャメロットスタジオにて、1989年10月10日〜12日の3日間でレコーディングされた。
円谷弘之ソロシングル
- さよならの瞬間 c/w 君への誓い (1972年11月)
- 純愛 c/w 死んだ君のために (1973年5月)
A面曲のタイトルは当初、『愛は思い出の中に』になる予定だった。 - 季節はずれの海で c/w さびしがりや (1973年10月)
- 青い山脈 c/w 若い日は二度とない
(1974年4月。 坂口良子との共演盤。 B面曲は坂口のソロ) - 横須賀ラスト・ナイト c/w 枯葉が似合う店 (1984年4月21日) 「本多貴之」名義
- 好きだから c/w あなたの中で c/w SAIKAI (2017年6月7日)
3曲とも作詞・作曲は円谷。
吉本暁弘 (チコとヒューマンカンパニー) のシングル
- 片仮名ギンザ c/w SAKABAもよう (1980年、プロデュース:久世光彦)
-
A面曲はテレビドラマ『虹子の冒険』挿入歌。 チコとヒューマンカンパニーはドラマ本篇にもゲスト出演。
- ウィスキーは嫌い c/w 紫の煙り (1981年、プロデュース:館内茂)
ビデオ
- We're the JOHNNYS (1989年12月10日、「北公次FAMILY」による限定版ビデオ)
小谷純、やなせかおるが出演。
著書
- さらば ! ! 光GENJIへ (北公次 著、1989年9月、データハウス)
小谷純、やなせかおるの告白文を掲載。
外部リンク
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